今日は、昨日の予告どおり、旧型国電をお届けしたいと思います。
まずはモハ72系からご覧いただきます。
昭和53年2月19日 鶴見駅にて 折り返し待機中のクモハ73形
多分ですが、初めて鶴見線を訪れたときの写真です。
今までアルバムに入れたまま何も気にしていなかったのですが、鶴見線で撮ったクモハ73の写真は、この写真のものを除いて全て更新工事施行車でした。もしかしたら台数的に少なかったのでしょうか。同じ頃まで残っていた南武線や横浜線も同様に更新車ばかりでしたので、ライトが屋根上にある限りなく原形に近いクモハ73の未更新車の写真はこれしかないようです。(あっ!マヤ検のクモハ73がありました。)
昭和54年12月頃 武蔵白石駅にて 更新工事施行済みのクモハ73
こちらは、上の写真よりも後に撮影したものです。更新済みのタイプで、高窓・ライト埋め・客窓のサッシ化が実施されています。
撮影場所は、構内配線の状況から、おそらく武蔵白石ではないかと思われます。
昭和54年12月頃 浅野駅にて 原形3段窓のクハ79450
こちらは、上の写真と同日に撮影したものです。一見更新後のような整ったスタイルをしていますが、3段窓をはじめ、埋め込み式のヘッドライトも登場時からのものです。どうも、クハ79のこの番台区分が、101系の顔の始祖だったようですね。
こちらは、クモハ12です。
昭和53年2月19日 武蔵白石駅にて 折返しを待つ大川支線の主クモハ12
一番上の写真と同じときに撮影したものです。
当時はクモハ12の専用支線でしたので、もちろん武蔵白石が大川支線の基点だった頃です。1面2線の変則島式ホームは17m車1両が停車するのがやっと。このお陰で101系入線後もクモハ12が活躍できたわけですね。もしこの状況がなかったら、クモハ12は即刻解体されていたかもしれません。
次回は、モハ72系の残りと101系をお届けする予定です。
まずはモハ72系からご覧いただきます。
昭和53年2月19日 鶴見駅にて 折り返し待機中のクモハ73形
多分ですが、初めて鶴見線を訪れたときの写真です。
今までアルバムに入れたまま何も気にしていなかったのですが、鶴見線で撮ったクモハ73の写真は、この写真のものを除いて全て更新工事施行車でした。もしかしたら台数的に少なかったのでしょうか。同じ頃まで残っていた南武線や横浜線も同様に更新車ばかりでしたので、ライトが屋根上にある限りなく原形に近いクモハ73の未更新車の写真はこれしかないようです。(あっ!マヤ検のクモハ73がありました。)
昭和54年12月頃 武蔵白石駅にて 更新工事施行済みのクモハ73
こちらは、上の写真よりも後に撮影したものです。更新済みのタイプで、高窓・ライト埋め・客窓のサッシ化が実施されています。
撮影場所は、構内配線の状況から、おそらく武蔵白石ではないかと思われます。
昭和54年12月頃 浅野駅にて 原形3段窓のクハ79450
こちらは、上の写真と同日に撮影したものです。一見更新後のような整ったスタイルをしていますが、3段窓をはじめ、埋め込み式のヘッドライトも登場時からのものです。どうも、クハ79のこの番台区分が、101系の顔の始祖だったようですね。
こちらは、クモハ12です。
昭和53年2月19日 武蔵白石駅にて 折返しを待つ大川支線の主クモハ12
一番上の写真と同じときに撮影したものです。
当時はクモハ12の専用支線でしたので、もちろん武蔵白石が大川支線の基点だった頃です。1面2線の変則島式ホームは17m車1両が停車するのがやっと。このお陰で101系入線後もクモハ12が活躍できたわけですね。もしこの状況がなかったら、クモハ12は即刻解体されていたかもしれません。
次回は、モハ72系の残りと101系をお届けする予定です。
旧国の場合は、もう少し早く淘汰するつもりだったんじゃないでしょうかね。それに引き換え、気動車の10系とか20系は意外と早くなくなった割りに改造されていたように思います。これは地方だから安全を重視した結果なのでしょうか?
あちこちの私鉄の車両において見受けられたヘッドライトのSB化、側扉のSUS化、パンタや台車の交換そしてカルダン化などモハ72系電車[除くアコモ車]にあっても良さそうな感じでしたけど、そのような改造をすることなく姿を消していったのはむしろ不思議な位です。
それでは、この辺にて失礼いたします。
旧国で字幕使用車があったのは知りませんでした。私が見たのはみんな白のままでしたね。
この時期のチョコは冷やさないと不味いですよ。
我が職場のアルバイト女史で軟らかいのが好きと言うイレギュラーもいますけど。
字幕が鶴見線と出ていた車両です。
なんかカラーの画像の車体を見てたら、チョコレートが食べたくなってきました。