昨今は、核家族が普通になっている。
多世代で同居している世帯は、進んで同居している場合と、やむを得ず同居している場合がある。
家族のうち、誰かが不満を抱えることがあり、家族内で内紛の種が生まれ育つ流れもある。
例えば、夫の親と同居して、妻と娘がグループ化して、「夫と姑」と対立するケースがある。
夫は母を孤立させないように母側に付く。
その一方で、妻は不満解消には、はけ口を子育てに向け、子供を味方に付ける。
すると家族内では夫は孤立する。
ギリギリのラインで家族は(表面上は)成り立っている。
難しい。
核家族が増えて一般的になると、嫁姑の争いや、嫁イジメなどの話は、小説の中の世界になりつつある。
家の中に主婦が二人は、紛争の元、確執の原因。
しかも、二人とも無職主婦なら、尚更。
今は、女性も働き、共稼ぎ夫婦が普通になり、子供は0歳から保育所に預けることができる。
親が子供の世話を365日24時間、家でする時代ではない。
おばあちゃんが孫の面倒を、家で子供の勤務時間中、見る時代ではない。
(イレギュラーで見るケースはある)
しかも夫も妻同様に家事育児。
時代は確実に変わった。
女性の社会進出である。
昔は、おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に生活していた。
ひいじいちゃん、ひいばあちゃんもいた。
小さな子供も老人と暮らしていた。
若いお嫁さん、その上のお嫁さん(若いおばあちゃん=姑)、そのまた上のお嫁さん(1番上のおばあちゃん=1番歳上の姑)、、、と家にお嫁さんが三人いることもあった。
夫のきょうだいも一緒に住み、一人一人独立していった。
老人は更に歳を取り、病気になり、家族に見守られ息を引き取っていた。
ずいぶん大昔のことのように思えるが、わたしの実体験、家族の原風景の一部である。
自分が歳を取ると、自分より上の世代のことが頭に浮かぶ。
あんな風に歳を重ねていき、あの世に旅立って行った、というパターン、実例をいくつも見ている。
ただし、地域限定。
世の中は、時代は同時代であったとしても、都市部と地方では違う。
職業によっても違う。
わたしの孫たち(姑のひ孫たち)は、元気な頃の姑とも交流がある。
姑が亡くなった直後の姑とも対面しているし、火葬された姑とも対面している。
小学生にもなっていない幼い子供にとっては、どう映るのだろう。
今は意味がわからなくても、その後、なんらかの記憶として残るだろう。
わたしの祖父が亡くなった時、わたしは3歳6ヶ月だったが、その時の様子を断片的に覚えている。
亡くなる以前、祖父が家で療養していたことも覚えている。
祖父の部屋は、内蔵に隣接する、蔵の前の廊下を進んで右にある独立した角の和室。
2方面L型に配置された障子を開けると両面が廊下と一続きになり、裏庭が見え、中庭へと繋がる。
部屋に遊びに行くと、祖父は病気のせいで片手が不自由になったため、歯で、お菓子袋を切って開封して、わたしにお菓子をくれた。
3歳でもちゃんと記憶はある。
そのシーンのインパクトが強いということは、よほどお菓子が嬉しかったのだろう。
この祖父の思い出の文章を書いていて、涙が溢れてきたのはなぜだろう。
涙が止まらない。無意識の涙。
これは、きっとセルフセラピーになっている。
涙を流すことは、癒されるらしい。
祖母は、祖父の世話を最期までし、その24年後に他界した。
長寿だった。
その時の祖母の長寿年齢を母はもう超えている。
そしてわたしは、祖父の世話をしていた頃の祖母の年齢に近い。
繰り返している。
重なり、オーバーラップする。
が、今は舞台は、介護施設、病院。
老いや介護、死は、生活シーンの中の一部には組み込まれていない。
別のところへ、アウトソーシング。
家族に代わる代行システムが整っている。
選択肢が増えた。
それによって得られたものは、女性の社会進出。
得られたものの替わりに、失われたものもあるはず。
何かを得るためには、なんらからの犠牲を要する。
何かを手放すことになる。
(老老介護や介護離職など、まだまだ課題山積)
時はどんどん進む。