蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

欲しいものが、ホシイ

2010-09-27 | お付き合い
坊主丸儲け??

昨日は、法事。
義母に何年も前から言われていて、去年ぐらいから具体的に進められ、
今年の初めには、日程が決めらたものだ。
次は、3年後???(正確な数字は、ちょっと忘れた、というか、ちゃんと聞いてない)
万が一、義母が亡くなった場合は、変則パターンが決まっていて、延ばされるらしい。


お坊さんは、「坊主丸儲け」という言葉かあるように、本当に丸儲けだ。
扶養家族を何人も抱えておられるので、それはそれで、収入は不可欠ではあるが。
労働と対価が、正当に、釣り合っているかというと、ビミョー。

サラリーマンのように定期的な額が保証されているわけではないし、
お葬式が重なると、超多忙だが、ヒマな時もある。
「いつ亡くなるか」なんてことはわからないので、常にスタンバイし、亡くなると駆けつける。
(その点、法要は、あらかじめ予定が組まれているので、動きやすいし、年間スケジュールや収入のメドが立つ)


「人命を守る」側と、「あの世」側

お坊さんは、(職業 業務内容として)実に、羨ましい面がある。
それは、スタンバイは大変だろうが、亡くなってから行けばいいからだ。
その点、医師は亡くならないようにスタンバイしなければいけない。
同じスタンバイでも、ちょっと性質が違う。
臨機応変に、最新医療で対応するのと、何百年も前から同じことをやっているのとでは、
緊張感が全く違う。
遺族も、医師を責めることはあるかも知れないが、お坊さんに文句を言う人はないのでは?
お坊さんは、心の安らぎを与える側の特別職なのだろうけれど。

交通機関の運転士や工事関係者、医療関係者など、
ちょっとしたことで人身事故、大事故につながる危険性と背中合わせに仕事をしている人に比べると
業務内容で、人命にかかわるような緊張感とは無縁。
(すでに亡くなってからの、お付き合いだから、人命云々については、責任としては、管轄外)


金額は、心を反映している??? Or not???

ちなみに
お布施は、家によって金額が違うようだ。
大きな節目の法要の時は、ぐんと価格がアップ。
全く同じことをするのだが、その回忌によって、価格で、遺族の気持ちの濃淡を表すのか????


お寺さんはじめ、こういう交流、お付き合いは、故人、遺族にとって大事なのだろうけれど。
(顔も知らない)随分前に亡くなった故人に、お寺さんを中心に、法要参加者が故人との交流を図る。
お供えも、いっぱい。

ご丁寧にお寺さんからお供えいただいたものは、うちの家にとっては全く不必要な食品だった。
なんでもいただく私でも、さすがに、義母から、「持って帰る?」と言われたが辞退した。
義母の家も、あの食品群は不必要。
他からも、お供えいただいている食品群で、やたら高価で不必要なものがある。
まったく、合理的でない。
不必要な食品が、何万円分も。
このシステム、やり方、どうにかならないの?

これが、お付き合い、交流なのか?

お寺さん以外にも、他の人々とも、お金やモノをやり取りする。
生きている人にとって不必要なものでも、故人には必要なのか???
かといって、故人が好きだったもの、とか、そんなものでは全くない。

それが、お付き合いの方法?

そういう類のお付き合いの多い義母の家は、いつも、モノであふれかえっている。
さらに、義母は、具体的な行事に使うのではなく、ちょいちょい、なにかのついでに人にあげるため、
時々デパートで、大量のお菓子などを発注、取り寄せていたりする。

法事は滅多にないが、法事以外の日常の諸々、交流、他家の仏事、その他、
モノ、モノ、モノ。
しかも、賞味期限が限られている。
他家からの頂き物で、洗剤とかもあるが、義母は決めている洗剤以外は使わないので、不必要品となる。


モノがいっぱい、必要なモノ、不必要なモノ

今は、昔と違い、ライフスタイルも、こんなに多様になっている。

好みも生活様式も、様々。
なのに、どかっ~んと、もらい手側の好みを全く無視した、大量のカサ高い食品をやり取りする。
バザーか、行政機関を通して寄付するか、頭を下げて、知り合いの誰かにもらってもらうか、
(もらう方も、またお返しなど考えたりすると、お互い、不必要なスパイラル)
はたまた賞味期限を過ぎるまで自分で抱えて、捨ててしまうか。
エコと正反対。

大阪府下のある市では、寄付センターに行けば、
不要品を寄付されたものを、市民が無料で、欲しいものを持って帰れるそうだ。
田舎には、まだそんなシステムが整っていないようだが、
もらいに行ったら、自分が贈った品々が、出されていたら、がっかりするだろうし、
○○家は、頂いたものを寄付センターに出している、なんて噂はすぐ広がりそうだ。
あるいは、民間ギフトセンターに、有料で売りつけている、なんて言われかねない。


モノと、お付き合い

あまりにも合理的にものを考えるのも、情緒がなく、ギスギスするかも知れない。
しかし、欲しいモノを欲しい時に、欲しいだけ(適切な分量)、欲しい、と思う私は、
贅沢者なのだろうか。

商品のジャンル・質・時期・量 そういうものがぴったり合うものは、自分で買うしかない。
ただし、要らないものを大量にいただいてしまっているので、先にそれを消費するのがやっと。
欲しいものを買うには、今あるものを捨てることになる。
それは、エコに反する。なので、欲しいものや、好みは、後回し。
好まないものをせっせせっせと、頑張って消費する。
(やっと消費できそうな頃に、また、いただく
あるいは、消費できそうもない頃に、また同じものをいただく)


こういう、要らないモノ・循環システムは、限定地域の特色なのか?
お金、労力の使い方、気の使い方、これは、正解なの???




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