今日の「ゲゲゲの女房」
昨日、写真を2枚も使ってしまったので、本日の分、さて、どうしよう。
芝居や芸術に情熱を傾けた、水木しげるの父。
父の叔父もまた、パリで絵画の世界を追求していた。
絵画から漫画へと、ちょっこし変形したが
芸術家の血は、叔父から息子に受け継がれた、と、安心して、あの世に行く父。
家族に見守られながら、自宅で、枯れるようにして息を引き取るなんて、
出来すぎ感はあるものの、ああいった最期を迎えられる人は最高だろう。
自分の果たす役割は終え、すべて見届け、あの世に旅立つなんて、かっこいい。
実際は、そんなにうまくは行かないことが多いけれど。
遺された老妻もいるし、今後、一人身になり、ますます老いていく老妻は、
痴呆症になるかも知れないし、病気になるかも知れないし
家族のお荷物にもなりかねない。
ああやって、先に、この世とサヨナラする、オジイチャンは、幸せだ。
男性の平均寿命は女性より短いのは、神様からの贈り物?
女性に比べて、一人になると生きて行きにくい男性への、先に死なせてあげようという
ちょっとお節介で、マザコンがかった配慮?
太く短く、有事に活躍するように創られた、男性の宿命?
女性は、夫が亡くなった後、しばらくは落ち込んでも、
復活著しく、元気溌剌になっている人を何人も知っている。
いかに、家事をしない老後の夫がお荷物だったか。
夫がいないと、食事タイムに縛られることもなく、自由、気まま。
スポーツクラブでも、夫が待っているからと、夕食の支度にそそくさと帰る老妻たち。
案外、あれが生きがいなのかもしれない。
家で待っている猫に餌をやらなきゃあ・・・の、感覚?
自分という存在が必要とされていることが、生きがいになっているようだ。
子供は成長し、親を追い越し、やがて、老いて衰えた親のことを疎ましく感じる。
老いによる悲しみや、苦労を共に分かち合えるのは、
同じようなスピードで老いていく、夫や同世代の人々かも知れない。
子供や孫は、楽しみではあっても、依存できない。
年が行けば、子供をアテにせず(精神的にも肉体的にも経済的にも)、
自立する道を確保しなければ、生きていけない。
子供のお荷物、ご厄介には、誰もなりたくはない。
(でも、理想と現実は、違うことが常)
だからことさら、元気なうちに、色々用意しておきたいと切願する。
これからは、年寄り仲間を増やして、支えあって生きていかないと・・・
などと言っては、年寄り(老親)を抱える身にしては、順序、気が早すぎるか。
先に、あの老親を、あの世に元気にお送りしなければ・・・
老親は、まだピンピンしていて、自分の年齢を感じ取っていないのは有難いが、
権力やパワーが強すぎる老人は、引退の時機を失っている。
年相応に老人ぶってみても、周りが示す冷たい反応には、いささか気の毒ではある。
いつまでも、権力の座を確保したがるのは、生身の証拠。
生きる源みたいなものだから、そではそれで、いいんじゃないだろうか。
子供のオモチャを取り上げるように、老人から権力や役割を取り上げてしまっては
生気がなくなってしまい、しぼんでしまう。
楽しい人生は、ぱっと終わる。
自分の役割を果たしたら、この世には未練はない。
「老い」という自然の時期が来て、ぱっと散っての人生は、潔い。
あんな風にうまくいかないのが、人生。
その頃には、私は毎朝、毎夕、その日の気分で好きな香りの「お香」を選んで、焚き、
適当で間違いだらけのお経でもあげて、ついでにヘタな写経でもして、心の安定を図ろうか。
そろそろ暑さも峠を越すという。
とはいうものの、まだ暑いさなか、
今日は、歌舞伎に行く。
居眠りしないことを目標に(目標はあくまで低く)、行ってまいります。
さて、何分持つか??? 私の目。
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昨日、写真を2枚も使ってしまったので、本日の分、さて、どうしよう。
芝居や芸術に情熱を傾けた、水木しげるの父。
父の叔父もまた、パリで絵画の世界を追求していた。
絵画から漫画へと、ちょっこし変形したが
芸術家の血は、叔父から息子に受け継がれた、と、安心して、あの世に行く父。
家族に見守られながら、自宅で、枯れるようにして息を引き取るなんて、
出来すぎ感はあるものの、ああいった最期を迎えられる人は最高だろう。
自分の果たす役割は終え、すべて見届け、あの世に旅立つなんて、かっこいい。
実際は、そんなにうまくは行かないことが多いけれど。
遺された老妻もいるし、今後、一人身になり、ますます老いていく老妻は、
痴呆症になるかも知れないし、病気になるかも知れないし
家族のお荷物にもなりかねない。
ああやって、先に、この世とサヨナラする、オジイチャンは、幸せだ。
男性の平均寿命は女性より短いのは、神様からの贈り物?
