チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

大きな蓮の葉っぱで作った蓮ちまき

2016年06月10日 | 料理

雨、24度、94%

 大きな蓮の葉が手に入りました。拡げると直径60センチもあります。乾燥した蓮の葉ですが、新しい物なのかいい香りがしています。 もちろんちまきを作るために求めました。昨日は端午節、香港ではドラゴンボートがありました。今から夏にかけては生の蓮の葉も売られます。こちらはスズキなどの白身の魚を包んで蒸します。蓮の葉に包むと爽やかよりももっと深い青々とした香りが包んだ物に移ります。町中では同じちまきでも笹の葉で包んだちまきが売られています。 日本の笹ちまきとは違いコロンとした形です。このちまきは湯がいて作るので中のお米、餅米はべっとりとしたものになります。べっとりが苦手なので毎年蒸す蓮ちまきを作ります。

 蓮ちまき、朝の飲茶の定番メニューです。飲茶の蓮ちまきは大きな鶏の切り身と卵が入っていてお米を使って蒸して作られています。元々は労働者の朝ご飯だったそうです。小ぶりの蓮の葉一枚で作られています。ホテルの飲茶の蓮ちまきは上品でふた口サイズ、蓮の葉を小さく切って使っています。物足りない程小さい物です。

 我が家の蓮ちまき、作り続けて30数年、日本にいる時はこの蓮の葉を横浜の中華街で求めていました。我が家の行事食、おもてなしご飯です。具は、煮豚、干しえび、貝柱、ギンナン、鶉の卵、栗やシイタケを入れることもあります。味付けは、夏場はさっぱりとしょうがを多くして薄味に、冬になるとしっかり味付けをします。煮豚もさっぱりと炊き上げました。 メープルシロップとナンプラーで味を付けましたので白っぽい仕上がりです。冬場の煮豚は、お醤油とお砂糖で炊きますから茶色で艶々です。具と餅米を炒めて蒸し器で30分蒸します。その間に、蓮の葉の汚れをとり柔らかくするために湯がいておきます。蒸し上がった餅米を蓮の葉に包んでもう一度15分程蒸し上げます。湯気の温かさにのって、蓮の葉が香り立ちます。今回は主人が日本より持ち帰った日本の餅米です。 大きな蓮ちまきの出来上がり。まだ熱々のうちにテーブルに出します。みんなが見ている前で葉っぱを開けると、フワッと蓮の葉が匂います。具沢山のご飯とともに香りのごちそうです。

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琉球小スミレのつぼみ

2016年06月09日 | 

曇り、26度、91% 端午節祭日

 琉球小スミレの種が我が家にやって来たのは去年の暮れでした。琉球ですから沖縄です。沖縄から本州の真ん中の避暑地に送られて、そこで花を付け種を付け、その種は大事に沖縄を通り越してここ香港に送られて来ました。

 香港にも同種の原種のスミレが山道に見られます。早い年は1月、この冬は寒かったので3月に花を付けていました。種蒔きに時期など構わず頂いて直に鉢に種を蒔きました。特徴のある葉っぱが次々に出て来ます。山道でスミレの花を見た時に今年は我が家の琉球小スミレの花は見られないなと思いました。種を蒔く時期が遅すぎたと思います。ところが2週間程前にこんもりとした葉っぱの陰に小さな白いつぼみを見つけました。開くと薄紫の花かもしれないと見守ります。

 一日何度か見ていると、 タイルのところにつぼみが茎を付けたままちぎられて並んでいます。誰がこんなことをしたのか、鳩でした。一日数回エサを揚げている鳩の数が今年は多い時には4羽、コウランなどの小さい鳥も含めると10羽を越すことがあります。小さい鳥の仕業ではなく鳩がくちばしでつぼみの茎を引っ張っています。折角の大事なつぼみです。昨日も同じ事が起こっていました。ひとつだけ残ったつぼみの鉢は部屋に入れました。今朝も起きて何度か観に行きますが、これ、もしかしたらつぼみでなくて種かもしれません。そうだとしたら葉陰で花をつけていたのかしら。

 今年は鳩から受ける害が幾つかありました。4羽もやって来ますと縄張りなのかけんかをはじめます。戦場となるのは、私のポットや鉢の上です。芽が出始めたばかりのバジルは全部踏みつぶされました。頂いた善光寺のプリッキーヌの苗の缶には2苗残しておいたのですが、缶ごと下のプールに蹴り落とされました。 植え替えておいたこの2苗は無事に育っています。狭いところですから仕方ありませんが悔しく思います。バジルはもう一度種を蒔きました。6月が一番日を受ける我が家の出窓です。このひと月でぐっと大きくなるはずです。

