蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

今度は愛妻家

2010-01-21 | 映画
今日は、週に一度のフィットネスの日。
だが、、、外は、雨。
薄暗い、鬱陶しい天気。
木曜日の社交ダンスレッスンをやめてから、この日は、どうも、活動がスムースではない。
スタート時間が決まっていないので、だらだら、ズルズル・・・。
来週こそは、ちゃんと行こう、と思うのだが、最低最小限度のフィットネスしか出来ない。
時間切れにつき、スイミングは、カットせざるを得ない。
ひょっとして、マシーン ルームではまた、あの、オゾマシキ ドラマ「牡丹と薔薇」を再放送しているかも???
今から、胸やけがしてきた。

人間、やはり、なにか迫るものがないと、自主的には、コトを起こせない。
特に私のような、意志の弱いものにとっては。
このまま、ずるずると、パソコンの前に座っていそうな悪い予感がする。

ブログに、前から書こうと思っていた「今度は愛妻家」にチャレンジしてみようか。
なにかを引きずって、なかなか書けなかった。
なんでもかんでも、すぐアップする私にしては、珍しいことだ。

と、こんなに前置きが長くなってしまい、
ここまで読んだ方は、今更、もうこの先を読む気がしなくなってしまったことだろう。


さて、「今度は愛妻家」
トヨエツと、薬師丸ひろ子の、とてもシブく、切ない映画。
涙が勝手にハラハラと流れ、公開してまだ間もないというのに(16日 土曜日公開)
なんと、しつこく2度も映画館に足を運んで、観てしまった。
オカマの石橋蓮司は、なかなかの名演技。
2回目も、涙が流れたが、泣くシーンは、微妙に1度目と違うところだった。

じんときた。
何を思い出す?
苦労をかけている人、私が好き勝手しても我慢してくれてる人。
でも、お互い様。私だって、我慢していることも、いっぱいある。
一方的な苦労なら、均衡が保たれないから。
そうやって、もたれ合い、許し合い、愛情を育て、信頼関係を築いていく。
どんな人にも当てはまる。
だから、みんなが見ればいい。ぜひ、おススメします。

ということで、面白いけれど、辛口の映画だった。
今までの幸せ、明日からの幸せ、考えさせられる。

行定勲監督、渋いです。
さすが、ヒットメーカーの名を馳せる所以。
カメラマンのレトロPOPな自宅、東京の、ゆるい閑静な街並み、
時間やシーンのコマ送り、
豊川悦司と薬師丸ひろ子の、いい味。
オカマを絡ませることで、その味付けを、ありきたりではないものにしている。
あれが、オカマである必要は全くないのだが、オカマなところが、この映画のミソ?
アクセント? 
ストーリーには、相当ヒネリが盛りこまれている。
原作(中谷まゆみ)が、そうなっているんだろうけれど。
2度見ると、そのディテールが、さらによくわかる。


全く親切心のない説明になってしまった。
この映画を観たことがない人にとって、わかりやすく説明しようというキモチが
まるで感じられない内容だ。
せめて、あらすじなり、なにか役に立つ情報を入れるべきなのだろうけれど
映画鑑賞中に、映画の中に自分が入り込んでしまい、出てきたころには、もぬけの殻。
2度も観る映画、というのは、自分にとっては、文章にするパワーが残っていないようだ。
ワーワーした説明文を読むよりも、観ていただくしかない。



おバアの昔話

2010-01-20 | 読む人々には興味ない話
昔、昔の物語。

今では、枯山水のおバア にも、若い頃がありました。
ボーイフレンドは、4才年下のカワイイ男子、名前はトモクン。
大阪市内でも有数の高級住宅地に住む、オボッチャマでした。


トモクンは、オボッチャマの例にもれず、中学からは私学の一貫校に通っていた。
一応、大学生ではあったが、知能指数は(おそらく)いいのだろうけれど、
驚くほど学力は低く、学力コンプレックスを根強く持つおバアだったが、
世の中には、上には上が、下には下がいることを思い知った。
それよりもなによりも、本人は全く、コンプレックスを持っていないことに、とても驚いた。

でも、ヘンな理屈をこねまわすでもなく、なんの曇りもない目と心を持つ、純粋で従順なトモクンだった。
子供か、ペットが変身して、ひょろひょろと背の高い男子になった、そんなかんじだった。
純粋な馬の目を見た時にも思ったけれど、濁りのない眼でまっすぐ見る眼差しには、
世の中の汚れなんて、見えないのだろうな・・・。
おバアは、こんなトモクンが大好きだった。

ある日、トモクン、20才のお誕生日のこと。
「チッチッチッ、チーッ」と、時計の針が、誕生日の時刻を刺した時、20才を迎えた彼は言った。
「今、オレ、変わった? 大人になった?」
彼は(生物として)20才になれば、同時に、自動的に、大人になると信じていたようだ。
狼男が月夜に変身するみたいに、20才の誕生日に突入すると、中身も外見もきっちり20才に変わるはずなので、
その変化が、外から見て、わかる?という意味なのだけれど。
その考え自体に衝撃を受けた。
この子、本気なの? 本気でこんなこと信じてるの?
びっくりも、ビックリ。
20才にもなって、こんな子がいるんやー、と。
サンタクロースも、きっと、本当にいるって、信じてるに違いない。


彼は、そもそも、おバアの親友と付き合っていた。
おバアは、それを奪った(というカタチになってしまった)。
しかも、おバアには前歴も数回あった。
おバアは今でこそ、普通で、マトモだが、若い頃は、結構、ひどい人だった。
反省、懺悔。
しかし、おバアが、けしかけたのではなく、勝手に向こうがフラフラなびいてきたのだが。
オトコという生物は、そういう傾向にあるようだ。
まあ、断らなかった、おバアも悪いけれど。


