私がいつもお邪魔しておりますブログ「デザイン屋の日々」管理人のline様のコメントより、大変貴重な写真のご提供をいただきましたので、ここにご紹介させていただきたいと思います。
先日、北上線を走る20系客車を使用したDD51牽引の「おが」に関する記事をアップいたしましたが、これに関連して、line様より男鹿線を走るDD512牽引の旧客時代の急行「おが」の画像を紹介されました。
写真の構図も然ることながら、状況の描写が大変すばらしく、いつもはヨダレをたらしながら拝見しているのですが、今回は鳥肌が立ってしまいました。
とにかく写真を1度ご覧ください。
※下のURLをクリックした後、記事下方のコメント欄「キハ181つばさ」への回答コメントに表示されているURLをクリックしてください。
line様「デザイン屋の日々」 http://diary.jp.aol.com/qegbrh4/83.html#comment
男鹿線を走るDD51の2号機が旧客編成を牽く画像ですが、座席車に続きB寝台・A寝台・座席車1両(指定席車)という編成で、荷物車が連結されていないことから、紛れも無く急行「おが」であることが判ります。
当時の編成を知る者にとって、写真1枚から1つの列車を判別することができる大変すばらしい構図に感動いたしました。
そして何より、牽引機が2号機であることです。
実は、ここにこの写真をご紹介させていただいた理由はもう1つあります。
この写真を見て、何か気が付かれたことはありますでしょうか?
私の知る限り(というか、私が知らなかっただけかも)、DD51の初期車は、試作車の1号機から19号機までは正面の白線が直線で結ばれており、ナンバープレートの部分はグレーになっている筈です。これは、DD51初期車の外見における最大の特徴と思っております。
このことについては、過去ログにも掲載しておりますので、ご覧いただければお解かりいただけると思います。 http://diary.jp.aol.com/marutetsu/img/1190041424.jpg
この2号機の写真をじっくり拝見させていただくと、ナンバー上を横切る線が不安定で、さらに注意深く観察すると、左右のライトの下辺を結ぶ辺りに直線の塗装痕のようなものが伺えます。ですので、何らかのきっかけで強引に塗り替えたのではないかと想像することもできます。
2004年12月号の「鉄道ピクトリアル」誌でDD51が特集してあり、詳細な解説資料が掲載されていますが、2号機の塗色に関する記事が見当たらないことから、いつ頃からいつ頃まで、或いは昭和60年8月15日付で廃車になるまでこの標準塗装であったのか謎であります。
私は個々の車輌の調査・研究をするほどの技量も知識もありませんが、今回この貴重な写真をご提供いただき、大変勉強になりました。
また、line様のブログ「デザイン屋の日々」 http://diary.jp.aol.com/qegbrh4/では、私と同時期またもう少し前の時代の写真を、私の写真とは比べ物にならない、すばらしい構図で紹介されております。
ご覧の皆様も、ぜひお尋ねになってみて下さい。オススメです。
先日、北上線を走る20系客車を使用したDD51牽引の「おが」に関する記事をアップいたしましたが、これに関連して、line様より男鹿線を走るDD512牽引の旧客時代の急行「おが」の画像を紹介されました。
写真の構図も然ることながら、状況の描写が大変すばらしく、いつもはヨダレをたらしながら拝見しているのですが、今回は鳥肌が立ってしまいました。
とにかく写真を1度ご覧ください。
※下のURLをクリックした後、記事下方のコメント欄「キハ181つばさ」への回答コメントに表示されているURLをクリックしてください。
line様「デザイン屋の日々」 http://diary.jp.aol.com/qegbrh4/83.html#comment
男鹿線を走るDD51の2号機が旧客編成を牽く画像ですが、座席車に続きB寝台・A寝台・座席車1両(指定席車)という編成で、荷物車が連結されていないことから、紛れも無く急行「おが」であることが判ります。
当時の編成を知る者にとって、写真1枚から1つの列車を判別することができる大変すばらしい構図に感動いたしました。
そして何より、牽引機が2号機であることです。
実は、ここにこの写真をご紹介させていただいた理由はもう1つあります。
この写真を見て、何か気が付かれたことはありますでしょうか?
私の知る限り(というか、私が知らなかっただけかも)、DD51の初期車は、試作車の1号機から19号機までは正面の白線が直線で結ばれており、ナンバープレートの部分はグレーになっている筈です。これは、DD51初期車の外見における最大の特徴と思っております。
このことについては、過去ログにも掲載しておりますので、ご覧いただければお解かりいただけると思います。 http://diary.jp.aol.com/marutetsu/img/1190041424.jpg
この2号機の写真をじっくり拝見させていただくと、ナンバー上を横切る線が不安定で、さらに注意深く観察すると、左右のライトの下辺を結ぶ辺りに直線の塗装痕のようなものが伺えます。ですので、何らかのきっかけで強引に塗り替えたのではないかと想像することもできます。
2004年12月号の「鉄道ピクトリアル」誌でDD51が特集してあり、詳細な解説資料が掲載されていますが、2号機の塗色に関する記事が見当たらないことから、いつ頃からいつ頃まで、或いは昭和60年8月15日付で廃車になるまでこの標準塗装であったのか謎であります。
私は個々の車輌の調査・研究をするほどの技量も知識もありませんが、今回この貴重な写真をご提供いただき、大変勉強になりました。
また、line様のブログ「デザイン屋の日々」 http://diary.jp.aol.com/qegbrh4/では、私と同時期またもう少し前の時代の写真を、私の写真とは比べ物にならない、すばらしい構図で紹介されております。
ご覧の皆様も、ぜひお尋ねになってみて下さい。オススメです。
参考程度に考えていたのですが、2号機についての考察こちらこそ有難うございます。
この写真は昭和55年の夏頃に奥羽本線の土崎あたりで撮ったと思われます。目的はED75日本海でしたが、たまたまやってきたおがをあせって撮った思いがあります。
DD51も結構通りましたが、1桁台はこの1枚だけでした。
ラッキーだったのでしょう。
昭和55年までは現役だったのですね。ちなみに、私がアップした休車体は56年ですので、もう少し活動範囲が広ければ現役時代に間に合ったわけですが。でも高校2年生くらいじゃムリでしたかね。
また貴重な写真をお待ちしております。