終活について、その2。
男性と女性では、終活の傾向が少し違うように思う。
男性は、書類、手続き準備、金融機関や、税金などの流れがわかるもの、主に事務的内容。
女性は、身の回りのモノや、不用品の処理など、固体物の整理。
男性で一生懸命、断捨離をしているブログは見たことがない。
女性がほとんど。
なぜなんだろう?
主に家に居て、モノを積み重ねていったのは、家事をしている女性だからではないだろうか。
(モノを捨てずに増やしていく戦中派世代に、ヘキヘキして反動で必要以上に捨てまくる人もいる)
わたしが知る男性たち(父、舅を含め)は、外回りの仕事や、庭、盆栽、畑の手入れをする人が多い。
家にじっと居る場合は、病気になった時。
シニアの皆さんのブログを拝見すると、なんやらかんやら健康なうちにと、なかば焦りながら追い込み、駆け込み活動をしておられるようにも受け止められる。
自然体で、というわけには行かないようだ。
残り時間は少ない、と、せき立てられる。
そして、人の行動の裏には必ずビジネスがついて回る。
人の流れは経済を回す。
溢れるばかりの旅の広告。
今、行っておかないと、いつ行く?
だが、外出中、トイレ不安を抱えながらでは楽しめない。
少しでも健康に翳りが見え始めると、途端に旅行どころではなくなる。
旅のために体調を整えなければならない。
結構、プレッシャーである。
プレッシャーがプラスの効果を表すうちは良いが、負担になると旅も億劫になる。
お金がなくて旅行出来ないのと、健康事情で旅行出来ないのと、家庭事情で旅行出来ないのとでは、どれが辛いか?
全ての条件をクリアしていても、旅行に行きたくない、というのもある。
趣味、嗜好の問題か、あるいは、こころの問題である。
何もやる気が起こらない、それが長く続くと精神的に疲れる。
こころは、厄介なものだ。
気分の良い晴れた日に、近所を散歩するのは快適だ。(今は、近所はしないけれど)
少し足を伸ばして植物園を歩いたり、ハイキングしたりすると高揚する。(旅先などで)
気分がイマイチの時は、自宅に篭る。(イマイチでなくても、篭る)
雨なら映画でもよい。(晴れでも行く)
読書もよい。勉強もよい。創作もよい。
だが、そんなことが大嫌いで苦痛の人もいる。
それぞれが自分が楽しめることをして、好きなようにすればよい。
(わたしは、自分は何が好きなのかを探す行動が好き)
こんなことばかり書いても、何の薬にも毒にもならない。
ちなみに、わたしは、終活、たっぷりすべきことがある。
あまりにもお尻が重く、全く手を付けていない。
モノが捨てられない自分が変わるのを待っていては、終活しないまま、あの世に行ってしまう。
終活しない人は羨ましい。