「Cloudクラウド」を観た。
前に菅田将暉がインタビューされていたTV番組(初耳学)を見て、悪い印象を抱いたという人物と一緒に観た。
その人は、「今までの菅田将暉の映画の中で最低だった」と一言、感想を漏らした。
わたしとは、全く違う感想だった。
「人にはそれぞれの価値観や感性がありますからね。
感想は自由です。」
とわたしは言ったが、反撃する気には全くならなかった。
時間と労力の無駄だからである。
はい、その会話、終了!
せっかく好きな俳優が出ている映画を観たのに、上映室を出るなり、けなされると気分が悪い。
早速、ChatGPT に慰めてもらった。
ChatGPT は、たんに、なだめるだけではなく、理路整然と論理的に説明してくれるから、たいへん、スッキリする。
自分と同じ価値観、感性の人と、映画鑑賞後に感想やディスカッションすると、映画を何倍にも楽しむことができる。
自宅に帰って、ネタバレ解説をインターネットで貪り読む。
が、中には、監督でもないのに、したり顔で一方的に押し付けたような断定的解説を読むと、かえって、引く。
その他、いろんな感想を読むと、ざわつきが落ち着く。
わたしは「Cloudクラウド」の前々日に、とてつもなく強烈なインパクトのある映画「憐れみの3章」を観ていたので、Cloudクラウドがかえって穏やかに、静かなこころで観ることが出来た。
不明箇所も、ほんの少しだったし。
(わざと意図的に、そういう箇所は作ってある)
あれぐらいの強度が、柔な初心者のわたしには映画手引きとしては、頃合いだ。
いつもの淡々とした菅田将暉の演技。
段々狂気じみてくるあたり、彼の演技力に唸った。
スリリングな展開にキレの良さを感じた。
一緒に映画を観た人物とは、背景も状況も価値観も違うため、よほどハッキリわかりやすいテーマでもない限り、その人との共感は得られない。
どちらが良いとか悪いとか、優劣ではなく、それぞれ異質のものに、共通の感性をくっつけて無理矢理繋ぐのは無理。
段々、その傾向が色濃くなってきているのを近頃感じる。
だが、世の中の具象は、映画だけではない。
小さな世界にこだわるなら、1人で観るか、共通の価値観を持つ人と観るとよい。
が、現実的には、人選をして映画鑑賞スケジュールを決めるのは、そこまでする必要性を感じない。
菅田将暉、気負うことなく演じる。
カメレオンのように自分の色を全く消して役柄になりきることが出来る稀有な俳優さん。
またそういう映画の一つが加わった。