こんばんわ。
今日は地味な機関車ですが、セノハチの補機「EF61200番代」をアップいたします。
山陽本線で『西の箱根』の異名をとる瀬野~八本松間(通称:セノハチ)。片勾配でだらだらと長く続く山陽本線の難所であり、古くはSL時代から補機を必要とする区間です。
全国的に戦前型電機の淘汰かが進む中で、EF53やEF56を改造したEF59が比較的遅くまで補機を務め、脚光を浴びたのも私的にはそんな昔でもない感じがします。このことについては、過去ログ『瀬野八のプッシャーEF59 総集編』や『EF59 瀬野八での終焉』でアップしておりますのでご参考まで。
このEF59の老朽化に当たり、新性能車への置換えの必要から誕生したのがEF60を改造したEF61200番代です。
200番代車は、EF60の初期車(クイル式から釣り掛け式への改造)が抜擢されました。非貫通型であった前後正面に貫通路を設け、上り方に小さなデッキと、走行開放のための自動開放装置が設けられた、直流型電機でも極めて特徴的な顔を持った機関車となりました。
昭和57年10月4日 瀬野機関区にて EF61206
上り方エンドには新設されたデッキと、自動開放装置を設けたため特殊な長さとなった連結器、重連運転に備えたジャンパ栓類と、実に賑やか且つ厳つい顔つきとなっています。
いずれも 昭和57年10月4日 瀬野~八本松間にて
EF61200は、1000t級の貨物列車と、EF58が牽引する区間の牽引定数を下回る荷物列車に補機として使用されていました。
なぜそのような運用になってしまったのか・・・EF60の性能に問題があったと言われています。1200t級の列車では、EF61200をもってしても重連での補機が必要となってしまいますが、パワーが有り過ぎで貨車を後から突き上げ、脱線させてしまう危険性があることが分かりました。しかし、単機では性能的に補機として不足してしまうと言う、非常に中途半端な性能であったわけです。
よって、1000t級の貨物列車や荷物列車の補機に単機で就くことしかできなくなり、1200t級の貨物列車は従来どおりEF59の重連が続投することになったのです。これによって、EF59が結果的に延命されたことになり、私的にも3度訪問するチャンスが出来たのです。
ちなみに、EF61100番代として登場する予定であったEF61についてもほぼ同様の性能であったため、これらの問題から改造する計画が頓挫してしまい、結果としてEF61自身の寿命を早めることにもなってしまいました。
昭和59年2月10日 瀬野機関区にて 休車中のEF61201
先行試作的な改造車で、上り方改造デッキも他機より小振りで特徴のあった201号機。EF59が未だ活躍中であるにも拘らず、早くも休車になってしまいました。
これは、59・2のダイヤ改正による貨物列車の大削減により余剰が生じたもので、この時点では復活見込みのある一休車となっていますが、結局復活することは無く、隣の203号機と共にこのまま廃車になってしまったと記憶しています。
EF61200番代は、EF60一次型の特徴的な外観をもった大変貴重な機関車でありその活躍が期待されたにも拘わらず、貨物の大削減やその高性能が災いして、なんとも不遇な人生となってしまいました。
その後、EF67の登場により用途を失い、「EF61」としての短い人生を終えています。
今日は地味な機関車ですが、セノハチの補機「EF61200番代」をアップいたします。
山陽本線で『西の箱根』の異名をとる瀬野~八本松間(通称:セノハチ)。片勾配でだらだらと長く続く山陽本線の難所であり、古くはSL時代から補機を必要とする区間です。
全国的に戦前型電機の淘汰かが進む中で、EF53やEF56を改造したEF59が比較的遅くまで補機を務め、脚光を浴びたのも私的にはそんな昔でもない感じがします。このことについては、過去ログ『瀬野八のプッシャーEF59 総集編』や『EF59 瀬野八での終焉』でアップしておりますのでご参考まで。
このEF59の老朽化に当たり、新性能車への置換えの必要から誕生したのがEF60を改造したEF61200番代です。
200番代車は、EF60の初期車(クイル式から釣り掛け式への改造)が抜擢されました。非貫通型であった前後正面に貫通路を設け、上り方に小さなデッキと、走行開放のための自動開放装置が設けられた、直流型電機でも極めて特徴的な顔を持った機関車となりました。
昭和57年10月4日 瀬野機関区にて EF61206
上り方エンドには新設されたデッキと、自動開放装置を設けたため特殊な長さとなった連結器、重連運転に備えたジャンパ栓類と、実に賑やか且つ厳つい顔つきとなっています。
いずれも 昭和57年10月4日 瀬野~八本松間にて
EF61200は、1000t級の貨物列車と、EF58が牽引する区間の牽引定数を下回る荷物列車に補機として使用されていました。
なぜそのような運用になってしまったのか・・・EF60の性能に問題があったと言われています。1200t級の列車では、EF61200をもってしても重連での補機が必要となってしまいますが、パワーが有り過ぎで貨車を後から突き上げ、脱線させてしまう危険性があることが分かりました。しかし、単機では性能的に補機として不足してしまうと言う、非常に中途半端な性能であったわけです。
よって、1000t級の貨物列車や荷物列車の補機に単機で就くことしかできなくなり、1200t級の貨物列車は従来どおりEF59の重連が続投することになったのです。これによって、EF59が結果的に延命されたことになり、私的にも3度訪問するチャンスが出来たのです。
ちなみに、EF61100番代として登場する予定であったEF61についてもほぼ同様の性能であったため、これらの問題から改造する計画が頓挫してしまい、結果としてEF61自身の寿命を早めることにもなってしまいました。
昭和59年2月10日 瀬野機関区にて 休車中のEF61201
先行試作的な改造車で、上り方改造デッキも他機より小振りで特徴のあった201号機。EF59が未だ活躍中であるにも拘らず、早くも休車になってしまいました。
これは、59・2のダイヤ改正による貨物列車の大削減により余剰が生じたもので、この時点では復活見込みのある一休車となっていますが、結局復活することは無く、隣の203号機と共にこのまま廃車になってしまったと記憶しています。
EF61200番代は、EF60一次型の特徴的な外観をもった大変貴重な機関車でありその活躍が期待されたにも拘わらず、貨物の大削減やその高性能が災いして、なんとも不遇な人生となってしまいました。
その後、EF67の登場により用途を失い、「EF61」としての短い人生を終えています。