チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

中国ではFB、Twitter,LINEが閲覧、投稿出来ません。

2016年09月20日 | 日々のこと

雨、22度、95%

 中国深圳と香港は、陸続きです。香港の新界のボーダーに近い街からは深圳の高層ビルが見えています。もちろん深圳からも香港の新界のマンション群が見る事が出来ます。ところが越境した途端、耳に飛び込んで来る言葉は北京語です。深圳は広東省ですが、広東語ではありません。深圳は出稼ぎの人が居着いた街、中国中で一番平均年齢が若い街といわれています。中国各地から人が集まって来るので北京語が主流です。深圳を過ぎて広州に入ればまた広東語圏に入ります。もちろん国境を越しますから、香港人ですらパスポートを持参します。

 当然、国境を越すと携帯電話のキャリアも地元のものに変わります。私が日本に帰っても同じこと、キャリアが変わって、スマフォでも使える機能は、電話とメッセージのみです。メールの送受信に始まって、当然、FBなどは「インターネットに接続されていません。」とメッセージがでます。それでもWi-Fi環境の整ったところでは、全て繋がります。

 一昨日深圳に入りました。中国政府のインターネット規制は知られたことですが、ホテル内のWi-Fi環境が整ったところですら、いつものネット接続が出来ません。メールが入って来るだけです。FB、Twitter、YouTubeいつも使うものが使えないのです。

 昨日の朝はいつものようにブログをアップしました。ブログは日本のブログのサイトとFB、Twitterが連携しています。直接FB、Twitterに投稿するわけではありません。Wi-Fiのもとでも中国からはサイトを開けても見ることも出来ないのに、「メッセージが入っています。」という通知だけは受け取れます。通知を受けていつものように開けても、出て来る画面は香港を出たときのままです。一昨日、昨日とこの無駄な動作を何度も繰り返しました。

 中国にもソーシャルメディアは存在します。weiboと呼ばれるものです。機能はTwitterに似ているそうです。写真投稿も出来ると聞いています。

 見出し写真は、昨日の朝、モモの面倒を見るために泊まってもらっているお手伝いさんに、モモの様子を尋ねるメッセージが戻って来た通知です。面白い写真があったのでインステグラムに載せようとしても開きません。朝聞くPodcastを開いても、「今日のプログラムはありません。」と表示されます。 当然YouTubeも見ることは出来ません。

 中国政府のこのインターネット規制の裏をかくVPNというものもあるそうです。有料のVPN、無料のVPNこれを通せば中国国内でもFB、YouTube、Twitterが閲覧出来るそうです。たまにしか行かないので、1、2日の不便は我慢しています。次回は、このVPNを試してみようと思っています。

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女同士

2016年09月19日 | 日々のこと

晴れ,27度

 昨日から香港のお隣、深圳に来ています。モモさんが我が家にくる前は週一回は深圳に来ていました。もう12年以上前のことです。来る度に来る度に街は大きくなっています。大きくなんてものではありません。巨大化、底が見えない何か恐ろしさすら感じる街の変わり様です。

 この街のゴルフ場でまだ40代半ばだった私は、グリーンのど真ん中で泣き始めました。その私を20代そこそこの若いキャディさんが黙って抱きしめてくれました。名前も顔ももう忘れています。覚えているのは、彼女の首筋の日なたの匂いと心のざわつきが鎮まった安堵感です。

 昨日は小さな会食でした。集まった方はお顔とお名前だけはもう10年以上も知った方です。ひと回り程下のTさんは上の息子さんは、中国空軍の飛行パイロットつまり超エリート、下の息子さんは医師になられたばかりです。昔変わらぬ丸顔のTさんはまじめでコツコツ働いて息子さん達を育てました。そのTさんよりまだお若いYさんは、結婚する前から知っています。昨日は息子さんの2歳の誕生日でした。

