蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

墓について

2024-10-19 | 
近年、子供に迷惑をかけたくないと、墓終いをする高齢者も増えている。
わたしは墓問題に、大変興味がある。

わたしは夫と同じ墓に入りたくないと思っていた時期もあったが、今は違う。
あーだこーだ、ああしたい、こうしたい、と好き勝手を言うと、人の手を借りず自分の力で出来ないなら、子供にかえって迷惑をかける。
墓地も昔からあるし、墓石は、夫婦のうち、残った方が自分の分と合同の(夫婦ペア一体型)墓石を建てるだろう。
後は子供が好きなようにすればよい。
墓地は、スペースはあり、広々スカスカなので、まだまだ何代も建てる余地がある。
姑とその前の姑が力を合わせて協力して、先祖分を一つの墓石にまとめたため、スッキリ。
墓石にはご先祖様の戒名がズラズラ。
頑張りました。姑と、先代の姑。
位牌は、我々夫婦の分、一つ増えるが、ちょっと仏壇が窮屈になる。
まあ仕方ない。
更に増えて、どうしても仏壇に並べて置けないぐらい、ぎゅうぎゅうになるとしたら、孫の次の代か。
その頃には地球はまだ存在しているのだろうか。
たぶん、とりあえずは、まだあるだろう。
我が家に関しては先代たちの奮闘のおかげで自分たちの代は心配ないのだが。
引き継ぎ、渡すだけ。
わたしは相変わらず隙間で楽をしている。
息子の代になると、後は息子に任せる。
息子の考えひとつだ。

娘たちに関しては、何も心配していない。
各人、好きなようにすればいい。
ただ、わたしたちの墓には入れない。悪いけど。
宗派の決まりごと、ルールなので。
ぜひ、入れてほしい、とは娘たちも絶対に言って来ないだろう。
順番として、仮に言って来るとしたら、親を亡くした時の孫だろうけれど、その頃は、わたしはあの世だし。
お応えできない。
その頃、流行っている方法で検討していただきたい。

しかし、天皇家も女系もアリなのに、いまだに、墓に家父長制を維持するのは、どうなのか。
宗教には時代の流れは関係ないのか。
ではあるが、葬式も家族葬になったり、墓終いも行なわれたりする今の時代、核家族になり流れは食い止められない。
好きにしたらよい。
昔風を固持したければ、したらよい。
嫌なら止めればよい。
現代に生きる人々に選択肢を残したい。
昔は、何がなんでも、こう!と、頭ごなしに、疑問に思う瞬間もなく決めつけられていた。
強い求心力、強制力のようなものがあった。
しかし、自由にすると、かえって決められないことがある。
大まかに選択肢を絞っておいたほうが、決めやすい。
①踏襲(続行)②断絶(止める)③保留の3つ。
手直し、見直しもあり。

さて、跡取りがいない次々世代は?
だれか孫のうちの一人が養子になると思われる。
誰も嫌だと断ったら?
一人ぐらいは、引き受けてくれると甘く考えている。
ちなみに、わたしの母が、母の孫たちのうち、誰かが後継になってくれるだろうと期待し、後に白羽の矢を立てていたように。
方法、見え方、人物は大いに変わったが、(墓は別として)結果的には跡を継いでいる=わたしの実家。

さて、わたしの場合。
1年に3回だけ墓参りしてくれたら、それでいいから、と懇願してその分のお金を残す。
が、お金を受け取ってくれない可能性はある。
義務とお金は一体なら、お金は要らん、と。
それぞれ自立していると、考えがハッキリしている。
お金では釣れない、動かない。
自分が生きている間に一生懸命、思いを伝えるしかない。
だが、墓維持のために残したお金は、墓終いに使われたりして。
知らぬが仏。

わたしの次の行き先はあの世なので、あの世のご先祖様グループと同じ場所へ、仲間入り準備、橋渡し。
場所は確保されている。
が、それがお墓だとは、否定はしないが、肯定もしない。
たぶん、きっちりガチガチに宗教心が固まっていない、ぼんやりした緩やかな信仰なのだろう。