蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

お墓のこと

2023-11-08 | 人生
いきなり、全く関係ないが、お墓のことを書く。

ある人Aさんと話していたら、お墓の話になった。
自然な流れの会話の中でこんなフレーズが出た。

「お墓なんか要らないよね。
子供たちが困るだけだし。
ウチもオタクも、大したお墓でもないし」

ん?
引っかかった。
「ウチは大したお墓なんです!」
と思ったが、自慢たらしいことは人には言えない。
根底に、「アナタのところとは違う」という上から目線的な思い上がりの気持ちがあるとしたら人として未熟。
上だ下だと格付けするのは違うように思う。
上下ではなく、風土、土地の慣わし、家庭環境、宗教的背景だろう。
仮に同じ宗派であっても、都市部と地方では違う。

Aさんは、熱心にお墓参りをする信心深い人。
だが、子供には同じようには面倒なことを強制したくない、と、今時の風潮色濃い思いもある。
娘さんが2人いるが、姓を継がなくてもよいと言っているにもかかわらず、結婚後も上の娘さんは旧姓のままで、お婿さんが姓を変更した。
(だが、残念ではあるものの、もうすぐ離婚されるようだ)
このご長女の婿殿は長男ではあるが、彼の親御さんは姓を変えることを快諾された様子。
「氏(姓)」などにこだわらず全くどうでもよいとお見受けした。
しかしお婿さん、また旧姓に戻ることになる。
それはそれとして。

ご長女さん、きょうだいは妹しかいないからとしても親の姓を継ぐとは(親に言われてもいないのに、親が戸惑うぐらいなのに)感心なことだと思っていた。
別段、代々の屋号でもなく老舗でもなく生業とは関係ない、お勤めされている家で、古くからの「家」がどうこう、そんな意識や伝統や慣わしは無い都市部の核家族なのに。
夫に姓を変えさせ(なんのトラブルも逆風もなく)すんなり旧姓のまま結婚生活を続けていた。
昨今の世代、風潮なんだなあと、古い時代錯誤シーラカンスのわたしは、驚きと共に受け入れていた。
が、あまり年月も経たず、ほんの数年(2〜3年?)であっさり離婚。
結婚というものは、事実婚なのだと感じた。
(フランスのように)
今更ながら。
Aさんの妹さんの子供たちも事実婚で、(たまたま)子供はいない。
(籍を入れているのかどうかは知らないが)
そういう事実婚もあり、当時としてはわたしは受け入れ難い価値観であったが、今ならよくあることで、どうってことはないだろう。

お墓も自分世代でお終い。なので墓じまい。
お墓に入っているのは、夭折した子供と両親だけ。
今後、Aさん夫妻は、その墓に入らず、墓じまいを考える。
だとすると、墓に入っているのは3人だけなので、小回りが効きそうだ。
墓じまいをもし、自分たちの代でしないなら、墓には今後5人入ることになる。
墓石設置にはスペース上、定員オーバーらしい。
なるほど。

しかし、墓を建てた時、自分が入るスペースを考えずに建てる段取りになっているのだろうか。
その後、入る人が増えたらどうなるのか?
霊園側の意向を聞きたい。
あまり墓事情には詳しくないので、そのあたりがよくわからない。
まだ一人もお墓に入っていない墓を購入した人も何人か知っている。
墓に入る人は誰ひとり亡くなっていない。
自分の墓を自分で用意。
昨今は、子供世代にとっては、親は親の墓を新たに買わないでほしいと願うこともある。
あるいは、遠くの、行きにくい墓を近くに移すケースがある。
霊園がよく墓の移転誘致をPRしている。

終活の一環として、家じまい、墓じまい、、、今の高齢の人々はそういう流れになっている。
シーラカンスどころではない夫が聞いたら頭から火を吹くだろう。
わたしは、何も家や墓を終わらせる、とは言っていない。意向もない。
今はそういう考え方をする人もいるご時世に移りつつある、と言いたいだけだ。
いきなり怒り出して頭から否定するのではなく、世の中の動きや流れを知るのは悪くない。
知った上で自分の進む道を決める。
何も世の中の流れに迎合しなくても良い。
逆行するのも一つの道。
なのに、あのカチンコチンは何だろう。
全く聞く耳を持たない。突然、激昂する。キレるのは病気の一種か。
選択肢を持った上で熟考し、考えを再確認、肯定して選び取るのが良いと思うが、選択肢すら与えない、頭ごなしは、次世代に反発されるだけだ。
誰も面倒な火種には触れない。なので、ほっておく。
優しく受け入れそっとしておくのではなく、諦めて放置する。


だが、自分が他界した後のことまでは、見聞きして確認できるわけがない。
次世代は、それより前の世代の背中を見る。
それでどうするかを決めてもらうしかない。

夫婦のどちらかが亡くなった時、はっきりした動きがあることは確かだ。
同時に他界したならまた話は別だろうけれど。
あるいは、老親が認知症で判断実行能力がなくなっていたら、子供が代わりに決めて進めるしかない。

ちなみに、自分のお墓を生きているうちから建てる生前墓は縁起が悪いとされていたが、近年は寿陵と呼ばれているようだ。
夫と同じ墓に入りたくないという妻もいる。
現世だけで十分、あの世は別々でお願いします、ということだろう。
その選択肢は自分の永眠間近まで持っていたいものだ。(永眠しなくても、認知症で判断能力がなくなるギリギリまで)
その後は、知る由もない。
お疲れ様でした、である。