 深圳は、ボーダーをひとまたぎしただけですが、言葉は広東語ではなく北京語です。このYさんの日本語達者が唯一の会話の助けです。私、挨拶しか北京語が出来ません。それでも旧知の仲ですので、話には事欠きません。食事ももう終わりという頃、Tさんが当面していることで急に涙を流しました。大袈裟な涙ではありません。その時まで堪えに堪えた涙です。隣の席にいた私は彼女の細かく震えている肩を抱きました。

 お若いYさんも同じような現状に今直面しています。おふたりの胸の内は、お会いする前から察していました。感極まったTさんに続いてYさんも静かに涙を流します。何もしてあげれない私です。別れ際には今一度、Tさん、Yさんをしっかり抱き私も涙しました。言葉なんて不要です。

 街に立ちました。周りはリッツカルートン、フォーシーズンも立ち並ぶ深圳の中心部です。高い夜空を見上げ、彼女達のこれからを案じますが、不思議に私の中には温かいものが流れています。女同士っていいなあと。

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お勧めの七味唐辛子 富岡市吉田屋

2016年09月18日 | 日々のこと

晴れ、26度、73%

 七味唐辛子が好きです。あまりにもそう書くので皆さんお勧めのものを教えてくださったり、送ってくださったり。ありがたいことです。

 唐辛子のはっきりと全面に出た善光寺ややげんぼり七味唐辛子はストレートな辛さです。京都や大阪の山椒の香り豊かな七味唐辛子は山椒の辛みも加わってその香りも楽しめます。ところが、封を切った途端この善光寺風でもなく関西風でもない香りに圧倒されたのが、富岡市の吉田屋の七味唐辛子でした。

 封を切って最初に鼻に飛び込んで来るのは炒りごまと青のりの香り、しかも深い深い香りです。七味唐辛子を何故おうどんやお味噌汁に使うのかと自分の事を顧みます。メリハリかな、ピッリと味が締まるというか、アクセントを付けるというか、そんな意味で七味は欠かせません。そして私が求めているのは辛みばかりかその香りもあることに気付きます。

 善光寺やげんぼりの七味唐辛子を食べていると、赤い唐辛子の甘い香りを感じます。味ではなく赤唐辛子の持つ香りです。もちろん関西風の七味唐辛子は、奥の深い山椒の香りです。山椒の辛みも加わりますから辛さ自体も唐辛子の直裁的な辛さではありません。でも、辛い。

 ここ吉田屋の七味唐辛子は、このどちらの辛みもありません。「大辛」ですらさほど辛くありません。辛みを求める人には少し残念な話です。ところが炒りごまと青のりのこの香りは、何ものにも代え難い。どこかでこんな香りの衝撃を覚えたなと振り返ります。そうそう、京都の「原了郭」の黒七味を最初に匂ったときの衝撃です。じっくりと炒られたやや油染みた感じのその香りです。

 吉田屋の七味唐辛子は、全国販売のものではありませんが、頼めば国内は配送してくれるそうです。辛みが少ないと思われる節は、一味唐辛子を足してもいいかもしれません。「大辛」を温かい白いご飯にふりかけのようにかけます。それだけで、ご飯のお代わりが欲しくなります。ひと味、いえ、ひと香り違う富岡市吉田屋の七味唐辛子です。

 

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カシミールの絨毯

2016年09月17日 | 身の回りのもの

曇、27度、71%

 香港島のハリウッドロード、ほんの十年程前までは骨董の店とペルシア絨毯の店ばかりが並んでいました。セントラルの大通りから1、2本上に上がった道です。賑やかさはないものの雰囲気のある道でした。近年、小さなブティックやレストラン、カフェ、ホテルまで出来て道の様子が変わりました。我が家からセントラルにおりる時必ず通る道です。気付くと絨毯屋さんは1、2軒、骨董屋さんは数軒になっています。