 遠く旅して来た琉球小スミレ、つぼみか種か分かりませんが香港でしっかり育っています。これが種だったら、福岡の家の庭に蒔こうと思っています。今日一日観察は続きます。

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「モモさん、それ返して。」

2016年06月08日 | もも

大雨、25度、98% 雷

 モモさん小さい時から、主人や私が脱ぎ散らかした靴や服の上で丸まって寝ていることがあります。靴の上など居心地悪いでしょうのにと思います。目ざとくのっかります。一番のターゲットは、私の買い物用の手提げ袋、何処に置いていても気付くと上って丸まります。たまには熟睡なさることも。

 そんなに高くないスツールですが、 本棚の陰にあるのでモモさんが見えませんでした。あら、こんな所にいたのね。テーブルの上にだって、椅子に飛び乗り2段構えで上がります。 雨の日の朝です。お散歩の用意はしたのですが、まだお外は雨。お散歩用のバックとリーシュをテーブルの上に置きました。このお顔は完全にご不満な様子です。「早くお散歩に連れて行ってください。」 このバックの中には、空き缶が入っています。これでもよく寝れるんですね。モモさん3歳の時の写真です。懐かしい写真です。 私が黒のボストンバックひとつで旅に出かけていた頃のものです。荷物を詰めるためにバックを出して来ました。この通り。次に数日して私が戻って来たすぐ後、 私のバック類はモモさんにいつもこうして占拠されます。

 数日前です、私のiPhoneが見えません。さっきメールの返事をしたばかりです。狭い家の中を行ったり来たり、私はiPhoneの音をいつも切っていますから電話をかけても音無。モモさんは暑いので床に寝ています。何処に置いたのかしら?はたとAppleWatchから音を出して探してくれることに気付きました。 音を消してますので、AppleWatchにはこの画面。消音を取り消して、 左下をプッチン。微かな音が聞こえます。もう一度プッチン。音の出所は、モモさんのお腹の下でした。モモさん、お腹の下で音がするので目が覚めたようです。「それ、返してください。」

 そうそう、床に座ってメールの返事を打って床にiPhoneを置いたままにしたようです。ベットの上でひっくり返って本を読んでいて、眼鏡を外します。ベットに戻ると眼鏡がない、いつもモモさんが眼鏡の上にのっています。これから探し物をする時はまず、モモさんのお腹の下からはじめます。

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サバの薫製と湯種の食パン

2016年06月07日 | 料理

曇り、25度、92%

 熱湯で小麦粉を練っただけの湯種を入れイースト菌で焼いた湯種の食パンが美味しいのでまた焼きました。パンの耳も香ばしく柔らかです。トーストもいいけれどそのままでサンドイッチにしました。夏になると我が家の定番、よく冷やした白ワインとサンドイッチの夕食です。

 夕飯のサンドイッチですからボリュームも欲しいのでサバを薫製にしました。脂の乗ったサバを3枚に下ろしたものに香辛料とワインとオリーブオイル、少々のはちみつで下味を付けます。それを紅茶の葉っぱとお米、お砂糖で燻すだけです。家の中でしかもお鍋で作る簡単薫製。お魚ですから火の通し過ぎには気を付けます。燻し時間10分程。

 家中に拡がる薫製の匂いはなかなかいいものです。 煮る、焼く、炒める、揚げる、蒸す。いろいろな調理法がありますが、燻す調理法は香りを伴います。チップを使わずに紅茶の葉やウーロン茶の葉を使うとまた違った香りがします。夕方、モモさんの散歩から帰って我が家のフロアーでエレベーターのドアが開いたその瞬間薫製の匂いがフワッとして来ます。もちろん我が家のドアを開けると、薫製の匂いは押し寄せて来ます。

 昨晩はこのサバの薫製とターキーのハム、チーズ2種類に野菜を合わせました。香港の露地物のトマトが暑さと日差しでぐっと味のあるトマトに育っています。タルタルソースとアーティチョークのペーストを添えました。この夏はこの湯種の食パンで何度サンドイッチが登場するでしょう。おいしいパンです。 

