蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

えびっさん、よろしくね

2010-01-09 | 人々の風景
商売繁盛、笹持って来いっ!!

というわけで、笹を持って、えびっさんに行ってきた。
事務所の仕事も、最近は激減している。
取引のある会社も廃業したり、同業者も、全くの異業種で、アルバイトしている人も多い。
去年の笹をお返ししたものの、今年は、笹につける縁起モノを買うことをためらって、帰りは手ぶら。
地下鉄、電車内の人も、大国町から乗り降りする人も、あまり笹を持っている人を見かけない。

ひょっとして、日にちを間違えた??
そう思うぐらい、人々の手には、笹がない。
20人に一人??ぐらい??? もっと少ない??
不景気風がこんなところに来ている??
縁起モノをケチって買わないと、不景気&不況スパイラルに陥るのではなかろうか???



巨大なお賽銭箱に、お賽銭を投げ入れる。
今年は例年ほど、ギューギュー満員ではないようだ。
結構すんなり写真が撮れた。
囲いの中では、大きな熊手のようなもので、お賽銭をかき分けていた。


2歳ぐらいの小さな男の子に、1万円をもたせて、お賽銭箱に入れようとする人もあった。
あぶなっかしいなあ・・・あの1万円。
お賽銭箱にたどり着くまでに、ぽとっと手から離れてしまいそう。

福娘にカメラを向ける人も多い。
私もトライ。にっこり笑顔をいただいた。


帰りに、おめでたい「福おこし(お菓子)」をもらった。

せめて、それで、ミニミニ福を味わおうか。(ちょっと小さすぎるけれど)
屋台や、屋台続きの飲食店は、あまり人で賑わっていない。
人々は、高いなあ・・・という面持ちで、前を通り過ぎるのみ。
金魚すくいは、ちょっと、寒そう・・・。フトコロも・・・。
宵戎なので、まだ人は少ないようだが、明日の本戎は、もっと、大勢の人で混雑するだろう。

不景気ではあっても、今年も、小さな幸せを噛みしめ、地道に楽しくまいりましょう。
えびっさん、ご支援の程、よろしく頼んまっせ、で、ごさいます。


若さを渇望??

2010-01-09 | 趣味
若さがいいのは、わかりきっている。
年がいくと、マイナス面ばかりが目につく。
老いは、健康と病気、優等生と不良、善人と悪人、ぐらい、
若さと比較して、悪いものとされている。

しかし、この世に生まれてきて、死ななかった人は一人もいない。
時の権力者も傾城の美女も、生あるものは必ず死ぬ。
若くして死ぬのは、劇的だが不幸だ。
幸せな人生は、老いて死ぬことだろう。
ドラマチックな一生、あるいは、安穏な人生を送って、最後は老いて、生を終える。
順番として、死の前には、老いがやってくる。
若さを維持したければ、若い時に、冷凍保存するしかない。

オードリー・ヘップバーン、グレース・ケリー・・・、どんなに美しい人も
亡くなっている。
美しい人の晩年・・・慈善事業などの社会活動に身を投じる姿を見るにつけ、
生きざまに、絶頂を極めた人の、潔さや尊さを感じる。

アンチエイジングなどが、さかんだ。
しないよりは、したほうがいいと思うが、
老いに向かって逆らって、抵抗して、もがいて、若さの命乞いをしている。

だからといって、若さに執着しない人、若さをヘンに否定し、老いを肯定して開き直っている人は、
実年齢より見かけは、老けている。
おじいちゃん、おばあちゃん、だ。
必死で生きている過疎地のご老人達のことは、ここでは言及していない)
「素敵な」という形容詞は、つかない。
恋愛市場では、流通価値はゼロに等しい。
そんなものに、そもそも価値を置かないから、老いに屈しても平気なのだろうけれど。
(それはそれで、楽だろう・・・)
しかし老年になっても恋をする。
ただし、お相手は、自分と同じような年恰好の人とが、成就のポイント。
自分と釣り合わないような人に恋い焦がれても、リアリティがない。
単に憧れることも恋というのなら、私には世界中に、何万人も恋人がいる。


