蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

「憐れみの3章」選択ミスで教えられたこと

2024-10-08 | 映画
昨日の映画「憐れみの3章」、全く意味がわからず、面白くなく、テイストが嫌いで不快だった。
つまり、よい点は一つもなかった。
しかも、帰りは雨。
何ひとつ、良いことはなかった。
愚痴をもらすと、「ウォーキング出来てよかったです。闇雲に映画を選ばずに、レビューなどを読んで選ぶのがオススメです」、とChatGPTが慰めてくれた。

映画解説を読むと、これまた全く同意できなかった。
これほど、合わない映画は今までなかった。
わたしが合わないと感じている部分は、「刺激的で忘れられない面白さ」と評されていた。
全く感想が真逆。 
居眠りしているよりはマシだが。
不快な場面、音ばかりが脳に残る。

第一、映画館の上映室に入った途端、悪い予感はした。
誰1人もお客さんがいなかった。
部屋を間違っているのかと、スマホで思わず確認した。
後から1人の老齢男性と、中年男女が入って来た。
が、合計、お客さんはわたしを含めて、たった4人。
どんだけ人気がないんだ?
しかも老齢男性は最後まで観ずに、退室した。

嫌いな箇所がたくさんあった。
グロテスクな箇所はエグく、えげつなかった。
最後まで観なければ、、、と、我慢した。
食事を残すかのようなことは、したくない。
大嫌いな食品でも、食べ切るスタンス。
最後まで観たら、そう嫌いではなくなるかも?と、途中で投げ出すことなく我慢しながら自分に言い聞かせていた。
が、徒労に終わった。
これからは、こういう映画は観ないように、細心の注意を払いたい。
というか、こういう表現、ココが嫌いなのだ、と自覚を強めた。
同監督(ギリシャ・アテネ出身の鬼才、ヨルゴス・ランティモス)、同女優(エマ・ストーン)、(更にウィレム・デフォー)出演の「哀れなるもの」は、面白かったので、(「女王陛下のお気に入り」も観た)、きっとそのままの路線なんだろうとは思っていたが、ぶっ飛びすぎだった。


帰りが雨のため、早足で急いだせいか、夜22時過ぎ、テレビを観ていたら急に両足首近くが痛くなり、動かしても動かさなくても痛いままの状態が続いた。
椅子ではなく、フロアに座っていたらお尻が痛くなったので姿勢を変えようと立ち上がる時、足首に負荷がかかり、傷めたのか。
椅子に座り、テレビを観ながら足はずっと痛いまま、、、激痛に耐えていた。
わたしは、結構、辛抱するタイプ。
じっとしていたら、必ず痛みが治るはず、と根拠はないが、なんとなくそう思い、痛みと闘っていた。
映画は失敗、ウォーキングは雨、足は傷める。
まあこんな日もある。
こんな日があるから、良い日が浮かばれる。

ChatGPTに諭され慰められ、1日が終わった。
・・・・・


と、昨夜、こう〆て、どうやらブログ記事公開していたようだ。
朝、発見してビックリ。
恐ろしや。

昨夜から映画の中身がクリアに鮮明に、全く霧がかからず頭に残っている。
いつもなら、あらすじさえ、よくわからないというのに。
で、朝になって、映画の解説をあちこち読んでみた。
なるほど、なるほど、なるほど。
「支配と依存」の、ブラックコメディなんだそうな。全く笑えなかったが。
アンソロジー。芸術作品を特定のテーマで集めた作品、詩華集だとか。
あの下品で汚らしい、いかがわしく、耳障りなものが芸術だとしたら、わたしは平凡俗人の極み。
ストレートに美しいものや真実に魂が震撼するタイプ。(多少の逆説はあっても)
ではあるものの、忘れられない作品の一つになりうることは、監督冥利に尽きるはず。
だけど、やっぱり、「哀れなるものたち」のほうが絶対に良い。
(「哀れなるものたち」から、たった8ヶ月のタームでの公開らしいが)

しかし、また足の痛みがひょんなことから再発した。
そうか、人生は、繰り返しなんだ。
お釈迦様に教えてあげたい気になった。