 香港の家はずっと家の中でも靴を履いたまま生活をして来ました。気温も10度を下がりません。カーペットなどを敷かずに掃除がし易いようにフローリングのままです。モモさんが来て以来所々ラグを敷きました。つまり沢山あったペルシャ絨毯のお店には行かずじまいでした。ところが日本の家を改築して、畳の部屋を二階だけに残し、下の階は全てフローリングにしました。昨冬泊まった時には、それはそれは寒くて、今年に入ってリビングと寝室にカーペットを敷き込んでもらいました。玄関の部屋と一番広い元の座敷はいまだにフローリングのままです。とりあえず、玄関に合う絨毯を探しにハリウッドロードに出かけました。

 南アジア系のオーナーや店員さんがいます。一体こんなものを高い家賃のところで売っていて商売が出来るものかと思う程店に人が入っているのを見かけたことがありません。「いらっしゃいませ。」なんて声もかかりません。こちらも気楽に絨毯を触ったり出来ます。欲しい絨毯のサイズを言うと、いよいよ商売っけがでて来たのか、それでも悠長にラグを並べて見せてくれます。私が「もうここで随分長くお店をしてますね。」と言ったその一言からが大変でした。まずは、自分の家系の誰がこの商売を始めたのか、何処から絨毯を持って来ているのか、などなど、長い話を聞かせてくれました。そこで、見せてくれている絨毯の値段の違い、0の数が幾つも違います、そこを尋ねると微に入り細に入り絨毯を手に取って教えてくれます。年代、産地、もちろん素材のの違い。おかげで、この店にいた小一時間の間に私はにわか絨毯博士にでもなった気分です。「また来ますね。」と言い置いてお店をでました。

 基本の知識が出来た私は、欲しい柄、欲しい色、欲しいサイズで出来るだけ手頃な価格のものを探し始めました。玄関は小さいものですからできたらシルクが欲しいと思います。あの素足で踏んだときの感触がなんともいえません。柄サイズ共に気に入ったのが、カシミール地方の絨毯でした。先日、福岡に帰った時に受け取りました。

 ハリウッドロードの絨毯屋さんが教えてくれた通りに、光の当たり具合で絨毯が様変わりしてみせてくれます。 もちろん足の裏はシルクのきめの細やかさを感じます。

カシミールのシルクの絨毯は、サイズの大きいものがありません。せいぜい三畳程度でしょうか。次に探しているのはかなり大きな物になります。元の座敷に敷くものです。この部屋の天井は床から4、5メーター、廻り縁の仕切りのガラスも外していますから、かなり広いもが必要です。焦らずにゆっくり探すつもりです。ハリウッドロードの絨毯屋さんがくれたたくさんの知識が今度も役立ちそうです。

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髪をチョンチョン

2016年09月16日 | 日々のこと

晴れ,27度、72%

 髪を伸ばし始めて3年が経ちました。背中の真ん中まで伸びました。小さい頃はサザエさんにでて来るワカメちゃんカット、襟足を青く剃られる程短い髪でそれが嫌で嫌で髪を切られる度に泣きました。ですから、高校を出て一人暮らしを始めると、まず髪を伸ばしました。以来50歳近くになるまで、幾度かザッパリと切りましたがまた伸ばします。50歳を境に髪を顎の線まで短くしました。もう伸ばすつもりのなかった髪ですが、3年前急に伸ばすことにしました。

 蒸し暑い香港です。中途半端なショートヘヤーより髪をまとめてお団子にしている方がずっと涼しい。お団子にしているから自分ではどのくらいの長さかよく解らない、ある時姿見で見ると、あれまあ長くなったことと関心します。細くて柔らかい髪ですので、よく絡みます。髪先が絡むと面倒です。そんな折、普通のハサミで髪をチョンチョンします。爪を切ったときのように気持ちがすっきりします。

 先日、孫娘一家と一緒の時、髪の結び目が緩んだので髪を解きました。目の前に座っていた孫娘、バッサリと私の肩におりた髪を見て目を丸くして、「かかの髪、、、。」と言いました。私が長い髪だと初めて気付いたようです。2歳半の孫娘、息子とお嫁さんに似てやはり細くて柔らかな髪でまだ一度も切ったことがありません。来年の七五三に髷が結えるか心配だとお嫁さんが言います。女の子ですから長い髪が好きなのでしょう、私の髪を見たときの孫娘の顔が忘れられません。