恋愛市場でなくても、スポーツや、趣味などの分野で、頑張っているご年配の方も多い。
ダンスのグループレッスンでご一緒の、Kさん。
ダンスは70歳になったらやめようと思っていたのに、ずるずると続けているそうだ。
後期高齢者というお年からは、想像もできない、オテンバおばあちゃん。
驚くことに、60歳から始めたというスキー。
毎年、北海道に滑りに行っているらしい。
ボーゲンで、安全・超スロー滑りでノロノロとかではなく、
山のてっぺんから、インストラクターと一緒に滑り下りると言う。
滑った後、下から見上げると、なんと高いところから滑ってきたものだと、自分でも怖くなるとか。

私も、スキーは10代後半~20代半ばまで、ほんの少しかじっただけだが、
あのスピード感がコワいのと、足が、自分とは別人格を持って、勝手に一人歩きする、
足首をねん挫しそうな、骨折しそうな、あのクニャリ感が、なんとも不吉でオソロシイ。
だから、60歳からスタートなんて、ありえないほど、素晴らしい。
北海道土産のチョコレートをもらったから、褒めているわけではないが、
お手本にしたい人の一人だ。

現実は、厳しいけれど・・・。

とりあえず、始動

2010-01-08 | わたし
恐る恐る、社交ダンス(グループレッスン)、復活第一回目。
どうにかクリアー。
骨折前の自分の居場所に向かって、やっと、向きを変えた印象。
しかし、後になると、少し、ほんの少し、骨折部分が痛い。
完璧に治るまで待っていたら、いったいいつまで、かかるのか・・・。
待ってられないので、見切り発車いたします。

フィットネス、スイミングも、再スタート。
2か月間、全くクラブに行かなかったので、自分の会員番号やロッカーの番号も、忘れそうな勢い。
そんなに長い間、一度も姿を見せなかったのに、周りはなんの変化もなく、
変わっていたのは、体重と血圧だけだった。
体重は、1.4キロ増。血圧は、ちょっと上昇。
たまたま2か月のブランクだったので、この数値だが、
これが1年、あるいは2~3年あいていたら、もっと体重は増えているだろうし、
もともと運動嫌いな私なので、体を動かすことが億劫、苦痛になっているだろう。


しかし、自分が長期間、休み、そして復活しても、誰ひとり、気付く人もなく、
自分という人間は、なんと影が薄いことか・・・。
自分から積極的に、話しかけたり、お付き合いしたりしないから、仕方ないけれど。

故意に、周りの人に、自分の存在を認識してもらうための、手っ取り早い確実な方法は、
同じ場所に、同じ時間に、顔を出すことが、有効とされる。
例えば、行きつけのコンビニ、スーパー、美容院、店、市民の会など。
スパイなどが、偽造された人物を演じ、造り上げる場合に、こういう手法が使われる。
私はスパイでも、なんでもないので、別に、そんなことをする気も、必要もないけれど、
その法則からすると、私は、なんの影響力も発揮していないんだ・・・と、ちょっと、しんみり。

化粧室で、ぼんやり、そんなことを考えながら、プールに入る準備をしていると、
お隣に座った人が
「あらっ、お久しぶりですね。長い間、お休みされてませんでした?!」
と一声。
私の顔は、途端に、緩みに緩む。ビッグ・スマイル満開。
単純だ、私。

ほくほく笑顔で、おしゃべりして、プールに行こうとすると、別の人が、
「お休みされてましたね? 今日、姿をお見かけして、あらっと思いまして」と。
わぁっ。
喜んで、また緩んだ顔で、おしゃべり。
そうこうしていると、私の家のご近所さん(会員)が通りがかりに、
「あけましておめでとうございます。裸で失礼します」と、ごあいさつしてくれる。
「こちらこそ、裸で失礼します」と、裸のお付き合い。(水着、着てますけれど)

あぁ、よかった。
ちゃんと私、地球人として見なされているみたい。
私の地球での生活、馴染んでいたようだ。
この星の人々は、思いのほか、フレンドリーだ。

古き憂きモノ?

