蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ストレス

2013-08-05 | 暮らし

ブログ・タイトルに、嫌な文言をつけると、訪問数が増えるようだ。
みなさん、ストレスが溜まっている?

林真理子、昨夜のテレビで特集を見た。
興味深かった。
嫌われているらしいけれど、あのふてぶてしさと、高飛車が、面白い。
知的なことに、お金が使えることのありがたさ、幸せを力説していた。
13万円のワインとか、値段を見ずに洋服を買う、行きつけのブランド店、
庶民派セレブだとか。
既婚で、中学生のお子さんがいて、あれ。豪快だ。
昨日、番組中は、林真理子はすごく稼ぐんだなあ、
印税や原稿料って、思いのほか高いんだなあと、目を丸くしていたが、
旦那さんが、けっこう稼ぐ人なのかも知れないと、いま、これを書いていて思った。
確か、お見合い結婚だったはずなので、林真理子としては、見極めるところは、見極めているに違いない。

彼女の、仕事をきっちりしているところ、問題意識を持ち、張り詰めているところ、
どんなに感じ悪くても、実績を残しているところは、十分評価されると思う。
若い頃の彼女と見比べると、外見の変身ぶりも、なかなか味わいがある。

好きなことをして、味わう後悔は、傷が癒えるが、
好きなことをしない後悔は、一生、傷が治らない、と言っていた。
たんなる遊び人が言っているなら、問題外であるが。


で・・・
話が唐突に変わって、・・・

昨日の記事は、ちなみに、ご近所さんブログのことではありません。
ご近所さんは、親しみをもってこころのなかで、応援している。

昨日の話は、最近、ずっと毎日読んでいる、読み逃げしている、とある、方。
まったくご本人は、ご自分のことだと気付いていないだろうし、
わたしとの接点は、まるでどこにもない。
年齢もブログ村カテゴリーも、なにもかも違う。
わたしが、一方的に好きで読んでいるだけだ。
その方は、わたしの存在すらご存じない。
それで、いい。
それが、いい。


今朝も、朝の5時から、物好きなわたしは、別SNSの日記のコメント返しに、
ヒーコラ、ヒーコラ、今までの時間を費やして、すべて返し終えた。
おそらく、今はいいが、そのうち、嫌になってくることだろう。
でも、同好趣味の面々とのやりとりなので、この蝶ブログとは、趣、内容、傾向が違う。

ここは、本音を吐いている。
趣味同好の人々に、本来のわたしの辛口コメントは、ちょっと場違いなので、
わたしは、いい子ぶっている。
でも、嘘は言っていない。
辛口面を全面に出していないだけである。
愚痴や不満を言うのも、やんわりと。


ちなみに・・・

同居したり、近所に、義理の親や実の親や親戚が、住んでいると、便利だがストレスが溜まるだろう。
いざというときに、すぐに駆けつけられるというメリットはあるが、
いざといわないときに、寄ってこられると、鬱陶しいだろう。
仮に口実で逃げたり断ったりしている場合があったとしても、
「あなたの家に行ったら、そんな様子、ぜんぜんないじゃない」なんて、実情がバレてしまうだろうし。
スープが冷めない距離というよりは、冷凍スープが解凍されるか、されないか、という距離のほうがいいかも。

でも、確かに便利である。
いただきもの、到来もの、賞味期限内に、さっさと渡しやすい。
休日の食事とか、来てもらいやすい。
今まで、わたしは、行く専門、いただく専門だったが、迎えるほう、あげるほうが追加された。
してもらう専門が、してあげる側にもなった。
じつに、不思議な感覚。
とは言いつつ、いただくほう、してもらうほうも、継続中だが。

少しずつ、今まで、わたしの回りの皆さんにしてもらった分、お返しができたらいい、と考える。
そして、子供たちに、ちゃんとしてあげられなかった分、ローンで、サポート労力を遅刻・追加している。


こんな本音、読んでいる方にとっては、まったくストレスが発散するどころか、面白くもなんともないだろう。ひとの、のほほんとした話、読んで楽しい人はいるか?
まあ、愚痴をブログに書くのと同じノリで、まじめなことも、書く。


子育て世代、親が近くにいないと、なかなか大変だろう。
義理の親御さんであってもありがたい。
しかし、仮に、これが息子の嫁だったら・・・お互い、気を遣うだろうと思う。
やはり、世の中でよく言われている、娘一家のほうが、トラブルがない。
娘婿さんは、嫁(=娘)が、機嫌よくしてくれて、自分も家事・育児負担が減るのであれば、
よほど気難しい親でない限り、おんぶに抱っこ傾向にある。

わたしは、夫の親に、たいへんお世話になったが。
娘一家でなくても、そういう義理親ケースもある。
お手伝いできる間に、お手伝いしておかないと。
自分の健康に問題がない今は、年を取ってから介護してもらおうと、あてにしているわけではない。
お互い、べったりは、気が重い。
が、弱りはじめて状況が変わると、また違ってくるのだろう。

わたしは、4世代の、ちょうど中間なので、とてもバランス感覚として、そのあたりがよくわかる。
姑を抱え、夫もいて、子供たちがいて、孫もいる。
夫の両親には、子供たちのお世話に尽力してもらったし、夫の両親たちは、そのまた両親たちのお世話もしていた。
わたしの両親も、然りだ。
つまり、順番である。
孫の世話と、老親の世話の時期が重なることが多い。

自然とそうなっている。
順番が来たのに、自分が順番をスキップする、抜けるなんてことは、したくない。
なので、非力ながら、頑張ろうと思っている。

問題は、サボりで、アタマと要領が悪いことだが、まあ、個性のひとつと捉え、
わたしカラーで、やっていくしかない。

と、話が逸れた。
あいかわらずのことである。
 

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村人気ブログランキングへ