蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

消えた、続・続・老婆の、わたし

2019-11-10 | 
昨日、消滅したブログ記事。
「永遠の門  ゴッホの見た未来」を観たことなどを書いた。
続・続・老婆の、わたし、として、あれこれ書いた。

雨戸を開けたり閉めたりして過ごす小さな部屋をイメージしていると、ゴッホの晩年を過ごした部屋に結びつき、一昨日、封切り初日に観た、ゴッホの映画が頭に浮かんだ。
2013年、何度目かのフランス。ゴッホの、その二階にある部屋に足を踏み入れた時の印象は、、、
日本人って、フランスが好きなんだなあ、、、と。
なぜなら、その家の一階に設置された大型モニターに映し出される映像に添えられていた説明文は、フランス語、英語、日本語だった。

自分のパリブログを後で見てみよう。
おそらくそのことは、書いていないと思う。

ゴッホが描いた絵の被写体風景や建物を前に、ゴッホが見た角度で作品のレプリカが、現地に設置してあった。
これは、面白い教科書、テーマパークのようで、少し観光局の手が入った商業的匂いはするものの、よい勉強にはなる。

ゴッホのお墓にも行き、地元食堂でランチ。
一生、忘れることはない、楽しい思い出だ。

それより前の別の年には、アルルの精神病院跡にも行った。
アルルの、制作スタジオを兼ねた小さな店で、美しいテキスタイル作品を見つけ、買い求めた。
商談にあたり、こちらの要望には全く屈しない制作者であるマダムは、とても誇りを持っていた。

思い出は、宝物だ。
やはり、身体が動く間に、目が見え、耳が聞こえるあいだに、自分のメモリーをストックしておくのは貴重だと感じる。