今日は、鶴見線の103系時代をお届けいたします。
205系による103系の淘汰が顕著になってきた頃、各線の103系を手当たり次第に撮ってきました。そのときの写真です。
撮影は、すべて平成14年5月5日です。
国道駅にて
旧型時代も含めて、初めて下車しました。国道駅って、何か昭和30年代の映画に出てくる風景のセットのように感じました。写真は645のリバーサルダイレクトプリントですが、あの頃デジカメを持っていたら駅の写真をたくさん撮っていたことでしょう。
浅野駅にて
鶴見方面から分岐への進入。複線同士の振分線は、奥羽本線の「赤岩」を思い出します。(周りの風景が違いすぎますけど・・・。)
浅野駅にて
逆光でチョット厳しい写真になってしまいました。しかし、この芝浦支線のホーム、都会にあるまじきカーブですね。
安善~武蔵白石間にて
高圧線柱を兼ねたうっとしい風景。普通なら腹立たしいのですが、鶴見線らいいという風景でしょうか。
鶴見線は、103系が終焉まで残った路線ですが、低窓車のみ残留配置という、ある意味幸運な路線でした。すべてが3両編成運用のためクモハが必要なこと、上り下りで違うタイプの運転台に不都合があったこと、などが考えられると思います。
ブログを最近始めたものですから、懐かしい写真というよりは、ネタ遅れなだけの鶴見線103系になってしまいました。それでも、この写真を撮ってからすでに5年も経つんですね。
おって、101系や73系をお届けする予定です。お楽しみに!
205系による103系の淘汰が顕著になってきた頃、各線の103系を手当たり次第に撮ってきました。そのときの写真です。
撮影は、すべて平成14年5月5日です。
国道駅にて
旧型時代も含めて、初めて下車しました。国道駅って、何か昭和30年代の映画に出てくる風景のセットのように感じました。写真は645のリバーサルダイレクトプリントですが、あの頃デジカメを持っていたら駅の写真をたくさん撮っていたことでしょう。
浅野駅にて
鶴見方面から分岐への進入。複線同士の振分線は、奥羽本線の「赤岩」を思い出します。(周りの風景が違いすぎますけど・・・。)
浅野駅にて
逆光でチョット厳しい写真になってしまいました。しかし、この芝浦支線のホーム、都会にあるまじきカーブですね。
安善~武蔵白石間にて
高圧線柱を兼ねたうっとしい風景。普通なら腹立たしいのですが、鶴見線らいいという風景でしょうか。
鶴見線は、103系が終焉まで残った路線ですが、低窓車のみ残留配置という、ある意味幸運な路線でした。すべてが3両編成運用のためクモハが必要なこと、上り下りで違うタイプの運転台に不都合があったこと、などが考えられると思います。
ブログを最近始めたものですから、懐かしい写真というよりは、ネタ遅れなだけの鶴見線103系になってしまいました。それでも、この写真を撮ってからすでに5年も経つんですね。
おって、101系や73系をお届けする予定です。お楽しみに!
国道駅は鉄道誌などで見たんですが、確かに戦後間もないような時代に戻れるような雰囲気の駅ですね。
一度も下車した事ないので、機会があったら行ってみよう。(この機会がいつになるやら・・・)
私もこの撮影のときに初めて降りたのですが、何かねぇ、評判よりも薄暗くてキモイ感じがしました。正直な感想です。夜になると変質者でも潜んでいそうな。女性には嫌われそうな雰囲気・・・。
写真のなかにある門形鉄塔=通称:ガントリー=というと私鉄では創業時における一般向け配電事業の名残りから、かつてはあちこちにおいて見ることが出来たけど、鉄塔や送電設備の老朽化によるルート変更で廃止になったり、或るいは送電線の地中化やケーブル化などにより、近年においてはかなり見られなくなっています。
私は偉容を誇っているこれらの送電鉄塔をバックに走る電車の写真をいくつか撮っていますが、どの会社におきましても個性的な鉄塔であり、いつ消えるかもしれないこれらの記録をしっかりと遺してゆきたいと思います。
それでは、この辺にて失礼します。
門型鉄塔は、初めて見たとき、非常に鬱陶しいと思ったのですが、改めてみると鶴見線らしいと言うか、鶴見線でなければ見られないような景色なんですね。自然の中を行く鉄道はもちろんすばらしいですが、こうした地域の在るべき鉄道の姿も捉えておきたい情景なんですね。