わたしは普通のシニア。
書くことはいくらでもある。
だが、あまり専門的なことは、わからない。
また、報道されたり発表されたりしている、世に出ている事柄は、名称、人物、時代、説明など、読むのはスラスラ、サラサラだが、自分が書く、公表するとなると、間違っていないかチェックしなければならない。
それがメンドクサイ。
なので、一向にマトモなことが書けない。
抽象的なことや、個人的な頭や胸の内側ばかりになる。
趣味仲間と話していても、明らかに間違っていることを平気で言う人がいる。
目の前でスマホ検索して正しい答えを示してもよいのだが、その人のプライドや尊厳を傷つけかねない。
なので、こっそり調べて、どちらが合っているか、照合する。
その場で調べないで、堂々と間違いを直せる知識や見識に自信があれば良いのだが、わたしも結構、間違っていたりする。
お恥ずかしい、、、。
なので、ブログも間違いがたっぷり含まれていると思う。
この場で訂正できないことを(どれが間違っているか今、この瞬間にはわからないので)お詫びします。
というか、正式な政府、行政、企業の広報機関ではないので、まあ良い。(自己擁護)
個人の精度の低いブログにつき、ご勘弁いただきたい。
と、こんなことばかり書いて、まるで建設的ではない。
が、これはわたしそのものを現している。
中途半端。
どこにいても、何をしても中途半端。
意識と実態が乖離している。
手足が動かないのに、口と目と耳だけが動く。
意識と実態の中和、調整、すり合わせが必要だ。
そんなわたしが、今まで(怪我もせず)やって来れたのは、自分が生きるためにどうすればいいか嗅ぎ分ける嗅覚によるだろう。
ちなみに、eスポーツはものすごい脳の運動神経を必要とする。
実際に動かすのは目と、指だけ。
それでも能力のピークは10代で、20代になると歳でキツイ、勝てなくなるそうだ。
だとすると、eスポーツではないものの、実際に体を物理的に動かさなくても、身を(粉にして)使わなくても、自分の要望や欲求を満たすことが出来るのは、ある程度、自分の体以外の能力、活動のおかげということになる。
ということは、実際には体を動かしていないことに対して、そんなに卑下する必要はないように考える。
ちなみに、お茶の先生の先生の大先生、大御所のブログを拝読した。
わたしは、その精神世界には足元にも及ばない。カスリもしない。
だが、茶道は、利休などの活躍で、歴史を動かしている史実は無視出来ない。
椅子からズリ落ちてしまいそうな、単純なワタシ事情を明かすと、実はわたしは正座出来ない。
茶道の世界にいたとしたら、正座出来ないわたしは、とっくにドロップアウトだ。
精神世界とはまた別の事情。
茶道を一般に広く周知、普及、慣れ親しんでもらうためには、今は椅子を用意したり工夫されているとは思うが。
しかし、絶対的な膝事情。
パラリンピックと年輪ピックが合わさったような大会が開催されたら、正座出来ないわたしも、少しは茶道を嗜(たしな)もうと思ったかも知れない。
実際は茶道の世界も膝対策の工夫はされていると想像するが、よく知らない。
工夫されないで旧態然だとしたら、、、常に弱者は切り捨てて進む?
わたしは、中途半端で尚且つ、あまのじゃく人間なので、その道を追求できないことが、安易に予想できる。
道の入り口でUターン。
今、わたしは新たな道に進みそうで、その入り口でまたまた、モゾモゾしている。
それは、老人の道。
権威もおられるが、「老人学」と名打った学問としてはわたしは魅力を感じない。
それなら、江戸時代の賢い人々を知るほうが楽しい。
ナビゲーターは、講師・司馬遼太郎。(過去収録TVで観た)
司馬遼太郎さんが、おっしゃっていた。
江戸時代の無名人がいて、「日本には農民以外は1人も必要ない」、という突拍子もないことばかりの持論を唱え、全くアタマがおかしい人物かと思い、調べて行くと、実に勉強家で理論派であり、アタマがおかしい証拠は何一つ見つけられなかったとのこと。
雑談だそうだが、番組では、明治になる前の日本の各藩での特徴を述べられていた。
勉学を重んじる藩、剣術を重んじる藩、あまり勉学は重んじない藩、、、、色々なバラエティに富んだ特徴があったそうだ。
(ちなみに、※「バラエティ」に当たる日本語はないらしい)
面白いと思った。
長く鎖国をしていたので、外国からの影響は受けず、日本独自の文化を育んだ。
誰にも評価されず陽の目も当たらず、延々オリジナル持論を生み出す人々がいた。
力強くて頼もしい。
暗殺計画だとか、幕府転覆だとか、そういう系のものではなく、精神世界、脳の中、思想の追求。
作家もある意味、この類だろう。
ところで。
話を詰めて行っている最中に、なんなんだが、、、
わたしはお花が好きで、かといって、花道はからきしで、入門止まり。知識もない。
(茶道は、入門にも及ばない)
今、趣味の踊りの練習に通っている練習場のオーナー女性は、ご自宅から花を切り取って、練習場のここかしこに活けておられる。
叔父さんの山や畑、ご実家の庭から切って来られる。
野山の自然の草木を、自然なかたちで活けておられる、その花々を目を細めて見る度に、わたしはとてもこころが和み、癒される。
正に地球自然派。
わたしが学問追求が不向きな原因は、そのあたりにあるように思う。
論理を突き詰める途中で放棄する。
ぱあっと自然に帰ってしまう。還る。
田舎の野山や自然がいっぱいの自庭を歩き回って幼少期を過ごした影響もあるように思う。
成長する過程では都市部で揉まれたが、リタイア時期を迎えるとまた自然回帰。
(家族以外の)人にはあまり接することはないが、のびのびと、ゆるやかに、地球の自転とともに毎日動いている。
※トップ写真
前回のシャーロック・ホームズはわかりやすかったが、今回はわかる人はいないと思う。
→正解は、ワトソン
ちょっと離れて、目を宙に浮かして見るとわかる?
三ノ宮のホテルのフロント階、エレベーター前に掛けてあったもので、最初はわからなかったが(ホームズもワトソンも)、写真を撮ってみたら初めて人物だとわかった。