 息子が小さい頃は私が髪を切りました。とても下手で今でも息子にすまなく思っています。その頃、自分の長い髪は時折自分で切りました。髪にハサミを入れる感触は、なんともいいものです。最近は夏場は週に一度、モモさんの毛も刈ります。流石に主人の髪だけは切る事が出来ません。大変なことになりそうです。

 昨晩も髪をチョンチョンして、お風呂に入りました。湯船につかっていてふと思います。もしも来年の孫娘の七五三に髷の結うだけの髪がなかったら、私の髪をバッサリ切って髷に入れてもらおうかしら。同じような髪質ですから。まあ、その時になったらお嫁さんのご実家のお母さんに相談してみるつもりです。それまで時折チョンチョンして、まだ伸ばします。

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モラードのシフォンケーキ

2016年09月15日 | 菓子

曇、27度、68%

 一年に何台のシフォンケーキを焼くでしょうか?朝ご飯代わりにも食べます。ちょっとお腹が空いてもポイと食べます。35年程前、東京の合羽橋の道具街ですらシフォンケーキの型を置いている店は1軒しかありませんでした。しかもブリキ製。こんなにシフォンケーキが普及するとは思いもかけませんでした。合羽橋で買った21センチのブリキの型は錆が出てしまいました。そんな折、香港で見つけたのが足付きの24センチの型です。この型を使い始めてかれこれ25年は経ちます。よく持ち堪えてくれています。

 香港の家の新しい電気オーブンは庫内が狭く、我が家の24センチの型がやっと入る大きさです。どうしても上面に火が強く当たります。時間や温度を調節しますがうまくいきません。 こんなふうに焦げてしまいます。一度も失敗したことのないシフォンケーキを二度も焦がしてしまいました。いささか、凹みました。焦げたところを切り取っれば、 美味しく頂けます。

 赤いバナナ、モラードを買いました。 普通のバナナよりモッチリとした食感で香りがややすっきりとしています。気温が高い日が続いたので直に熟れてしまいました。そこで、バナナを入れたバナナシフォンケーキを焼くことにしました。バナナケーキよりずっと軽い仕上がりになります。シフォンケーキのレシピを聞かれると、必ずちょっとベーキングパウダーを入れてくださいというのですが、実際私が作るシフォンケーキには膨張剤を使いません。バナナが入れば重くなるでしょうが、卵白の力に任せる事にしました。オイルは、 クルミのオイルを使います。クルミのオイルは、ナッツらしい香ばしさがあります。バナナの香りにナッティなクルミオイルの香りいいコンビです。

 さて、焦げが心配です。いつもの温度設定で、なんと3、4分に一度はオーブンを覗き込みました。いつもと私の様子が違うので、主人は不思議そう。3度も続けて焦げを作りたくありません。

 焦げ目なしのモラードのシフォンケーキの焼き上がり。バナナの重さにも負けずに、フンワカのシフォンケーキが出来ました。ストレートのコーヒーが合いそうです。

 この大きなシフォンケーキの型も実は傷みが出始めています。でも、まだまだ働いてもらうつもりです。大きなシフォンケーキは見栄えがいいものです。 

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自由が丘 蜂の家の「まゆ最中」

2016年09月14日 | 日々のこと

曇り、27度、90%

 東横線と大井町線が交差する東京の自由が丘の街は、行く度に街が変わって行きます。薄暗くてお店がほとんどなかった南口は今では洒落たお店が並んでいます。駅前のお店が変わって行く中、昔から場所も変わらずにあるのが「蜂の家」です。

