朝の恒例、ネットチェック。
別SNSの趣味系だけでなく、わたしには、またひとつ、項目が増えた。
それは、「古民家」。
そういうコミュがあるので、入会した。
すると、そこには、いろんな人々の生き方模索のようなものが見え隠れしていた。
わたしは、興味を抱いた。
もともと、古民家に関心があって入会したのだが、
単なるハードとしての古民家ではなく、暮らし、生き方、人生、ライフワーク、家族などなど・・・
そういうものと、大きくかかわってくる。
趣味系のほうは、時間がないのに、コメント返しはあいからわず続いている。
(日記をアップした直後よりは、数は、少なくなったものの)
なので、人のブログを読むのも面白いが、
テーマに沿って、人々のお知恵を拝借したり、討論、議論したり、情報を共有したり、
そういうことは、実際の生活に有効に活きる。
情報や知識は、活用してこそ価値がある。
アタマの中だけの妄想でおさまらず、カタチとなり、行動となって動き出す、その種まき、苗育て。
多くの氾濫する情報のなかで、必要とする有効な情報を抽出、チョイスが、ポイント、重大であるが。
同じような悩みや、考えを持った人が集まり、知恵を出し合う場を偶然、発見した。
ということで、日ごろ、もやもやと、具体的にどうしたらいいのか、どうしたものか、と、
アタマのなかでぐるぐる回るだけで、出口が見えないことが、トンネルの向こうの一点の明かりらしき、
胎動のようなものを感じた。
・・・・・・・
あれこれ、あれこれ、あれこれ、生活と人生、
点と点は、つながり線になり、線と線は、接して面になり、面と面は、合わさって立体になる。
自分の人生は、核を持っていると、そして、あきらめず、持ち続けてこころのなかで暖めていると、
知らず知らずのうちに、それに沿って動いていくようだ。
年がいってから、新しいことに挑戦するのが良いという意見と、そうでない、という意見がある。
ものごとに、よると思う。
趣味などは、いろんな意味で刺激になると思うが、
引越しや、家の売却、他人とルームシェア・・・
生活の基盤となる、そういう大きなことは、高齢になってからでは負担が大きい。
環境の変化にも適応しにくくなっている。
新しい環境で、新しいお友達など、そうカンタンにはできない。
「ゆる友」を作るのが、いいそうだ。
ゆる~い友達。
大まかに、おなじ方向を向いて歩いている人。
この大まかは、かなり大まかでよい。
世の中には、いろんな知恵のある人がいるんだなあ、と感心した。
ゆるゆる、ただただ、時間つぶしをしてるだけではない、
ゆるゆるの中に、求めているものを見つけたりする。
すごく高齢になる前に、自分のできる行動範囲を広げておくのも、いい。
あとは、年とともに、できることは狭まっていくだけだから。削減、減少。
そういう意味では、したいこと、できることをスタートしておくのは、よいことだ。
超高齢になってから新しい流れを確立するのは無理で、
超高齢になったら、それ以前に確立していた流れの波に、そろっと、ふわっと乗る。
そろっと降りる、軟着陸でもいい。
ゆるゆると、先を歩いておられる方を参考に、ライフデザインを描き、
自分の道も、カーブをつけるなり、一段、上げるなり下げるなり、階段やらスロープやらをつけるなり、
ちょっと行動の時かなあ・・・と、時の転換期みたいなものを感じた。