ブログ・タイトルに、嫌な文言をつけると、訪問数が増えるようだ。
みなさん、ストレスが溜まっている?
林真理子、昨夜のテレビで特集を見た。
興味深かった。
嫌われているらしいけれど、あのふてぶてしさと、高飛車が、面白い。
知的なことに、お金が使えることのありがたさ、幸せを力説していた。
13万円のワインとか、値段を見ずに洋服を買う、行きつけのブランド店、
庶民派セレブだとか。
既婚で、中学生のお子さんがいて、あれ。豪快だ。
昨日、番組中は、林真理子はすごく稼ぐんだなあ、
印税や原稿料って、思いのほか高いんだなあと、目を丸くしていたが、
旦那さんが、けっこう稼ぐ人なのかも知れないと、いま、これを書いていて思った。
確か、お見合い結婚だったはずなので、林真理子としては、見極めるところは、見極めているに違いない。
彼女の、仕事をきっちりしているところ、問題意識を持ち、張り詰めているところ、
どんなに感じ悪くても、実績を残しているところは、十分評価されると思う。
若い頃の彼女と見比べると、外見の変身ぶりも、なかなか味わいがある。
好きなことをして、味わう後悔は、傷が癒えるが、
好きなことをしない後悔は、一生、傷が治らない、と言っていた。
たんなる遊び人が言っているなら、問題外であるが。
で・・・
話が唐突に変わって、・・・
昨日の記事は、ちなみに、ご近所さんブログのことではありません。
ご近所さんは、親しみをもってこころのなかで、応援している。
昨日の話は、最近、ずっと毎日読んでいる、読み逃げしている、とある、方。
まったくご本人は、ご自分のことだと気付いていないだろうし、
わたしとの接点は、まるでどこにもない。
年齢もブログ村カテゴリーも、なにもかも違う。
わたしが、一方的に好きで読んでいるだけだ。
その方は、わたしの存在すらご存じない。
それで、いい。
それが、いい。
今朝も、朝の5時から、物好きなわたしは、別SNSの日記のコメント返しに、
ヒーコラ、ヒーコラ、今までの時間を費やして、すべて返し終えた。
おそらく、今はいいが、そのうち、嫌になってくることだろう。
でも、同好趣味の面々とのやりとりなので、この蝶ブログとは、趣、内容、傾向が違う。
ここは、本音を吐いている。
趣味同好の人々に、本来のわたしの辛口コメントは、ちょっと場違いなので、
わたしは、いい子ぶっている。
でも、嘘は言っていない。
辛口面を全面に出していないだけである。
愚痴や不満を言うのも、やんわりと。
ちなみに・・・
同居したり、近所に、義理の親や実の親や親戚が、住んでいると、便利だがストレスが溜まるだろう。
いざというときに、すぐに駆けつけられるというメリットはあるが、
いざといわないときに、寄ってこられると、鬱陶しいだろう。
仮に口実で逃げたり断ったりしている場合があったとしても、
「あなたの家に行ったら、そんな様子、ぜんぜんないじゃない」なんて、実情がバレてしまうだろうし。
スープが冷めない距離というよりは、冷凍スープが解凍されるか、されないか、という距離のほうがいいかも。
でも、確かに便利である。
いただきもの、到来もの、賞味期限内に、さっさと渡しやすい。
休日の食事とか、来てもらいやすい。
今まで、わたしは、行く専門、いただく専門だったが、迎えるほう、あげるほうが追加された。
してもらう専門が、してあげる側にもなった。
じつに、不思議な感覚。
とは言いつつ、いただくほう、してもらうほうも、継続中だが。
少しずつ、今まで、わたしの回りの皆さんにしてもらった分、お返しができたらいい、と考える。
そして、子供たちに、ちゃんとしてあげられなかった分、ローンで、サポート労力を遅刻・追加している。
こんな本音、読んでいる方にとっては、まったくストレスが発散するどころか、面白くもなんともないだろう。ひとの、のほほんとした話、読んで楽しい人はいるか?
まあ、愚痴をブログに書くのと同じノリで、まじめなことも、書く。
子育て世代、親が近くにいないと、なかなか大変だろう。
義理の親御さんであってもありがたい。
しかし、仮に、これが息子の嫁だったら・・・お互い、気を遣うだろうと思う。
やはり、世の中でよく言われている、娘一家のほうが、トラブルがない。
娘婿さんは、嫁(=娘)が、機嫌よくしてくれて、自分も家事・育児負担が減るのであれば、
よほど気難しい親でない限り、おんぶに抱っこ傾向にある。
わたしは、夫の親に、たいへんお世話になったが。
娘一家でなくても、そういう義理親ケースもある。
お手伝いできる間に、お手伝いしておかないと。
自分の健康に問題がない今は、年を取ってから介護してもらおうと、あてにしているわけではない。
お互い、べったりは、気が重い。
が、弱りはじめて状況が変わると、また違ってくるのだろう。
わたしは、4世代の、ちょうど中間なので、とてもバランス感覚として、そのあたりがよくわかる。
姑を抱え、夫もいて、子供たちがいて、孫もいる。
夫の両親には、子供たちのお世話に尽力してもらったし、夫の両親たちは、そのまた両親たちのお世話もしていた。
わたしの両親も、然りだ。
つまり、順番である。
孫の世話と、老親の世話の時期が重なることが多い。
自然とそうなっている。
順番が来たのに、自分が順番をスキップする、抜けるなんてことは、したくない。
なので、非力ながら、頑張ろうと思っている。
問題は、サボりで、アタマと要領が悪いことだが、まあ、個性のひとつと捉え、
わたしカラーで、やっていくしかない。
と、話が逸れた。
あいかわらずのことである。