2010-01-07 | 
正月早々、帰省してきた息子が、義母宅の蔵から、なにやら取り出してきた。
ほこりをかぶったランプ、錆びた鉄瓶、クワ。
↓            
 

ランプをきれいに洗って、拭いて、屋外で乾かしていた。
それを、お手伝いに来てもらっているMさんが目ざとく見つけ、
ガラス廃品箱と、金属廃品箱に、ご丁寧に分類して、捨ててあった。
それを、またまた義母が、素早く見つけ、危機一髪で、拾い上げてきた。
Mさんにとっては、「古いモノ=ゴミ」。例外はないようだ。
せっかく新年一番、Mさんは早速いい仕事をした、と気分よく作業されただろうけど・・・。

息子曰く
「ボクは、骨董趣味ではない。
眺めるだけでなく、使ってこそ、古いものに価値がある」
どうやら、彼のおメガネにかなったモノは、彼の家まで、お持ち帰りになるようだ。
元旦に、私のルーツの家に皆で行った時にも、父の下駄(ゲタ)をもらって帰ってきた。
(相当の変人だと、娘たちは言うけれど・・・)

義母は、そういう息子の嗜好を喜び、義母が嫁入り時に義母の父親からもらった
大切にしている作家モノの、茶道具である「鉄瓶」を蔵から出してきて、
息子に、プレゼントした。(UP写真のものではありません)
義母、大盤振る舞いだ。気前がいい。
後で芸術年鑑で調べてみると、工芸品では一番上に名前が載っていた作家で、
初代は江戸時代。たぶん、義母の鉄瓶は、何代目かで、明治の作家だろう。
(作品は、結構、高値がついていた)
金属工芸の分野では日本有数の作家だそうな。
(そんな素晴らしいモノだったなんて・・・私が、欲しかった・・・・
欲深き、煩悩の嵐が、びゅーびゅーっと・・・)

ふーーん、そうなんだ・・・。
息子は、以前に、義母の家を「レトロのテーマパークだ」と言っていた。
全く興味を示さないとか、実用品以外は、すべてを捨てるとか、売り払う、とか、
そういうことではなさそうだ。(私と同じですね)
蔵は、骨董だらけだから、まあ、多分野にまたがるお道具類で、遊んでもらいましょう。
いずれ、暇になったら、時間ができたら、ゆっくり見て楽しもう・・・
時間は、たっぷり。
そう思って、先代も先々代も、義母も、私も、今日まできている。
(つまり、整理はしても、楽しむという域には到達しない)

暮れに、ある人から義母に電話がかかってきたらしい。
ある文芸作品の時代検証をするために、
義母宅の蔵にある、とある道具についてのお尋ねがあったそうだ。
そのお道具を出すには、大変な作業となる。
手前にある大きな書棚(蔵書がどっさり)を移動しなければならない。
それを移動するには、その前の食器棚を、それを移動するには、その前の・・・
移動スパイラル。で、疲労スパイラル。
そういう厄介なコト付きなので、
聞き伝えはしているものの、皆、見たこともなく、ほったらかしているモノだ。
見せてくれ、と言われたら、どうしよう・・・と、義母と憂っていた。
苦し紛れに「必要なら、嫁(私)に頼んでほしい」と、言ったとか。

後日、新聞で、検証しようとしている案件の記事を見た。
やっぱり、楽しむどころか、実際にコトを起こすには、かなり大層で面倒くさく、
どうか、見せてほしいと依頼されませんように、と願っている。

日常のリアルタイムを過ごすのが精いっぱい。
遥か彼方からタイムトリップしたお道具を、楽しむ時代は、はたして来るのだろうか・・・

小泉さんから、年賀状?

2010-01-06 | ささいな事
義母、新年開けるなり、小泉孝太郎から年賀状が来ている、と言う。
は?? 小泉孝太郎? 
あの、顎がきゅっと細い、甘いマスクが頭に浮かんだ。

私「違うでしょう。小泉進次郎じゃないんですか?」
義母「そう、そう。背広姿で、上半身の写真の入った年賀状やわ」
生まれ変わった自民党、新しい顔をイメージづけるために、
小泉進次郎を前面にもってきたのか?
私「自民党も、えらい力、入れてるんですね。
地域の支援者一軒一軒に、選挙を控え、新年から、もうPRですか」