 東京に住んでいた頃はこの自由が丘は生活圏内でした。ちょっと長い散歩のつもりで歩いて行きました。まだ「多摩プラーザ」などの田園都市が開発され始めた頃です。既に自由が丘はニューファミリーなどといわれる世代の恰好の街でした。「蜂の家」という和菓子屋さんがあるものの、若かったあの頃和菓子屋さんに足を踏み入れることがありませんでした。「ダロワイヨ」が並びのロータリーにオープンしたリ、奥まった路地に「アフタヌーンティ」が出来た時代です。

 「蜂の家」の菓子を食べたのはほんの2年程前、息子の家にご近所に配るために置いてあった残り物をお腹が空いていたのでお口に放り込みました。「まゆ最中」です。小ぶりでふた口で食べれます。しかもくどくない甘さです。結局残り物は全部私が平らげました。

 先日頂戴した「まゆ最中」ホッとする美味しさです。5種類餡のお味が違いますが、普通の小倉と黒胡麻が好きです。写真は黒胡麻、最中の皮はうっすらピンクで中には漉し餡に黒胡麻が入っています。半分に割ると黒胡麻の独特な香りが。 

 最近はお菓子のサイズがとても気になります。洋菓子も和菓子も昔に比べればサイズが小ぶりになって来ています。この私ですら、大振りのお菓子にかぶりつくより、小さなお菓子を好むようになりました。これは年齢のせいです。ふた口サイズの「まゆ最中」なんともいい具合にお腹に納まってくれました。

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モモさんのお水

2016年09月13日 | もも

雨、26度、95%

 動物と一緒に暮らしていれば、部屋のどこかに水飲み場があるはずです。鳥だって鳥籠に水入れがあります。我が家もモモさんが来て以来、居間の片隅にお盆に載って水入れが置かれています。水を飲んだ後は水入れの周りは水だらけ、あのお口の形がそうさせるのかと思います。今までの犬達は長い鼻に外でかっていましたから、気付かなかっただけかもしれません。

 お盆の上に水の入ったお椀があるのにそれをじっと見つめているモモさんがいます。お椀をじっと見つめて動きません。これは水を替えてくれの合図です。お椀の底に小さな黒いものがあったりすると、じっと見つめたまま決して飲みません。さっき替えたばかりの水を見つめて動かないことがあります。よく見るとモモさんの毛が一本水の上に浮いています。これでも飲みません。きれいな水に替えてやると、 ガブガブ。水を飲むことは生き物の必須です。

 水を頻繁に替えてやります。たまに、流しのところにお椀を置いたまま別のことをしていると、後ろで水のお盆をカリカリと掻く音がします。モモさん、水の催促です。右手でカリカリ、目はじっとお盆を見つめています。それでも私が水を持って行かないと、力強くお盆を叩きます。「はいはい、今持って行きますよ。」

 一年中、お散歩にも水のボトルを欠かしません。おしっこをした後始末にも使いますが、必ず2、3回水を催促します。立ち止まって、私の手の持っている水のボトルをじっと見つめます。「はいはい、」と屈んでお水をガブガブ。夏場はこのお水は冷たく冷やしたものを持って行きます。

 いささか手はかかりますが、モモさんが水を飲む姿を見るとホッとします。

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中秋節の飾り 香港

2016年09月12日 | 香港

曇り、25度、91%

 今週の木曜日はお月見、中秋節です。日本のお団子を作ってススキの穂影に月見をする風情とは違った中国のお月見です。月を愛でる事には変わりはありません。中国人にとってこの日は春節の次に大事な日かも知れません。お月見の翌日は祭日です。遅くまで月を見てますからゆっくりお休みくださいという祭日です。日本のお団子に代わるものは月餅です。月を見ながら月餅を食べる、そしてこの月餅は日本でいうお中元のような役目もします。月餅をお世話になった方や友人にお配りします。

