3回連続でED75ネタとなってしまいましたので、今日は電車を。
先般、高崎駅における80系の写真をアップいたしましたが、今日は同じ日に撮った両毛線の70系の写真をお届けしたいと思います。
特に、今日はカラー写真をチョイスしてみました。
昭和53年3月12日 高崎駅にて 両毛線 70系 (3枚とも)
70系電車は、言わずと知れた横須賀線用の電車として登場しました。
晩年は70系のみの編成が多く見られましたが、登場時は既存の戦前型車両との混結が前提でもありましたので、横須賀線時代にはあまり統一されたキレイな編成は見られなかったようです。
地方に転出後は小単位(4両編成など)で組成されたケースが多く、この場合は比較的整った編成で運用されていました。それでも、中京圏における中央西線、関東では中央東線、関西では阪和線など、5~8両で組成された列車は、戦前形やモハ73形、80系改造のクハ・サハとの混結が多く見られました。
両毛線では、基本的にクハ76+モハ70+モハ70+クハ76の整った編成が多かったですが、一部の編成にサロ85改造のクハ77という珍車もいました。
この写真を撮った頃も、そろそろ70系の引退が見え始めていた頃でした。
母親の実家に行くとき小山駅を通ると、東北本線から少しずれたホームに4両で小休止している70系を良く見かけましたね。
この頃はあまり走行写真を撮ることはなかったので、今となってはもっときれいな写真を撮っておきたかったと思います。
先般、高崎駅における80系の写真をアップいたしましたが、今日は同じ日に撮った両毛線の70系の写真をお届けしたいと思います。
特に、今日はカラー写真をチョイスしてみました。
昭和53年3月12日 高崎駅にて 両毛線 70系 (3枚とも)
70系電車は、言わずと知れた横須賀線用の電車として登場しました。
晩年は70系のみの編成が多く見られましたが、登場時は既存の戦前型車両との混結が前提でもありましたので、横須賀線時代にはあまり統一されたキレイな編成は見られなかったようです。
地方に転出後は小単位(4両編成など)で組成されたケースが多く、この場合は比較的整った編成で運用されていました。それでも、中京圏における中央西線、関東では中央東線、関西では阪和線など、5~8両で組成された列車は、戦前形やモハ73形、80系改造のクハ・サハとの混結が多く見られました。
両毛線では、基本的にクハ76+モハ70+モハ70+クハ76の整った編成が多かったですが、一部の編成にサロ85改造のクハ77という珍車もいました。
この写真を撮った頃も、そろそろ70系の引退が見え始めていた頃でした。
母親の実家に行くとき小山駅を通ると、東北本線から少しずれたホームに4両で小休止している70系を良く見かけましたね。
この頃はあまり走行写真を撮ることはなかったので、今となってはもっときれいな写真を撮っておきたかったと思います。
西馬込はいかがでしたか。アップ楽しみにしています。
今後とも宜しくお願いします。
いえいえ、こちらこそ本当にありがとうございました。最近は1人での撮影が多かったのですが、久しぶりに楽しい撮影ができました。
また、あたたかいおもてなしまでいただき、誠にありがとうございました。
反省点や今後の課題等に付きましては、ブログ記事の中で語りたいと思いますので、今後ともよろしくお付き合いの程お願いいたします。
お疲れ様でした。
音楽ネタです。ジューダス.プリーストなんかはお聴きになったりしたのでしょうか? SINNERとかSTARBREAKERなんかははまりました。
70系も80系も、戦前型に比べると整っているように思われがちですが、その詳細を洗ってみると、意外と雑多な年次、改造車などが存在するんですね。私もそのことを知ったのは「国鉄電車ガイドブック」という本を購入してからです。
ただ、Nゲージではこのあたりのバリエーションは非常に少なく不満があるのですが、蟻あたりに作ってもらっても、既存のKATOやGMのキットとは色々な意味でバランスが取れないので、あまり期待はできません。
クハ75については写真はありませんが、Nで製作したものがありますので、いずれアップする機会があると思います。
ジューダス.プリーストというのは、残念ながら聞き覚えがありません。私は新しい曲を聞くときも、インスピレーションが合わないと一切受け付けない体質のようなので、音楽の見聞は非常に狭いと思います。ゴメンナサイ。
ところで、金太郎様はブログとかHPはやっていないのですか
同じような塗装でも、スカ色になると妙に愛嬌のある顔になるから不思議です。制御電動車を持たなかったからか、戦前型より早く全廃になったのは皮肉な運命でしたね。年次による形態の違いもさることながら、落成時の配置が関西か関東か、でも外観の差があるようです。ご存知かもしれませんが、「おいらの70形電車」というサイトさんが、強烈なナナマルフリークで、一見の価値ありですよ。
ブログやってらっしゃらないですか。残念ですね。
基本的には私も過去の蓄積を中心にネタ作りをしていますが、それだとやはり限界があります。
忙しいときはサボりたくもなりますしね。今はまだ皆勤賞なので、それを糧に毎日更新しているわけですが。
「おいらの70形電車」というのは知らなかったですね。早速行ってみます。
70系の寿命は確かに中間電動車方式だったことが祟った可能性が高いですね。それと、70系登場と新性能車の登場までの期間が短かったかとも短命の原因だったかと。
私は両毛線や中央本線名古屋口くらいしか見たことがなく、そういった意味では地味な活躍に見えました。
いつも年齢差が影響してしまいますが、あと3年くらい早く生まれていれば、各地の70系を撮りに行っていたんでしょうね。70系ほど塗装バリエーションがあって、時代や各地で様々な味を持っていた旧国も他にはないみたいですね。
昭和53年3月といえば、岩倉卒業の時期でした。
自動車学校に通っていた頃でした。
私ゃ中2の終わりですね。モノクロも味があって良いですが、新潟色と区別が付きづらいですよね。カラーでの再現も必要だと思います。