蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

「ありがとう」という言葉

2010-09-25 | 無題
親孝行の方々を知るにつけ、立派だと頭が下がる。

私は、両方(婚家、実家)の親に、色々してもらうばかりで、本当にダメな人間だと思っている。
思っているなら、お手伝いしたり、力になってあげるべき、と、
せめて、ネット通販でもいいから(外出もせずに簡単にモノが贈れるのだから)、
プレゼントや感謝の品々を記念日には贈ればいいのに、
物量作戦もせず。


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ただし、この記念日作戦は、「水臭い関係にある親子が、儀礼的に行うもの」、
と、社会学者の上野千鶴子氏が、新聞の悩みの相談で答えていた。

子育てを終えた親と成人になった子とは、もう一度お互いに距離を置いて、
家族の絆を再構築することが必要かも、と。

そのためには、儀礼もたまにあってもよい、と、ゆるやかに儀礼作戦を認められている。
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たまには目に見えるはっきりしたカタチで親孝行を、と、思うのだが、
まだまだ二人とも、パワーが強くて、私の出る幕はなし。
水は、高い方から低い方に流れる。
まさに、まだ、私のほうが低い。

今、私がしていることと言えば、有事に備えてのスタンバイ、といったところ?
なにかあったら、駆けつけます。(あるいは、誰か代理人を駆けつけさせます。)
それと、あと、元気な顔を見せること。

子供たちにも、あれこれしてもらっている。
こんなことではダメだと思うなら、もっともっと力になってあげたらいいのに、
子供たちは、自立していて、私の出る幕はない。


親には甘え、子供にも甘え、結局、手抜きの自分を正当化し、自分を甘やかしている。

「ありがとう」、「感謝しています」、「いつもすみません」、「ごめんね」

この言葉を、おまじないか、呪文のように、じゃんじゃん使って
さぼっている自分は、とても嫌な人間、
そんな風に自分を見ること自体、なんてヒネクレ者なのだろう。

このようなひねくれた書き方をすると、カンに障る方も多いかと思うが、
実際、私は、やぶにらみ人間。
おそらく、あちこちで不評、不人気、非難されていると思うけれど、
あまり人とお付き合いしないから、人の声が耳に入らないので、
厚かましさ、ふてぶてしさに、拍車がかかり、自分の評価の低さに気付かない。

裸の王様だ。


ただし、この呪文、自分の手抜きをリセットするために、悪魔払いのお札のように使っているわけではない。
自然に心から、口に出る言葉なのだが。
でも、ひょっとして、深層心理として、自覚症状なしで、自分を正当化しているのかも知れない・・・
だが、深層心理は、無意識下のことなので、カウンセラーか、精神科医などの専門家の門戸を叩き、
分析してもらわないと、きっちりハッキリしたことは言えない。



「ありがとう」。
この言葉が出なくて、苦労しているという話題が、よその行きつけのブログで盛り上っていた。

私は、ほいほい、いつでも口癖のように口に出てしまうので、
「ありがとう」を安物にしてしまっている俗悪人だ。
義母も家族も、しょっちゅう、大安売りのバーゲンセールのように「ありがとう」の言葉が口から出る。
環境? 相互影響? 
うちは、ありがとう・インフレ。
その言葉を自然体で使う。

そういうコメントをアップしようとして、場の雰囲気を壊しそうなので、やめた。

苦労している人々のなかで、裸の王様が、無神経なことをしゃーしゃーと言うのは
やはり、はばかられる。
いかに苦労しているか、毎日がツライかという話をしないと、いけない。
人様の神経を逆撫でしても、なにもイイことはない。


さてと、
自分を正当化したり、ごちゃごちゃ理屈をこねないで、
少しでも機会があれば、親孝行、子孝行をしなければ・・・。

人のためになる、ということは、ひいては自分を成長させると思う。
上から落ちてくるものをじっと待っているばかりでなく、
「ありがとう」と言われる側に立てるよう、もっと能動的になれたらいいな。



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