女性に比べて、一人になると生きて行きにくい男性への、先に死なせてあげようという
ちょっとお節介で、マザコンがかった配慮?
太く短く、有事に活躍するように創られた、男性の宿命?
女性は、夫が亡くなった後、しばらくは落ち込んでも、
復活著しく、元気溌剌になっている人を何人も知っている。
いかに、家事をしない老後の夫がお荷物だったか。
夫がいないと、食事タイムに縛られることもなく、自由、気まま。
スポーツクラブでも、夫が待っているからと、夕食の支度にそそくさと帰る老妻たち。
案外、あれが生きがいなのかもしれない。
家で待っている猫に餌をやらなきゃあ・・・の、感覚?
自分という存在が必要とされていることが、生きがいになっているようだ。
子供は成長し、親を追い越し、やがて、老いて衰えた親のことを疎ましく感じる。
老いによる悲しみや、苦労を共に分かち合えるのは、
同じようなスピードで老いていく、夫や同世代の人々かも知れない。
子供や孫は、楽しみではあっても、依存できない。
年が行けば、子供をアテにせず(精神的にも肉体的にも経済的にも)、
自立する道を確保しなければ、生きていけない。
子供のお荷物、ご厄介には、誰もなりたくはない。
(でも、理想と現実は、違うことが常)
だからことさら、元気なうちに、色々用意しておきたいと切願する。
これからは、年寄り仲間を増やして、支えあって生きていかないと・・・
などと言っては、年寄り(老親)を抱える身にしては、順序、気が早すぎるか。
先に、あの老親を、あの世に元気にお送りしなければ・・・
老親は、まだピンピンしていて、自分の年齢を感じ取っていないのは有難いが、
権力やパワーが強すぎる老人は、引退の時機を失っている。
年相応に老人ぶってみても、周りが示す冷たい反応には、いささか気の毒ではある。
いつまでも、権力の座を確保したがるのは、生身の証拠。
生きる源みたいなものだから、そではそれで、いいんじゃないだろうか。
子供のオモチャを取り上げるように、老人から権力や役割を取り上げてしまっては
生気がなくなってしまい、しぼんでしまう。
楽しい人生は、ぱっと終わる。
自分の役割を果たしたら、この世には未練はない。
「老い」という自然の時期が来て、ぱっと散っての人生は、潔い。
あんな風にうまくいかないのが、人生。
その頃には、私は毎朝、毎夕、その日の気分で好きな香りの「お香」を選んで、焚き、
適当で間違いだらけのお経でもあげて、ついでにヘタな写経でもして、心の安定を図ろうか。
そろそろ暑さも峠を越すという。
とはいうものの、まだ暑いさなか、
今日は、歌舞伎に行く。
居眠りしないことを目標に(目標はあくまで低く)、行ってまいります。
さて、何分持つか??? 私の目。
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