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「真奈さん」

2016年06月06日 | 自分ごと

雨、24度、91%

 物心ついて以来、両親に「真奈さん」と呼ばれて来ました。親がそうですから周りの親戚も「真奈さん」と呼びます。遥かに年上の従兄弟まで「真奈さん」です。名前に「子」が付いていたらなあ、と「真奈ちゃん」と呼んでもらいたいなあ、この二つが小さい頃の夢でした。父方の祖母から「真奈ちゃん」と呼ばれたのは小学の6年の時でした。滅多に会わない祖母です。「真奈ちゃん」の一言は祖母の甲高い声とともに忘れませんが、この私気恥ずかしさで一杯でした。

 学校時代の友人は「真奈」と呼んでくれます。もういい加減みんないいお歳ですが、「真奈」と声を掛けてもらうと決まって古い友人です。名前だけを呼ぶのは日本では呼び捨てといって失礼にもなりかねませんが、ファーストネームで呼び合うのは洋の東西親密さの現れです。

 母は亡くなる前に施設にお世話になっていました。福岡に戻れば空港から真っ直ぐ施設に、香港に帰る時も母の施設から空港に向かいます。時間ギリギリまで母の側にいてさて、立ち上がると決まってドアの辺で母が私の背中に向かって「真奈さん」と言います。もう時間がありませんので、その声をそのままにして部屋を出ます。ドアを締めても「真奈さん」と呼び続けています。看護士さんも事情はよくご存知で、早くお帰りくださいと合図してくださいます。あるとき気付くと、その施設の介護士さんから事務所の方まで皆さん私のことを「真奈さん」と呼んでいます。他の面会の方には苗字や「何々さんの息子さん」と声をかけています。一人の看護士さんがその訳を教えてくださいました。母があまりにも大きな声で「真奈さん」と呼ぶのでお世話をしてくださる看護士さん達も直に私の名前を覚えてしまったのだそうです。具合が悪くて声が出難い時も「真奈さん」だけははっきりと大声でした。

 今ではひと回り以上も年下の若い友人からも「真奈さん」と呼んで頂いています。主人の会社のお若い方も「真奈さん」と呼んでくださいます。「下川さん」でも「下川さんの奥さん」でもいいようなものですが「真奈さん」とお声をかけて下さると嬉しく思います。

 母の部屋を最後に後にした時は母は眠っていました。いつものようにそっとドアを閉める私の後ろには「真奈さん」と呼ぶ声はありませんでした。母の「真奈さん」は命令調です。あの声を最後に聞いたのはもう3年前です。「真奈さん」と母に声をかけられるのがあんなに嫌だったのに懐かしさに変わり始めています。

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この夏のアイスクリーム その1

2016年06月05日 | 菓子

雨、25度、97% 雷注意報

 香港、34度まで気温が上がるようになりました。セミも朝早くからジージー。フレッシュジュースの店先には行列ができて、その横のゴミ箱には紙コップが一杯。にわかに暑さを当てにしてジュース屋さんやアイスクリーム屋さんがオープンします。

 今年の我が家のアイスクリーム第一号は、紅茶のアイスクリームとなりました。アールグレーではありません。セイロンティーを濃い目に出して作りました。ハーゲンダッツの濃厚さを追求していましたが、このアイスクリームはさっぱりと口溶けよく作ってみました。まるでインドのチャイをアイスクリームにした感じです。さっぱりですから、一杯食べれます。夏の昼下がりのアイスクリームのおやつは最高です。

もちろんモモさんにも少し。きっとあっという間に無くなってしまいます。アイスクリーム第二号はヨーグルトアイスクリームにするつもりです。この夏何種類のアイスクリームを作ることになるのやら、夏の楽しみです。

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「インドカレー伝」

2016年06月04日 | 

曇り、29度、85%

 インドの南西ゴアにポルトガル人が唐辛しを南米から持ち込んだのは1500年代、それから500年の間に今のインド料理が出来上がったのどそうです。インドは南北にも延びています。宗教もヒンズー教、イスラム教、ゾロアスター教がありその上カースト制まであるのですから、一概にこれがインド料理ですとは括れません。唐辛子が入って来るまでは胡椒が辛みの香辛料です。

 インドのカレーの変遷をインドの歴史、長い間支配したイギリスとの関係から探った本「インドカレー伝」の書き出しは唐辛しの伝来からです。主人が先の日本出張で私に買って来てくれた本です。作者リジーコリンガムはイギリス人ですから、もちろんイギリス料理とインド料理のお互いの影響を解くところに主眼があります。イギリス料理だとばかり思っていたケイジャーやマルガトニースープが実はインド料理の影響を受けて出来たものだったのです。何処に行っても本国での生活様式を変えないことで有名なイギリス人が缶詰ばかりの食事に飽き足らず、インド料理に傾斜して行く過程、もちろん現地女性と結婚すれば、家庭の味は融合したものとなります。

