チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

街路樹が繁ると

2016年09月24日 | 日々のこと

曇、26度、83%

 深圳に初めて行ったのは25年程前でした。駅の前には物乞いの子供達が沢山いました。一年中で一番寒い頃、春節でした。裸足でろくな服も着ていない子供達のことが忘れられません。当時深圳で高い建物といえば、駅前のシャングリラホテルだけだったように記憶しています。ここ10年です、めまぐるしい開発、中国の経済発展が国中に行き渡っていることを感じます。深圳の高いビル群は香港からでも見ることが出来ます。

 先日の深圳行きは深圳郊外にまで足を伸ばしました。深圳郊外は以前はライチの山でした。ライチの山合いの舗装もされていない道を通った思い出があります。その山を切り開いて道が作られ、工場用地が作られ、住宅が造られて行きました。車の窓からふっと見た光景に驚きます。谷間のようなところに幾本もの車専用の高架道路が上下に走っています。中国各地に向かう道の分岐点かもしれません。ここ深圳ばかりではないはずです。道は中国中に張り巡らされ、同じように高速鉄道網も国中に拡がっています。南の広東から北の北京まで車でも電車でも行ける時代です。目をつぶってその有様を想像するだけでも、中国の底の深さ、経済力、人の多さに圧倒されます。

 まだ、物乞いの子供がいた頃の深圳、それから10年程は緩やかに開発が進みました。道幅が広げられ道端には街路樹が植えられました。まだ若い苗木です。その頃はよくフェリーで深圳に入りましたが、一歩深圳に足を踏み入れると、乾いた空気が迎えてくれます。乾いたというより埃っぽい空気です。陽の光は地面に反射して、街が白っぽく見えました。肌ばかりか心までカサカサします。

 15年の月日は、街路樹を大きく育てました。中国でも南です、気温も高ければ雨も多く降ります。木の成長も早く、片道三車線の広い道の街路樹は背も高くなり緑を大きく拡げています。

 昨年来た時にも気付きます。街路樹が緑を湛えるようになると街を流れる空気が変わりました。肌を刺すようなイリイリした昔の空気は今の深圳の街にはもうありません。高い街路樹の下を歩く人も穏やかにな表情です。街が落ち着きを得ています。街も人も変わって行きます。小さなことですが、街路樹が街に緑ばかりか潤いを運んでくれています。

 見出し写真の街路樹が何処までも続きます。住む人が、この木を見上げてくれることを望みます。街路樹が繁ると、街は人が住むほんとの街に変わりました。

 

コメント
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