いつも利用している私鉄電車の最寄り駅。
改札口で大きな怒鳴り声。
「ない、って言われも困るんだよ!」
自動改札機を通り抜けて外に出た50歳以上ぐらいの男性。
関西弁ではない、このあたりでは聞きなれない標準語のイントネーション。
改札口手前で身動出来ず、改札機に引き止められている状態で、初老の男性が足を止めている。
「だったら精算してくるしかないじゃないか!!」
と、また50歳代ぐらいの男性。
たぶん、親子で電車に乗って、先に息子が改札機を通り、次に父親が出る間際になって切符がなくなっていたのだろう。
改札機を挟んで、親子で押し問答。
怒り狂う息子と、困惑する弱々しい小柄の父親。
とてもよくわかる、切なく気の毒な哀しい場面。
多分、まだそういう状況に慣れていないのだろう。
親が失念する状態。
年齢的に見ると認知症の入り口付近。70代後半〜80代前半?
家の中での出来事なら影響はあまりないが、外で、外部を巻き込んで進行している状況は、周りに影響も与えるし、通常より冷静さを失う。
焦って集中力が飛ぶ。
何度かそういう状況に遭うと、親に注意を促すか、それでも頼りなければ、親の切符を付き添い者(子供)が持って、降りる時に手渡す。
怒りが起きるのはよくわかる。
親の認知症初期段階は、認知症だと気づかない。
いつものしっかりした親だと思っているから、現実を理解できず、受け入れられない。
ちなみに。
うちの家のお向かいさんの息子さんも、いつも大声で、認知症初期症状(と思われる)のお母さんを怒鳴りつけていた。
なぜ、しない?
なぜ、できない?
なぜ、こんな当たり前のことが?
なぜ、こんなことをする?
なぜ、いつものようにしないで、デタラメな、むちゃくちゃななことをすんだ?!
響き渡るような怒号が続き、気の毒な思いがした。
やがて、怒鳴る声は聞こえなくなり、愛犬に話しかける声だけになった。
お母さん、どこに行かれたのだろう?
この世にはおられるのだろうか?
この家のご主人だったお父さんは、明るく社交的な方で、いつも家の周りをホウキを持って掃除され、顔を合わす度に笑顔で挨拶され、わたしの子供達の相手をしてくれた。
よく散歩され、近所の子供たちにも声掛けされたりしていた。
当時は最も早い55歳で定年を迎えられ、家でリタイア生活をされている若い元気なお父さんだった。
娘さんと息子さんがおられ、かつて(35年ぐらい前)、「結納品の数々が届いたので、見に来てちょうだい」とお母さんに招かれ、お邪魔したことがある。
しかし、いつの日からか、息子さんだけが戻って来られ、家におられる。
お姉さん(または妹さん)は、ごく稀に車で実家に訪れて来られる。
大人しそうなお母さんは、ごくごく稀に道でお見かけしたことがあるが、やがて、怒鳴られる声だけになり、声も聞こえなくなった。
どこかの施設にでも入られたと推測した。
自治会もご主人が亡くなられたずいぶん前から脱会しておられるし、亡くなったとしてもわからない。
毎日暮らしている、真ん前の家のことなのに、まるで遥か遠方の地に住んでいる一家のごとく。
と、話は逸れに逸れている。
話を戻す。
駅の改札口で見かけた親子は、今からが大変かも。
ではあるが、認知症の症状を把握すれば対策も講じられる。
入り口、まだ序の口で、それ以上、進みは遅いかも知れない。
あるいは、進まないかも知れない。
誰にでもある失敗なので、初めて接した時は理解出来ず頭に来るが、そのうち慣れて来る。
昨日も、座り込んでバッグから一つ一つモノを取り出して周りに並べ、必死で探し物をしている高齢の女性と、その横で立って待つ高齢のご主人を見かけた。
その状況が痛いほどよくわかる。
子供叱るな、自分も来た道
年寄り笑うな、自分も行く道
そう言われるが、
子供ならぬ年寄り怒るな、自分も行く道
笑う余裕も、叱る余裕もなく、
怒らないで、諦観、達観と悟りの気持ちで受け入れてね、とお願いしたい。