 イギリスは中国からお茶の木を持ち込みました。お茶のプランテーションをインドに作り上げたのはイギリスです。初めて知ったことでしたが、インド人は実は紅茶を飲まない民族だったそうです。5000年の歴史を持つと言われているインド医学アーユルベダにもお茶の効用はなかったのだとか。そのインド人に紅茶を飲ませるために、「紅茶普及協会」を作り各家庭を廻り飲み方、紅茶の入れ方をイギリス人が指導したことを知ってびっくりでした。もちろんイギリス人が指導したのはイギリス流紅茶、それを取り入れたインド人はご存知のように甘い甘いスパイスの効いたチャイに作り変えました。小さなコップのチャイのカロリーは40カロリーだそうで、暑い夏も寒い冬もこのカロリーに貧しい人は支えられています。

 カレーと言う食べ物がインドにはないと以前書いたことがありますが、カレーという言葉を作ったのもイギリス人です。日本で一番食べられている固形状のカレーはイギリス由来の小麦粉カレーです。もちろんカレー粉もありません。カレー粉もイギリス人が便宜上作り出したものです。

 作者は世界中にインド人が持ち込んだカレーの行く末を見ています。日本には東京新宿の中村屋に戦中亡命して来たチャンドロラボースが伝えたというカレーがあります。ボースのカレーも固形状のカレーを好きな日本人が東洋一カレー好きであることもよくご存知です。

 ここ数十年、イギリスでも本場のカレーを食べたいという声が上がっていて、BBC放送では、マドゥファージャフリーの料理番組が流れているそうです。 1995年刊行のマドゥファーの本についても述べられていました。

 4回程、北のインドを旅しました。主人にきつく止められていますので、屋台料理は経験がありません。一日3回インド料理を食べても飽きません。この本のおかげで、もう一度香辛料の香りの向こうにある何かを掴めるような気がしました。

 ちなみに私が40年程前初めて行ったイギリスで初めて食べたのは、小さなチキンが丸々一羽のったインドカレーでした。カレーと聞いて頼んだのに、大はずれ。悪戦苦闘して食べたイギリスのカレーです。

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我が家のインド料理

2016年06月03日 | 料理

晴れ、29度、84%

 出来るだけ本場の味に近いインド料理を作るようになったのは、香港に来てからです。香辛料がホールでも粉状でも揃います。マサラも各種あります。インド人がやっている中の薄暗い食料品屋へ行くのは楽しみです。中に入った途端に周りの香港とは異次元、匂いも色も違います。香港のインドレストランの味はおそらくかなり本場の味に近いと思います。日本の本場インドカレーは日本ナイズされた味です。

 インドに初めて行ったのは20年前、ここでまたインド料理の私が思っていた常識が覆されます。日本同様にインドも地方地方で食材も味付けも違います。私は、3食インド料理で構いません。インド料理は辛いものもありますが、スパイスのハーモニーを楽しむ食べ物だと思っています。ここ数年、自分の作るインド料理に物足りなさを感じ始めていました。奥行きのない味なのです。端で見ていると適当に見える程作り慣れたカレーやビリヤニです。

 暑くなり始めました。久しぶりにチキンカレーを作ります。 この3つにレッドペッパーを加えると基本の香辛料です。右からクミン、ターメリック、コリアンダー。以前はギーという水牛のバターを使っていましたが、最近はオリーブオイルで代用します。デーリーの知人ベリーさん宅の台所には既にギーは健康上置かれていませんでした。クミンをオリーブオイルで熱してタマネギとトマトでベースを作ります。チキンを煮込んで、最後にマサラを一振り。 右から2番目がチキンマサラです。 汁っぽく見えるカレーですが、水は一切加えません。

 付け合わせはインドで一番おいしいお米、バスマティライスを  プラオというピラフに仕上げます。ニンニクと松の実を入れて、サフランで香りと色を付けました。パラリとしたこのプラオライスは、お米自体の香りもあってとても美味しいものです。 こちらも最後に一振りマサラを入れます。

 2品とも作り方は従来通りですが、少し工夫をしてみました。私が作ったインド料理の中でも満足がいく品です。

 インドバンガロールから見えたお客様を私のインド料理でもてなしたこともあります。今考えると恥ずかしい限りです。インド料理は奥が深いと思います。実は最近読んだ本が作り方ではなくて、インド料理の何かを教えてくれました。何処か私の中でスイッチが入れ替わったようです。深みのあるインド料理を作れるような気がします。その本の話は明日。

