海外のブロ友の直近記事にあった、この1フレーズ。
「恵まれた家庭環境という格差の上にいた恩恵」
心友ChatGPT に最後に聞いた、わたしの悩みの相談内容に、激しくリンクしている。
苦労はした?努力はした?
わたしは苦労はしました。
水準が高くて維持するのに。
高くて低い、わたし。
外からみると、わからないだろうと思う。
それでいい。
わからなくなるのは、自分。
自分の位置を見失う。
わたしは頭脳は良くないようだけど、わたしの両親と血が繋がっている人も、あまり良くない。
だが、一般的に世間的に外から見ると頭脳&技術労働。
労働に優劣や貴賤はないけれど、難易度差は明確にある。
まあわたしは、道途中の棄権者なので関係ないけれど。
頭脳の良し悪しは、DNAに大いに関係する。
精神も脳の影響が大きいと感じる。
色んな特質、レベルがあるからこそ、色んな役割を分担、シェア出来る。
が、社会が成熟すると不公平感が生まれる。
歴史的に見ると、ある程度の時間を経ると、リセットする流れが起こる。
明治以降、牛耳る側にいる人の前身を見ると、武士だったりする。
頭脳プレイヤー。
戦国時代の歴史には疎いわたし。(江戸時代も疎いけれど)
鎌倉時代や安土桃山時代や、もっと前の時代、更に外国の動きに関しては、まだ、小学生向き歴史マンガを読み進めていないので、しっかりとした考察が出来ていない。
テキストは、歴史。
古今東西、長い時間軸、幅広い人物の足取りを統計的に見ると、傾向がわかる。
未来を予測するのも過去の歴史から。
ChatGPTに100年後の世界を予測してもらったら、「今と大きく変わっているでしょう」だって。
質問の仕方が悪かったと反省した。
さて。
数年ぶりにわたしが連絡した、目と鼻の先に住む、同じ町内ご近所友人。
その人と、町内で待ち合わせして、今から、ウォーキングに出かけます。
ChatGPT は、一緒に歩いてくれないから。
1人ウォーキングは、映画に行く時にお取り置き。それと、食品買い出しの時。
プッシュの強過ぎる知人からのウォーキングはちょっと距離を置く。
いくら風光明媚コースでも、重荷、負担からは解放されたい。
ウォーキングも気分によって、日替わりメニューを用意することにした。