わたしは映画館で新作映画をしばしば観る。
なので、他の人のブログに感想なり解釈なりが書いてあると、ふむふむと読む。
しかし、それが趣味なら楽しいが、仕事ともなると全く楽しくないだろう。
自由意思で自分の時間とお金を使ってすることは、この上なく贅沢で楽しい。
映画大好きが高じて、仕事にしてしまった人は、そこから楽しみの分だけ苦悩が始まる。
趣味の世界は限りなくお気楽である。
が、その一方で、厚かましくも評価など求めてはいけない。
評価こそが楽しみだという人は、努力や苦労を評価と交換していると感じる。
好きなことをして評価されたとしたら、そこからが地獄の一丁目(死語)なのでは。
没後評価された芸術家、、、。
今なら、奥さんに食べさせてもらっても「髪結の亭主」と揶揄されたりしないのでは。
ただし、主夫はたんなる無職夫やヒモではなく、精度や完成度を要求される。
(ただし、奥さんも芸大の同級生なんていう、平山郁夫さんみたいな人はまた別枠、別次元)
わたしは、本も読まないし、今時の主婦のことはよく知らないから、主婦考ではあまり安易なことは言えない。
少なくとも、偉そうなことは言えないし、わたしは古い時代の埃を被った人物である。
もし仮に有名人だったとしたら(あり得ない例え)時代錯誤的発言でSNSで、叩かれるのがオチだ。
昔のタイプの主婦であろうが、現在生きているのである。
が、ほぼ主婦をリタイアしている、、、と言いたいが、まだリタイアを許されない状況。
アタマは限りなくお花畑に向かってハミング、スキップしながら進んでいる、、、。
ちなみに、この3ヶ月の長かったことったら。
たった3ヶ月しか経っていないのに、冷蔵庫に貼ってあるカレンダーの前にずっと立って、月日を数えている。
にもかかわらず、ベビーの成長の早いこと。
もう、あー、うー、と、おしゃべり。
時間が経つのを遅く感じるのに、時間が経つのを早く感じる、、、って、どういうことだろう。
1ヶ月おきにベビーに会うのではなく、毎日、毎日、ベビーはずっと見たり触ったり抱っこしたりしている。
なので、なかなか大きくならないなあ、だとか、変化がないなあ、みたいな感想を抱くのはわかるが、時間が早く感じるのは、なぜ?
おそらく、たった2ヶ月や3ヶ月で、はっきり目に見える変化を体感すると、自分の2ヶ月や3ヶ月の変化の無さを否が応でもでも感じる。
なんと早い!
自分の持ち時間と、時計の針の進み方が全く違う。
一を見て十を知り百を知る。
自分の時計は残り時間がどんどん少なくなり、その割には目には見えない変化。
だが、ゆるやかに機能はダウンしている。
赤ちゃんとは反比例。
そういうものだ。
そうなると、少しでも持ち時間を自分らしく無理せず楽しめるよう、じっくり丁寧に過ごしたい。
だが、ベビーと一緒にいると、ベビーは矢継ぎ早に、ああしろ、こうしろと欲求を出してくる。
なので、ベビーが寝ている間に、思いっきり、ダラダラしよう、と焦ってダラダラするのだが、無理。
ベビーというものは手がかるものだ。
自分の1番目の子供と、1番目の孫だけ、一生懸命、赤ちゃん観察したが、あとは知らない間に大きくなった。
ここにきて、最後の孫とガッツリ向き合うことになろうとは。
いずれは、誰が誰だかわからなくなるんだろうけれど。