選挙が近いようだ。
河野太郎さん、総理大臣になっていたら、こんな田舎まで来ないかな、と。
まあ、自民党は選挙に勝とうと必死なのだろう。
秋晴れ。
お宮参りの日を目前に、良い気候を満喫する。
が、今日は夫の仕事がらみイベントに参加せず、好き勝手をしている今ドキの妻(わたし)。
代議士の妻なら、絶対に許されないだろうけれど。
もう終活に向っているから、わたしは自分の評判なんか別にどうでもよい。
急にこころを入れ替え、猛ダッシュで頑張っても、今からあの世までの間に名声をはじめ、良い評価なんか得られるわけがない。
せいぜい、「あの奥さん、好きなことしてたなー、それを許す旦那さんはふところの大きな出来た人物だなあ」と、夫の評価が上がるのがオチ。
夫は今まで高評価だから、益々、高評価に。
わたしは、今まで低評価だから、そのまま横滑りで低評価のまま低空飛行。
ドスンと墜落しなければ、地上すれすれのところでもよい。
今更、期待されていないし、この期待されない低空飛行まで持ってきたのはわたしの苦労?の賜物だ。
嫌われる勇気を駆使して、見事、「どうでもいい人」の位置を得た。
「忖度」と闘う自己との葛藤。
自分勝手、自己中と思われても、自分を優先した。
自分のために生きている。
ただし、孤独とセット。
仲良し連合会からは、脱退している。
何かあった時に自己都合で、仲良し組合に擦り寄って行っても、冷た〜くされるのは自業自得、覚悟の上。
少しぐらいは保険をかけて、リスクヘッジを取るけれど。
これぐらいなら大丈夫、だとか、周りの顔色や反応をチラチラ見ながら、さじ加減を調整する。
一人じゃ生きて行けないことは、重々に承知しているから。
と、またまたこんな、反省文的な内容を綴って、免罪符効果を狙って自分を納得させようとしている。
罪の意識を軽減させようと、じたばた。
相変わらずの、わたし。
ちなみに、舘ひろしの「終わったひと」、観そびれている。
また機会があればぜひ、観たい。
プラスチックみたいな無機質感を感じていた舘ひろしを、そうでもないかも、とわたしが捉え始めたのは、性格俳優的な演技を観てから。
見た目、ルックスが良すぎると中身を見そびれることがある。
見てくれが良いだけで、石原軍団に添えもののように追加されていた印象を受けていた。
シミ一つない、汚れ、ヒビ一つない完璧なものは生きている存在感やリアリティに欠ける。
人間は、弱り始めてボロが出かけてから本当の個性が出るのかも知れない。
人間らしい、いい味が出る。
※ちなみに、タイトルは河野太郎氏のことではない。
写真をトップに持っていくと、誤解を受けるかも知れない。
代議士の妻には到底なれっこない、わたしのこと、、、です。