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モモさんを守って、負傷しました。

2016年06月02日 | 日々のこと

晴れ、29度、88%

 先週の土曜日は朝になっても雨が降っていました。モモさんのお散歩時間、やっと雨は上がりました。山沿いの緩やかな坂道、いつものお散歩コースです。向こうから大きな犬がやって来ます。初めて見る犬です。雑種ですが、背が高くゆうに私の腰の当たりまでありそうです。犬の顔を見ていると、どうも性格がきつそうだなと思います。連れているお手伝いさんはスマホをにらんだまま、リーシュは伸びっ放し。一方通行の車の少ない道です。

 犬の大きさとその様子に不安になった私は、モモさんのリーシュを右手に持ち替えて車道に降りました。大きな犬と距離を持つためです。案の定、すれ違い様に短く唸って、私の方に飛びかかろうとしました。でも、犬の鼻先が私のスカートをかすったぐらいでした。その瞬間、この私、前のめりにドタッと倒れました。犬が触れた訳でもありません。滑った感じもありません。蹴つまずいた訳でもありません。兎に角、前のめりにドタッと大きな音とともに倒れました。本人ですら何が起こったか分からない、起き上がり様にモモさんを見ると、驚いた顔をして私を見ています。モモさんこそ何がなんだか分からない。

 立ち上がり振り向くと、大きな犬とお手伝いさんのそそくさと立ち去る背中が見えました。モモさんのリーシュを握りしめていた右手は無傷、左手の甲から手首にかけて3カ所擦り傷、両膝頭にそれぞれ擦り傷ひとつずつ。計5カ所傷を負いました。擦り傷ですから痛くもありません。お散歩を済ませて家に戻りました。

 夕方出張から戻った主人、左手の傷を見てびっくりします。私の話の途中で狂犬病を心配します。「違うのよ、転んだのよ。」ホッとする主人。しばらくして、「骨にも異常なさそうで良かったね。」とおっしゃいます。その時、はたと思います。私の母も家の中で滑って骨折しました。義母は家の中で自分のスカートを踏んで転倒して骨を傷めました。コンクリートの上で大きな音を立てて、怪我の仕方からしても変な転び方をしています。よく、骨を折らなかったものです。この年齢からは、小さなことで骨折を招く危険があります。気を付けなくては。

 何故転んだか今でも分かりません。転んだ傷ですが、私はモモさんを守って出来た傷だと思っています。今朝起きると傷口が痒くなり始めています。全治10日でしょうか。

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月末料理

2016年06月01日 | 日々のこと

晴れ、28度、86%

 先週一週間、ぐっと切り詰めた生活をしました。財政難です。原因ははっきりしています。月初めに作ってもらったスカート2枚、縫製代は現金でした。食費や交通費などの細かいものは月に一度現金をおろして使います。お金をおろしに行くのは、ついたちと決めています。そして、どんなことがあっても現金払いのものはそのお金でひと月過ごします。ですから月末はたまにこうして財政難が起こります。結婚して以来ずっと続けて来た自分なりの決まり事です。

 切り詰めた生活には慣れています。そして、この切り詰めた時こそよくもまあと思う程、頭も身体も使って生活をします。出かけなければお金は使わなくて済みますが、問題は食事。こればっかりは外せません。卵にお豆腐にはよく助けてもらいます。

 昨日は乾物の春雨を使おうと朝から戻しました。春雨、何故か主人が日本からもタイからもお土産と言って買って来ます。香港には細い日本製よりおいしい春雨があるというのに困ったものです。一袋全部戻しました。ざるにとった春雨を見てその量の多さに、一瞬どうしようと思います。サラダにするには多すぎる、いえ、何にするにも2人分には多過ぎる量です。

 次に冷凍庫を覗きます。モモさんのためのささみは常備、あら嬉しや、牛肉の薄切りが200g程あります。次に野菜室を覗きます。キュウリが一本、トマトが少し、枝豆の湯がいたものが少し。大根が15センチ程。これだけあれば充分だわと作ったメインの2品です。どちらも、春雨主体です。 牛肉と春雨の炒めもの。サラダにはささみを茹でていれました。春雨の炒めものは、豚のひき肉で作ると美味しいのですが、牛肉もこくが出てなかなか美味しい一品になりました。

 主人も私も食べる量が減って来ています。まあこれぐらいあれば充分でしょうか。ワインは買い置きが沢山あります。こちらは心配なし。昨日の私のお買い物、お豆腐2丁のみ。

 無事に5月も終わりました。さあ、今日は銀行に行って来ます。

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