マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

気怠い1日

2014-12-01 01:49:00 | ノンジャンル
こんばんわ。

もう土日が終わってしまいました。休んだ気がしません。

仲人さんが亡くなったと奥様から連絡があったのが8月の終わり。実際に亡くなったのは1月の末。本人の希望で密葬にしたということ。
既に退職しているが、亡くなったのは67歳という年齢。実父も65歳だったから、この若さで亡くなるということに、親族の悲しみ、悔しさは痛いほどわかります。

早々に伺うべきでしたが、9月10月は娘の学校や町会のイベントが目白押しで、先方からも落ち着いたらと言われていたので、そのタイミングを計っていたところ、遅くても年内に、12月はバタバタの予想もついていたので、ということもあり、先日の土曜日にやっと仏前にお挨拶することが出来ました。
今までにあまり見たことが無かった笑顔の遺影でした。

仲人さんの次男も来てくれていて、彼が小学校以来だから、会うのも20年振りくらいだろうか、既に結婚していて2人目の子供もおり、すっかり大人になっていました。

3時間以上もお邪魔してしまい、私の知らなかった個人の素顔を色々と知り、驚きや喜びも多かった。本人が居ないからこそ明かされたことでしょう。そんなんで、悲しみと言うよりは、楽しく過ごすことが出来ました。

しかし、やはり帰ってきたらガッカリ感と異常なまでの疲れで、日曜日は何もやる気をなくしてグッタリしてしまいました。この間、訪問することができなかったストレス、ご挨拶できたことのホッと感というか、まして本当に本人が亡くなっていたことに対する現実に改めてショックが伝わって来たのかもしれません。

自分も確実に歳をとっている訳だから、周りの年上の方はどんどんと亡くなっていく、それは当たり前だと思ってます。先輩では現役中に30代後半から50歳代で亡くなってしまった方も何人も居ました。
自分も歳を重ね、あと10年、15年しか生きられないとしたら、「今どう生きていけばいいのだろうか?」と考えてしまうこともしばしば。しかし、答えが見つかることもなく、ダラダラと1日を過ごしてしまうことに罪悪感すら感じてしまう。

また1週間が始まり、仕事が忙しくなると、そんなこともまた忘れて疲れるだけの日々が流れていくのか・・・そうわかってしまうのがなんか悲しいですね。

すみません。なんか言いたくて。

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コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (ホビぽっぽ)
2014-12-01 15:14:00
ご愁傷様です

最近私も「人が亡くなる」ことをやけに身近に感じるような気がしてきました。
幸い私は双方の両親とも健在なのですが、事故や急病・災害などで前途ある方やまだまだご活躍を期待している方が逝ってしまうのが残念です。

50代にもなると、そろそろ自分にも「いつお迎えが来るか」という不安が次第に大きくなっていくのでしょう。
と同時にある種あきらめのように「いつ来てもいいのかな」という悟りのような気持ちも出てくるのかもしれません。

あまり深刻に考えずに「ああ楽しかった」と言って棺桶に収まりたいものです。
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Unknown (キハ181つばさ)
2014-12-04 01:55:19
ホビぽっぽ様
こんな話題にコメントありがとうございます。
子供が出来るまでは「その時はその時」と思ってましたが、家族が構成されると、親の財産、代々続く墓、自分の鉄道模型やカメラ、といったセコイ話まで気掛かりになるようになってきました。
この年になると、今まで生きてきた時間の半分もこの先が無い、ということが分かってますので、時間の流れも早く感じる訳だし、どうやって自分を終わらせたらいいのか?なんて考えてしまいます。その間にも時間は容赦なく流れていきます。
自己中心的に好きなように生きていければ、そんな楽な死に方はないですよね。ある意味、自殺なんて一番勝手で楽な死に方かもしれません。後のことも周りのことも考えなくて良い訳だし。
何歳くらいまで生きていられれば良いのですかね(笑)。私は痴呆になってまで生きたくないと思っているんですけど。
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