蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

記録と記憶

2023-11-15 | 暮らし
コメントをいただくと、なんだか嬉しいわたしです。
それでいいんだよ、と背中を押していただいたような、安心するような、暖かい気持ちになります。
(まるで初々しい悩み多き若人のよう)
いつも蝶ブログに来ていただいている方にも、とても励まされているような思いがします。
ありがとうございます。
その割に、打って変わって、自己チューのブログ内容ですみません。
営業活動が苦手で、うまくやれません。
引っ込み思案と自己チュー性格も禍いして、あれもこれも、は、どうも心もフットワークも重いです。
お礼とお詫び、舌の根も乾かぬうちに、いつものモードに戻ります。

さて。
今日も楽しく日が過ぎた。
別にこれということはないのだけど。
いつもの趣味仲間の人、Aさん(70代)と、練習後に軽く飲んだ。
この人、知り合ったのは、2年半前。
一緒に練習するようになったのは、1年半前。
1年の空白期間はあるものの、1年半前から全然変わらない。
態度も行動も、言っていることも変わらない。
旅行などの同じエピソードを何回も聞いている。
気分が高じると楽しかったことを人に話したくなるのだろう。
傾聴の精神で聴くが、Aさんはリラックスしているのだと感じる。
何度も同じ話を聴く鍛錬は、姑で何十年も修行を積んでいる。

わたしだって、書きたいことは、何度も何度も同じことを延々と長年、綴っている。
同じようなものだ。
ただ、わたしは面と向かって話す場合は1回限りを心得る。
(娘に、「何回も聞いた」と言われると、結構、グサっと来る)
相手によっては、2〜3回もあり得る、が、表現を少し変える場合がある。

ちなみに、わたしは、行動記録を記している。
感想などは一切ない、出来事、あったことの忘備録。
5年連記なので、スペースが小さいこともあり、私情やコメントまで書けない。
Aさんは、そんな記録日記は必要ないと言う。 
「本でも出すの?」と。
本は出さないけれど、自分の行動を、いつしたか、誰としたか、どんな内容だったか、忘れるから書きとめておく。
詳しく正確にはとても覚えていない。
当時の出来事もチェックすると、忘れていたことを思い出すのに役立つ。

Aさんは、忘れても何の問題もないと言う。
確かに、一理ある。
キッチリ覚えている必要性はない。
すっかり忘れても大丈夫。
仕事をしていない今では、何も誰にも迷惑をかけない。
だが、わたしは、自分の行動が闇の中に消えてしまうことを恐れる。
あれは、いつだった?
と、思い出したい。
一旦、記憶が消えてしまうと、2度と検証できない。
自分の記憶力は、いい加減であることを自分が一番よく知っている。
撮った写真を引っ張り出して、日にちを割り出すことも可能だが、メンドクサイ。
わたしは、ブログに書いたりする時に、自分の行動を振り返ることが結構ある。
いつだっけ?何年前?
と。
記憶力だけにはとても頼れない。
自分の成長や変化、衰えを検証するには、記録はわたしにとっては、必要不可欠である。

が、わたしはわたし。個人によって違う。
Aさんのように、いつだったか全然正確に覚える必要がないというのは納得出来る。
今が大事であり、過去は消していく。
勝手に消えて、印象に残るものだけが残る。
ではあるものの、わたしは、個人的に性質として、記憶が曖昧だと気になるだけだ。
わたしは、過去の積み重ねこそが自分の生きる糧になっている。
Aさんもそうだろうけれど、自分のことを人に話したりしないし、文章にしない人は、別にどうでも良いのだろう。意味がないし、必要がない。
本当に人それぞれだ。
わたしはAさんの過去に興味があるわけでもないし。
正確なことを知りたいわけでもないし。
聞き出そうにも、もはや闇の中だが。
Aさんは毎日が日曜日だし、今後の予定もほぼ今の延長。
病院で受診する時に自分の既往履歴だけ、覚えていたらそれで良い。
今を生きる人はそれで良いのだろう。
(わたしは、こだわるが)
執着心がないのだろう。

それにしても、過去の正確な出来事が消えて行くことに対して、よく不安にならないものたと感心する。
まさに、人は人。どれも、正解である。

ちなみに、姑は10年連記日誌を記していた。
家の行事の実践記録。
日時、場所、人物、費用、内容。
舅は、誰が見てもわかるようにノートに項目毎に分け、キッチリ綺麗な字で表にして、租税や行政的な内容の記録をしていた。
そのノートを見れば、家のことは大概わかる。
想い、主観は全く感じられない、客観的なものである。
舅の性格と仕事柄、事務的作業はお手のもの。

姑Aの上の姑Bは、過去に行動録を書いていて、B没後、姑Aがそれを読んで気分を害したと姑Aが言っていた。
なので、人に読まれることを念頭に私情は一切入れない記録にしたとのこと。
それ、とてもよくわかる。
ただし、過去の人物の名言を書いたものは遺してある。

わたしの蝶ブログは、将来のある日には、閉鎖、抹消したい。
宇宙のゴミになる?
指が動くその瞬間まで書き続けそうなので、娘に事後抹消処理をお願いしたい。