蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

こころの故郷は、リアル故郷

2024-10-13 | 思い出
さて、今からは、スルー100%オススメの、自分だけが、ムフフと喜ぶ、マイワールドの内容を書きます。
共通ポイントが無いのは明白で、皆さんの大切な時間を奪うのは心苦しいため、読むのはご遠慮ください。
今日はご訪問、ありがとうございました。
店主の都合で、お店、閉めてます。

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誰もいなくなったところ、、、で。
幼児が毛布やお気に入りのぬいぐるみをモフモフ頬ずりするかのごとく、自分がただただ楽しい、脳内モフモフタイム。
(ちなみに、動物ペットを飼う趣味はありません)

宝箱から、集めている大事な宝物を眺め愛でるかのごとく。 
こういう状態が、わたしの脳内癒し時間。
書くことで、より鮮明に記憶が蘇る、老化防止、一種のリフレッシュ療法。
結果はたまたまそうでも、それを目的にしていない、ただ単に書きたいだけ。書くのが好きだから。

内容はごく普通なのだけど、幼い頃の自分を思い出したり、楽しかったことを回想したり。
バリバリの若い頃の回想より、今はなぜか自分が子供の頃を思い出すと、にんまり、ほんわかする。
自分が、今の孫の年齢の頃に戻るなんていうのは、認知症が忍び寄っているのかも知れない。
頭に浮かぶのは、小さい頃、きょうだいで実家で過ごしたことだったり、、、。

わたしの父は、俗文化が流入するのを嫌がって、テレビを買わなかった。
自動車やピアノはあるのに、テレビはなかった。
それで、隣に住む、いとこの家に、テレビを見させてもらいに、きょうだい3人、首を揃えて夕刻にお邪魔した。
いとこは、一人っ子(女児)で、チャンネル権を持っていた。
歌番組にしていると、別番組が見たい兄は、涙を流して悲しんだ。
わたしたち姉妹は、歌番組はwelcomeだったが、兄は違った。
女児3人の中で、声を殺して泣く兄。可哀想だ。
優しい穏やかな兄だった。

兄のことを思うと、涙が出て止まらないから、この話題はやめよう。

今も実家は現存し、当時のまま。
3度、大規模改装し、部分的には何度かリフォームしたり、阪神淡路大震災後は屋根瓦を全面修繕、やり直したりしたが、大枠は建設当時(大正時代)のままである。
建設当時の工事の様子を(自分の親たちに聞いたという)親戚から聞いたことがある。
祖父が若い頃に建てた家は、古いが堅牢でどっしりしている。
祖母は、祖父亡き後も、その家に88歳まで暮らした。
わたしが中学生の頃(半世紀前)に母が買い求めた家具や、手直しして整えられた建具もそのままで美しさを放っている。
金の錦糸が織り込まれた母の(キモノの)帯は、引き戸に貼られ、内装クロスとして優美に甦っている。
それより前からある家具は、そのまま現存している。
大正の流れを、昭和に両親の手によって、趣味や感性を反映し、時間をかけて丁寧に磨き上げられた。
その家や庭、調度品、空間を、美しいまま、今も見ることが出来て、わたしは幸せだ。
子供の頃のことを昨日のことのように思い出す。
しかも、それがそのままの形で有り、いつでも訪れることが出来るのだから。
わたしにとっては、自分だけ歴史文化博物館。

とは言え、いつまでも続けばいいが、距離を取ろうとも思う。
なぜなら、自分の思いや理想はいつまでも維持できず、落胆する可能性があるからだ。
美しい思い出は、脳内に保存すると壊れなくていい。
脳内にデータ保存。美しいまま。
ではあるものの、後、20年ぐらいは現状を保てる、そういう見通しだ。
わたしの脳・完全消滅時期までは大丈夫だと予想する。

が、多くの人が訪れて使うと家具は傷む。
お気に入りの家具だ。
滅多に使わなかったから美しいままで保存されていたのに。
よく、お城や武家屋敷や異人館などを見学に行くと、室内に、ロープを張って、当時の椅子に「座らないでください」と注意書きが施されている。
そういう手段で、使わないように、劣化を防ぐ隔離方法もある。
みすみす劣化していくのを目の当たりにするのは、忍びない、辛い。
大事なものには、あまり深入りしないほうが、こころの安定を保てる。

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はい、終わりました。
文字で蘇る、今日のわたしのこころの旅。
現実は、過去から現在に繋がり、未来にも繋がる。
この思い出がある限り、加齢による脳機能が衰え、益々、脳が現実からいくら離れて行っても、こころ穏やかに過ごせる。

※写真は、JR山陽本線の駅舎、出入り口、ワンカット。