蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

悩みは解決できない

2021-10-02 | 無題
「学歴」と「学力」と「学力外のもの」は違う。
なので、学歴の低い親からでも優秀な子供は生まれる。
学力がなくても、学ぶ力があれば、学力は得られる。
学び方によって、早く簡単に得られる場合もあるし、時間がかかるハードなハードルになることもある。
早く習得しても、それ以上伸びないこともあるし、想像力に欠け、応用が効かないこともある。
応用問題ばかりに挑むと、考え方や捻り方が開発されるかも知れない。

得意分野や好きな分野は難なく伸びるが、その逆の不得意分野をとりあえずクリアするのは困難。

東大生の勉強の仕方や、ノートの取り方は参考にはなる。
ただし、ある程度、生まれつきアタマが良い人向き。
苦労人には苦労人向けの方法がある。
スイスイ涼しげにあまり苦労せず、要領の良い人の真似をしても、向き不向きがある。

人生もそれに似たところがあるように思う。
良いとこ取りをしようと真似てみても、土台が違うことがある。
じゃあ、不公平感を宗教かなにかで是正するか?
不公平なのは確かであるが、どう捉えるかだ。

書店で、幸せになる本をパラパラと立ち読みした。
末期医療に従事する医師が書いたもの。
あと余命1年と宣告されたら?
最初は自分の人生と向き合い絶望する。
目標に向かって頑張ってきたのに、今から果報を得る時期なのに、、、夢も希望も砕かれ生きる気力を失う。
が、そこからがスタート。
終わりに向けてのスタートである。
どう克服して幸せなジ・エンドを迎えるか。
克服する人はおそらくいないと思う。
事実の受け取り方、受け入れ方だろう。
宗教の力も大きいかも知れない。
が、どの宗教も似たり寄ったりのことを言っているような気がする。
こころの安らぎを得るために。

こころの安らぎを生きていながら掴むのか、あの世で掴むのか。
いろんな教えやノウハウはあると思われる。
生きている間、未来永劫に安らぎを得るのが理想だが、生きている限り煩悩や葛藤は必ずあり、矛盾して不可能。
生きながら安らぎを得るには、俗世界と縁を切り、出家する?
出家しても生き仏になるまで修行。
生きている限り、僧侶でもなかなか大変なのだ。(生臭ボウズも、いるが)

天に召されることが幸せなら、そういうのは危険思想になる。
戦争やテロに利用される危険性がある。
扱いがデリケートで難しい。
生き死には聖域ゾーンである。
安易に用いてはいけない。
やはり、神様の出番か?

わたしのつたない知識では、神様というとキリスト教イメージ。
仏教は、仏様なので、なんだか、ぼよよ〜んとボヤける。
日本人として普通に仏様と身近に暮らしてきたため、「仏様」は「隣のちょっと偉い人」ぐらいの親しみやすい存在。
日常に宗教が溶け込んでいるのかも知れない。
あの世に行った肉体(死体、遺体)を「仏」とも言う。
あの世に行ったら全員が成仏することを祈る。
成仏しないと、この世に帰ってこられると、ややこしい。
仏教ではなくとも、この世に未練を残したり恨んだりして幽霊として現れる話は、本当か作り話か知らないが、よく聞く。

と、相変わらず、話は逸れまくり。
生死観からオバケの話になってしまった。

話を戻す。

生きている間に100%満足感を得ることはそうないと考える。
仮にあったとしても、この世は「無常」なので、満足がいつまでも続くとは限らない。
ということは、死なないと満足が続かない、つまり、死ぬと完結するということか。
しかし、死んでしまったら元も子もない。
と、話はグルグル回り、一向に結論に辿り着けない。
生きている限り、人は考え続ける宿命を背負っているし、考え続けることこそが、生きている証なんだと思う。

つまり、今日も結論は出ず、電車の行き帰り、ブログを更新して楽しく遊んだ。
良かった、良かった。