 中秋節が近付くと、各ビルではその飾り付けも始まります。 お月見に行く子供達が持つ提灯も街のここかしこで売られます。 おめでたい時には赤を好む中国人らしい飾り物です。以前は子供の提灯には赤い小さなろうそくが立てられました。今ではLEDのライトです。提灯も紙で出来ていましたから、お月見の翌朝は道に焼けた提灯が転がっていました。飾り物も香港島で売られているのは今風です。ちょっと田舎に足を伸ばすと、昔ながらの飾り物が売られています。 

 春節同様、年々お祭りの気迫が薄れて来ています。お月見当日は個人商店は午後ともなれば店を締めます。うっかりお野菜なんか買いに行ってもお店は開いていません。中秋節にものんびりした空気が流れていました。それも昔の話です。お飾りの数は減り、提灯片手に歩く子供も少なくなりました。今年のお月様、曇り空にかかるそうです。雲に出たり入ったりの満月も楽しい。「あー、出て来た。」と笑っているようなお月様を眺めます。

  モモさん、お飾りの下で振り向いています。

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歩荷(ぼっか)

2016年09月11日 | 日々のこと

曇り、25度、96%

 衛星放送のNHKワールドを付けっ放しにしていました。この局はNHKの海外向けの局で英語放送です。尾瀬のことを紹介しています。アナウンサーの響きの良い「ぼっか」という言葉が耳に入って来ました。画面に目をやると、背負子に段ボールの箱をたくさん載せて歩く人の後ろ姿です。山小屋に日常品や食料品を担いで上がる人です。すれ違う人たちが道を開けてその「ぼっか」を通します。「ぼっか」私の耳には素敵な響きを持ってその言葉が残りました。

 英語放送ですから、荷を担ぐ人のことを英語で「ぼっか」というのかと思い調べます。英語ではなさそうです。確か放送では今では荷を担いであげるのは、この尾瀬地方だけになったと言っていました。そこで、「尾瀬、荷物担ぎ」で検索すると出て来ました。「歩荷」日本語です。

 山小屋に荷を担いで上がるのを仕事にしている人のことは、新田次郎の小説や串田孫一の「山のパンセ」などで読んで知っていましたが、「歩荷」と書いて(ぼっか)ということを知りませんでした。「歩荷」という字を文章の中で読んだことはあるかも知れません。その読みが(ぼっか)ではなく、きっと勝手に(ほに)とでも読んでいたのでしょうか。改めて「歩荷」と書いて(ぼっか)と読むことを認識します。

 この(ぼっか)の言葉に響きの良さに魅かれて、「歩荷」のことを調べてみました。今では何処の高い山小屋にもヘリコプターを使って荷を上げます。日本で「歩荷」を職業としている人は尾瀬地方だけのようです。しかもみんな男性。確かに数百キロの荷物を背負っての山道の仕事は女性のものではありません。それでも戦前は女性の「歩荷」もいたのだそうです。何故尾瀬にだけ「歩荷」が残っているのか、これは私の想像ですが、あの尾瀬の空にヘリコプターの騒音が響くのを避けてのことではないでしょうか。

 胸の辺で両腕を組むようにしてやや前屈みに背中にはたくさんの荷物を乗せて歩く「歩荷」のテレビに写し出された姿が忘れらません。無心で歩いているのでしょうか。何かを反芻しながら歩いているのでしょうか。山小屋にたどり着けば待っていた人の笑顔に迎えられます。その瞬間は、ほんとに肩の荷が下りる思いでしょう。でも、上れば降りなくてはなりません。行きとは違い背中には涼しい風も吹きます。周りの緑や鳥のさえずりを楽しむ余裕もあるはずです。行きに反芻して考えていたことも、帰りには雲が晴れるようになくなっているかもしれません。

 突然テレビから耳に飛び込んで来た「ぼっか」という言葉にここ数ヶ月いろいろな思いを合わせてみます。あの時、私の耳に「ぼっか」が聞こえなかったら、何処かで「歩荷」と書いてあっても「ほに」と今でも読んでいたかもしれません。澄んだ空気の中を伏し目がちに歩く「歩荷」の後ろ姿は何やら尊さが漂っていました。

 

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