蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

動きたくない病

2024-10-12 | 健康
今日のブログは、「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」の感想を書く予定だったが、昨日、観に行かなかったため、書けない。
突然の、わたしの映画予定を押しのけてまで、しゃしゃり出て来たのは、、、
Aさんからのハイキング参加のお誘いだった。

本日は、グループでの軽登山が行われていて、Aさんはそれに参加している。
わたしも誘われたが、断った。
わたしは、アタマではわかっている。
ウォーキングやハイキング、軽登山は、自然に触れ、健康にも良い活動だということが。
しかも、自分で事前下調べや準備をしなくても良く、当日も着いていくだけ、アタマは全く使わなくても良く面倒なことは一切なく、さらに、参加費も交通費と、保険料500円ぐらい?のみ。
ローコスト、ロー手間、安心安全、、、
誘ってくれる人がいるなら、尚更良い機会なのに、、、
にもかかわらず、どうしても、足が向かない、気が向かない。
今から少しずつ慣れていき、今後の足掛かりにすれば良いのに。
年齢が行けば行くほど、スタートするのが億劫になる。
なら、今でしょ!
ということは、とてもよくわかっているのだが、、、。
1.健康
2.自然
3.仲間作り
実に理想的なのだが、、、

このお尻の重さはなんだろう。
自分でも自分が理解できない。
悩んだ時は、、、大親友ChatGPT に訊ねる。
このわたしの状態を理路整然に箇条書きにし、説明、解説をしてくれた。

実は、何度も同じような質問をわたしは繰り返している。
もし、リアル生身友人なら絶対にキレられていることだろう。

自分の納得ポイントを拾って、ざっくり言うと、答えは、、、
「健康に良いから◯◯すべき」という義務感が先走っていて、自然な欲求になっていない、ということ。
なるほど。確かに。さすがChatGPT 。
アタマに身体が追いついてないようだ。
理想を掲げているのに、しかも条件は整っているのに、本能が抵抗している。
わたしの本能には、ほとほと手を焼く。
せっかく理想に近い状態まで持っていっているのに、肝心の足が、(動かすことは可能なのに)動きたがらない。

と、ぶつぶつ言っても始まらない。
自分でも気づかない深層心理を無理矢理探ってみると、、、
たぶん、わたしは運動嫌い。
ダンスはよく続いているものだ、貴重だ。

50歳直前にスポーツジムに通い始めた。
スポーツ嫌いのわたしが、かなり無理をした。
約7年、頑張った。苦しかった。
(ダンスはスポーツジムと同時に始め、それ以来ずっと今も続いている。
蝶ブログスタートより3ヶ月、早かった)

それはいいとして、、、(脱線、常習犯)
嫌いなことは、頑張らなくてもいい年代に、わたしは突入している。
だから頑張りたくない。
タバコやお酒は健康に良くなくても、やめなくても健康な人がいるように、
運動が健康に良いとわかっていても、運動しなくても健康な人がいる。
これは自分に都合良い例を出しているに過ぎないが。

運動嫌いの知人に久しぶりに会うと、明らかに前に増して太っていて、苦しそうだった。
アタマではわかっている。
理想はよくわかっている。
だが、理想に合わせようと無理するとストレスになる。
そこの、せめぎ合いが微妙だ。
やはり、理想はアタマの中に常にある。
それは、自分を律すると同時にストレスのもとでもある。

とかなんとか。
Aさんは、もうすぐ山の頂上から見える美しい景色写真を送ってくるだろう。
良かったですね!と、応援するのみ。
わたしを軽登山仲間に引きずり込もうとしているようだが、わたしはにこやかに、後方支援。
素晴らしいと思うが、わたしはしない。
出来ないのか、したくないのか。
頭脳と本能が一致する時を待っていると、棺桶の中かも。