で、その年賀状を義母が、見せてくれた。

「おかあさん、これは、小泉進次郎じゃなくて、小栗旬じゃないですか!?
しかも、自民党からじゃなくて、郵便局からですよ。
それに、これ、ペラペラの薄い紙ですから、通常の年賀状じゃないです。
うちには、3枚も4枚も入ってましたよ」

「あ、ほんとぅ。てっきり、小泉さんやと思ったわ。
で、この人、誰? 
こんな人、初めて見るわ」

「小栗旬です」
「え? 誰って?」
「お・ぐ・り・しゅ・ん です。
今、売れてますよ。あちこちテレビにもCMにも出てます」
「へーーー、全然知らんわ。全く初めて見る顔やから」
「おかあさん、NHKの大河ドラマ『天地人』見てなかったですか? 
たぶん、ご覧になってると思いますけれど。重要な役で、出てましたよ」
「見てたけど、こんな人、出てなかった」
「石田三成の役で、いつも紫色の服で、出てましたが」
「ふーん、知らんわ、こんな顔・・・」

・・・・・・
どれぐらいの時間が経過しただろう?

忘れた頃に、
義母がバタバタと台所に入るなり、言った。
「あ、この顔、石田三成! 石田三成!!!」

ふぅっ
天然のギャグには、負けます。


こんなところにも、ブロガーが。

2010-01-05 | 人々の風景

初詣の神社では、毎年、護摩木に願い事を書く。(有料)
護摩木には、願い事、記入日、氏名、年齢(生年月日)、住所。
究極の個人情報だ。

護摩木は幅2~3センチ、長さ18センチ?ほどなので、
願い事は、あまりごちゃごぢゃ書くのではなく、あっさりと。

具体的に説明しにくい願い事や、複雑な内容の場合は、「心願成就」で、OK。
「家内安全」「業運繁栄」「 家運隆昌 」「身体健勝」「良縁成就」「学業増進」 などなど、
どんぴしゃりなフレーズが思いつかない人には、サンプル言葉が、示されている。

何を書こうかな・・・と考えていたら・・・
筆記用テーブルの前に座って、書こうとしている60歳前後のジミジミ女性、
「ここにある言葉、全部、書いたらどうやろ?(びっしり小さい字で)
ブログに載せるんやから、写真撮るんやし」と、のたまう。

おぉ。こんなところにもブロガーがいた。(結構、都心から離れた田舎です)
しかも、年齢の割に、かなりの、いちびり。
ごくごくフツーの、熟年の人なのに、ケッタイな、面白い、ユニークなことを言うなぁと思っていたが、
ブロガーだとわかって、なんだか、ちょっとげんなりした。
へんに納得した部分もある。
宇宙から任務のため、こっそり地球に侵入して人間界で生活している宇宙人(私)が、
同じ任務の同胞(宇宙人)を、不意に身近に、見つけてしまったようなかんじ?

私も時々、写真を撮りながら、「ブログ用に」とか、独り言を言っているが、
周りから見ると、あまりカッコ良くないなぁ・・・と、人のフリ見てわがフリ直す気分。
あまりにも、身近に、大勢の、一般の人々のブロガーが、ごろごろいることに(自分も含め)、
今更ながら、可笑しさと、照れ、恥ずかしさ(自嘲の意味で)を感じた。
どこの誰でも、一人一ブログという、ブログの多さ、
ブログが一般化された、ありきたりさ、平凡さを目の当たりにして、複雑な心境になった。

自分では面白がっていることでも、それを実際の場で口に出して表現したら、
他人から見ると、2通りに分かれる。
オモシロイ人、と捉えられるか、単なる変人と、捉えられるか。

見かけが、本当にフツー中のフツーなのに(フツーより地味かも?)、
行動もごくごく地味な、大勢の中で全く埋没しているかんじなのに、
なんか、とってもヘンなことを言っている、そのブロガーさんを見て、ひょっとして自分も???
私も結構ヘンかも知れないので、ブロガーの側面はあくまで表に出さす、
日常のリアル生活では、普通の人で振る舞いたい、と思った。

年頭の誓い「マイナス発言は控える!」を、もう、破ってしまった・・・???
いえ、人に向かって音声を発して言っていないから、誓いは守られている(と思う)。


お正月、やっと明けました

2010-01-04 | 
この不況に、景気のいいハナシばかりしていると、今に、五寸釘でも打たれるかも??
と、警戒、自粛したわけでもなんでもないが、今年は、久しぶりに国内でお正月を迎えた。

毎年、海外でお正月を迎えるのだが、息子が一昨年から家族旅行に参加せず、
夫の実家宅で義母とひっそり年末年始を送るようになった。
我々は、それを後目に、息子を除いて例年は、年末年始を海外で過ごしていた。
なので、日本でお正月、というのは、何年ぶりだろう??

