蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

こころが、悲鳴をあげる時

2013-08-19 | 人生

いま、精神的にすこしバランスを崩している。

あまりにも暑いから、カラダがまいって、それで、こころまで乱しているのだろうか。
更年期障害の一種だろうか?

わたしは、そもそも、本来、こころは、非常にお達者な人間である。
厚顔無恥に近いものがある。
カラダも健康そのものである。
少しは、調子が悪い時もあるが、基本的には病気知らずである。

空の巣症候群の時は、さほど辛くなかった。
子育て戦争が、突然、終結したような、あっけない幕切れに、呆然としたことを覚えている。
子供が家を出て行った、がらんとした、子供部屋で、しみじみ終わりを味わった。
自分の役目は終わったと感じた。

始まりがあれば、終わりがある。
出会いがあれば、別れがある。
時は、無常だ。待ってくれない。

古今東西、どんな人も、感じたであろう、この無常。
無常を感じずに、日々の雑事に忙殺されている人は、ある意味、幸せなのかも知れない。

わたしは、いま、中年期から老年期に突入しようとしている。
その老いのカタマリは、目の前ではあるが、まだ、入っていない。
ででんと立ちはだかり、そびえている、大きな山。
予告編のカットが、ときおり、ちらちら、フラッシュ的に見える。
そこに、からだと、こころの抵抗があるのだろう。

実年齢と精神年齢が一致して、
まるまる実物大の自分を受け入れて、はじめて安らぎや安定がある。
必死で考えても、あるいは、なんにも考えなくても、人は年をとり、老年になり、やがて死ぬ。
その方向に、ひしひしと自分が歩いているからといって、それを発見、自覚したからって、
別に不思議であるはずがない。

大きな流れに身をまかすこと。
年をとる、というのは、もっとも大きな流れではないか。

 

18の時、世の中で「番茶も出花」と言われているのに、
自分といえば、どこが出花なんだろう?と、思ったものだ。
おじさんたちには、垂涎もの、なんだろうけれど、MAXであるはずの世代を、ただただ、暗く、過ごし、
出花は、花開くことなく、過ぎ去ってしまった。

自分は、プリザーブドフラワーに、なりたいのか?
造花ではあまりにも、あだ花。
生花は、すぐ枯れる。花の命が短すぎる。痛々しすぎる。

不老不死、若さを永遠に保ちたいと、だれもが願う。
しかし時を止めることはできない。

今をときめく、どんな人でも、必ず老ける。
何千年、何万年と、皆が通ってきた道。

氷河期のマンモスが、氷の中から発見されたように、
美少女のミイラが発見されたように、
時を止めても、解凍されても、生き返れない。

不老不死の願いが叶うものではなければ、
開き直って、限られた人生を享受するしかない。
やけのやんぱちで、いきなりプラス思考に転換する。

老いようが、なんであろうが、生きている限り、
「生きる」を全力で全うするのも、ひとつの方法。
全力でサボるのも、ひとつの方法。

その方法は、人それぞれ。
ただし、終わりが必ず来るのは、皆、いっしょ。


ものごとに、執着しない生き方を身につけ、涼しく過ごしたい。
エアコンを一日中つけていると、へんな強制的、冷気に当てられ、カラダが故障もする。
ほどほどに、自然の力も取り入れ、肩の力を抜いて、過ごしたい。

・・・・・・

これだけの行数を使って、落ち込んでいた気分、気持ちを少しでも救うことができた。
ほんの少しではあるが。
気の持ちよう。
自分に向かうブログタイムは、わたしを救う。

 

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