蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

お正月、やっと明けました

2010-01-04 | 
この不況に、景気のいいハナシばかりしていると、今に、五寸釘でも打たれるかも??
と、警戒、自粛したわけでもなんでもないが、今年は、久しぶりに国内でお正月を迎えた。

毎年、海外でお正月を迎えるのだが、息子が一昨年から家族旅行に参加せず、
夫の実家宅で義母とひっそり年末年始を送るようになった。
我々は、それを後目に、息子を除いて例年は、年末年始を海外で過ごしていた。
なので、日本でお正月、というのは、何年ぶりだろう??

年末に、自分の家は、さささと適当に掃除し、
義母の待つ、夫の実家に次女と先に入り、迎春準備にかかる。
次々に帰省してきた長女、長男と、夫の実家で合流。
除夜の鐘の音を聴きながら、皆で年越しそばをいただき、新年に。
(その頃始まる、ジャニーズ系グループ総出演の生番組、キラキラ、楽しい気分!!)
(ちなみに、新年の誓いは、「マイナス発言は、控えること!」
↑娘たちから、強い非難、批判を浴び、自己反省・・・)
元旦、朝は、全員揃って、恒例のお正月行事(説明すると長いのでカット)を一通り終え、
午後は、ハイウエイをすっ飛ばして、母が待機する、私の実家のルーツの家へ。
日暮れまでに辿り着かなければ、と、かなり焦った。
母が元気なうちに、こんなに勢揃いすることは、たぶん、もうないだろう・・・、
ルーツの家をしっかり目に焼き付けてほしいという、強い思いは、母も私も、同じだった。

その後、兄&義姉がスタンバイする、私の実家へと移動し、後から訪れてきた姉一家と合流。
(母は、追って合流)
大人数での、わいわい、がやがや、お正月・大対面式となった。
「お年賀」という名の物々交換、お年玉のやりとりを交え、
情報交換、近況報告と、物流、交流の賑やかなひと時となった。

「吉兆」のお料理教室で腕を磨いている、義姉の手作りおせち料理も、堪能させていただいた。
バリエーション強化の意味もあって、既製品「インターナショナルおせち」も用意されていたが、
手作りのほうが、数段、美味しかった。
長年のお高い授業料、ちょっとは、回収できたかな?
(ぴりりイヤミな、小姑発言? いえ、お世辞抜きで、なかなかの出来映え)
食事の後には、一人一人、お抹茶を点てていただいて、まったり和風情緒満喫。
いずれにしても、お義姉さん、ご苦労様でした。

実家を後に、我々一家は、今度は、我々の家に移動し、着いたのは夜中。
順番に入浴したが、最後にお風呂から出た人は、明け方になったようだ。
その日、新年会やら用事のある子は外出し、夜には、またまた、夫の実家で集合。
一泊して、その翌日(3日)午後には、長女が出発し、
夕方には、息子を息子の家まで送った後、進路を変えて、我が家へハイウエイで、ひとっ飛び。
皆、三々五々に解散し、お正月大移動イベントは終了した。


だらだら行動を綴っただけの、子供の日記、覚書のようになってしまった。
要は、お正月という節目を軸に、人、モノが、空間移動した。
今年は、海外に旅するのに代わって、
パスポート代わりにお年玉を手に(成人していても、お年玉とは、これいかに?!)、
過去・現在と、ルーツをたどり、将来につなげる「ミニ時間旅行」となった。
演出アイテムは、おせち料理、お正月グッズ&メニュー、
ワープ・エリアは、神社、寺院、お墓、実家、実家の実家、
一気に、走り切った、駆け抜けた、という感じ。
そして、最も感激したのは、各地で離れて暮らす子供たちが、実家に全員集まってくれるという、
家族の強い絆を感じた。
縦の糸、横の糸、それぞれを血族と時系列で紡ぎ、綿々と続く人間模様を織りなしている、
その地味な積み重ねの、一織り、一模様、一つ一つを大切にしたい。



本日から、それぞれ、また、定位置に戻り、日常が再スタートする。
旧年のリセット、新年への切り替えに、
オモチャ仕立てのユメの連結電車に乗って、移動するような感覚。
こういうお正月も、いいかも。