たっぷりの陽だまりは、実態のないプレッシャーとなって、わたしに押し寄せ、押しつぶしにかかる。
て、抽象的な表現は、読む側には、まるで意味不明。
お日様ぽかぽか、まったりした時間も、もうすぐすると、大音量テレビ公害に押し流されてしまう。
たんに、家人が帰ってくるため、単純に、時間の経過とともに、残り時間が気になって、ぽかぽかを楽しめなくなってきている。
ぽかぽかで、何がしたいわけでもなく、ただ眠いだけなのだが。
というか、すべきことが2つある。
やらなければ、、、
これ、義務を先延ばしにして、退屈と闘っているだけか。
孫Aの宿題の仕方とそっくり。
さすが血は争えない、、、と、こんなところで感心している場合ではない。
まったりした時間を楽しむのではなかったのか。
早く楽しまないと、大音量のモトが帰ってくる。
はやく、はやく、はやく、、、。
まったりをはやく急いで楽しむには無理がある。
矛盾のかたまり。
そんな、しょうもない無意味なことを入力している間にも、まったり時間は刻一刻と減っている。
「矛盾」とは、、、「退屈」の親戚か。
いつも、孫Aに、口を酸っぱくして言っている。
「はやく宿題を済ませなさい。やれば5分で済むじゃないの」
ああ、それ。わたしのこと。
やりたくないことは、先延ばしにする気持ちは500%理解できる。
でも、教育的指導でとりあえず、孫Aには、はやくしなさい、と言っている。
この矛盾。
いったい、矛盾は、毎日の生活にいくつあるんだろう。
矛盾だらけ。
意外にわたしは、この矛盾が嫌いではない。
真っ当なストレート攻略もさることながら、人は矛盾と闘う生き物だから。
て、書き始めてから何一つとして実の有ることを書いていない。
これを「落書き」という。
落書きの定義は、、、「書いたら気持ちが楽になる」ということ。
あ、ラクの字が違う。
では、「書いたら気持ちが落ち着く」ということ。
いや、全然、落ち付かない。
むしろ、まったり残り時間が減って焦ってきた。
庭の紅葉、見るたびに苦しいほど、赤くなる。
緑と赤が、混合。
秋は黄昏。
しかし、混合はどうだか。
持ち時間が減るのか、はたまた、使った時間が増えていくのか。
同じことやん。
緑と赤の割合が逆転していく。
紅い紅葉も美しいから、まあよい。
書きたいことがあるのだが、宿題が気になって気分が集中できない。
と、言い訳。
はやく紅葉の写真を撮って、まったり時間をおしまいにしよう。