年末に、自分の家は、さささと適当に掃除し、
義母の待つ、夫の実家に次女と先に入り、迎春準備にかかる。
次々に帰省してきた長女、長男と、夫の実家で合流。
除夜の鐘の音を聴きながら、皆で年越しそばをいただき、新年に。
(その頃始まる、ジャニーズ系グループ総出演の生番組、キラキラ、楽しい気分!!)
(ちなみに、新年の誓いは、「マイナス発言は、控えること!」
↑娘たちから、強い非難、批判を浴び、自己反省・・・)
元旦、朝は、全員揃って、恒例のお正月行事(説明すると長いのでカット)を一通り終え、
午後は、ハイウエイをすっ飛ばして、母が待機する、私の実家のルーツの家へ。
日暮れまでに辿り着かなければ、と、かなり焦った。
母が元気なうちに、こんなに勢揃いすることは、たぶん、もうないだろう・・・、
ルーツの家をしっかり目に焼き付けてほしいという、強い思いは、母も私も、同じだった。

その後、兄&義姉がスタンバイする、私の実家へと移動し、後から訪れてきた姉一家と合流。
(母は、追って合流)
大人数での、わいわい、がやがや、お正月・大対面式となった。
「お年賀」という名の物々交換、お年玉のやりとりを交え、
情報交換、近況報告と、物流、交流の賑やかなひと時となった。

「吉兆」のお料理教室で腕を磨いている、義姉の手作りおせち料理も、堪能させていただいた。
バリエーション強化の意味もあって、既製品「インターナショナルおせち」も用意されていたが、
手作りのほうが、数段、美味しかった。
長年のお高い授業料、ちょっとは、回収できたかな?
(ぴりりイヤミな、小姑発言? いえ、お世辞抜きで、なかなかの出来映え)
食事の後には、一人一人、お抹茶を点てていただいて、まったり和風情緒満喫。
いずれにしても、お義姉さん、ご苦労様でした。

実家を後に、我々一家は、今度は、我々の家に移動し、着いたのは夜中。
順番に入浴したが、最後にお風呂から出た人は、明け方になったようだ。
その日、新年会やら用事のある子は外出し、夜には、またまた、夫の実家で集合。
一泊して、その翌日(3日)午後には、長女が出発し、
夕方には、息子を息子の家まで送った後、進路を変えて、我が家へハイウエイで、ひとっ飛び。
皆、三々五々に解散し、お正月大移動イベントは終了した。


だらだら行動を綴っただけの、子供の日記、覚書のようになってしまった。
要は、お正月という節目を軸に、人、モノが、空間移動した。
今年は、海外に旅するのに代わって、
パスポート代わりにお年玉を手に(成人していても、お年玉とは、これいかに?!)、
過去・現在と、ルーツをたどり、将来につなげる「ミニ時間旅行」となった。
演出アイテムは、おせち料理、お正月グッズ&メニュー、
ワープ・エリアは、神社、寺院、お墓、実家、実家の実家、
一気に、走り切った、駆け抜けた、という感じ。
そして、最も感激したのは、各地で離れて暮らす子供たちが、実家に全員集まってくれるという、
家族の強い絆を感じた。
縦の糸、横の糸、それぞれを血族と時系列で紡ぎ、綿々と続く人間模様を織りなしている、
その地味な積み重ねの、一織り、一模様、一つ一つを大切にしたい。



本日から、それぞれ、また、定位置に戻り、日常が再スタートする。
旧年のリセット、新年への切り替えに、
オモチャ仕立てのユメの連結電車に乗って、移動するような感覚。
こういうお正月も、いいかも。