「オレのオヤジ、アパート経営してるねん。オレ、長男やから、それ全部、引き継ぐねん。」
というトモクン。
将来にわたり、現金収入の道は確保されていて、アクセクしなくていい、というかんじだったけれど、
大人になるにつれ、色々学ぶこともあるんだろうなぁ。

「オカンに、『あんた、立派なお嬢さんと歩いてたけど、誰なん?』って、聞かれてんけど、
オレ、日記書くの面倒やから、その日あったことや、感じたこと、みんなオカンに話してるねん。
オレの代わりに覚えててくれて、便利やで。」


なにしろ、トモクンのエピソードは尽きません。
純真無垢で、オツムは少々弱いけれど、愛すべきキャラ。

トモクン、あんなに従順だったら、おバアより個性の強い、吸引力のある人が出現したら、
また、そちらになびくと思う。
こっちになびいたり、あっちになびいたり、クラゲみたいに、大海をゆらりゆらり、ふらふら。
そうなる前に、ピリオドを迎えて、幸いだったのかも。

元祖、草食系男子、トモクン
今は、どんな中年オジサンになっているんだろう。

新聞に、追いかけられて

2010-01-19 | 読む人々には興味ない話
うちは、朝日新聞を取っている。
大阪市西区の肥後橋にある朝日新聞大阪本社ビルは、のっぽのツインタワーに建て替えられる。
四ツ橋筋を挟んで、東西に1棟ずつ、ツインタワーが建つが、
その片っぽの東側の方が、現、朝日新聞大阪本社ビルより先に工事が行われている。
先日、地鎮祭も行われ、着々と進行中だ。
現、朝日新聞大阪本社ビルから、向かいの建築現場が見おろせるので、その様子がとてもよくわかる。

それはそれとして、今後、益々羽ばたく(であろう)朝日新聞だが、
新聞の未来は、とても険しいものとなっている。

私は、毎日新聞を取っていた頃もある。
誌面が、半分に折った時に、上下、真っ二つに分かれる、読みやすいレイアウトになっていたので、
通勤電車内で読むには、もってこいだ、という理由からだった。
その後、朝日VS毎日の熾烈な?戦いを繰り返し、今は、朝日新聞に落ち着いている。

いしいひさいち氏の「ののちゃん」が好きで、選んだような朝日新聞なのだが、
(右寄りだの、左寄りだの、全く、わかっていない・・・)
今、いしい氏は、病気療養中で休載のため、
漫画スペースは、記事で埋まり、三面記事・最終ページとしての誌面がシマらない。
早く復活してもらいたいものだが、見通しは、はっきりしないようだ。
朝日新聞は、いしい氏がお気に入りのようで、新しい漫画家を用意するわけでもなさそうだ。
私としては、最終ページに漫画がないのは、どうも、しっくりこないのだが。

インターネットで、ニュースを読むことが多くなっている。
意見も即座に書き込める「双方向性」も、紙の新聞に比べると、断然、優位だ。
しかし、新聞は、好むと好まざるにかかわらず、広げると、そこには否応なしにいろんな記事が目に入る。
知らないことを知る。
インターネットは、興味のあることに関しては、どんどん深く進んでいくことができるが、
興味のないことは、目には飛び込んでこない。知らないままに、行き過ぎてしまう。
そのあたりが、偏狭効果を生むのではないかと、危惧する。
ちらと外見だけを見て、嫌いなものは一切食べず、好きなものだけ食べる、偏食児みたいなものだ。
外見さえ、存在さえ知らないで、通り過ごしてしまう。
そんな大人が多いように思う。


毎日、パソコンには触れるのに、新聞は、積まれたまま、あっという間に一週間。
土曜日の「be」が好きで(特に「悩みのるつぼ」の大ファン)、待ち遠しいぐらいなのに、
その「be」も溜まると、おっくうになる。
溜まりに溜まった新聞を、日曜日の夜、直近の新聞から読んでいく。
日、土、金、木、ぐらいまでで、ダウン。
週の前半は、積み残したまま、次の週の新聞が積まれていく。

積まれた新聞を見て「新聞、取るの、やめたら?」と家人は言うが。
やめるわけにもいかず、今日も、山積みされた新聞に、溜息をついている。
せめて、今日の分だけでも読もう。
と、思い立ち、今、先週土曜日の「悩みのるつぼ」を読んだが、やはり、おもしろい。
やめられそうにない。


本日のネタは、ヒネリやオチのない、つまらないものになってしまった。
自分でつぶやくだけのブログなのだから、
どんなにくだらなくても、自分さえ満足していればそれでいいのだが。
へんに、閲覧数がチラついて、モチベーションをあげてしまっている。

自分を殺して、見知らぬ他人に媚びて(ウケをねらって)、
結果的に面白くないものになったら、本末転倒だ。
自分を生かして書いたところで、所詮、読む人にとっては、つまらないものだけれど。
とりあえず更新さえすればいい、という方向性は、よろしくない。

よくわかりません

2010-01-18 | ファッション
自治会の班長会議があった。
いつものごとく、つつがなく終了した。

なんのトラブルも不満もないのだが、ひとつだけ、気になった。
参加者の服装。
なにも自治会会議に限ったことではないのだが、
会議のある自治会館まで、会員の皆さんの家からは、最も遠い、足の遅い人でも徒歩3~4分以内。
家ではホームウエアーを着ている人は、ちょっとそこまでの服に着替えるかも知れない。
祝賀会にでも招かれるのなら、例え地域の自治会館でも、それなりにドレスアップする人もいるだろう。

忘年会の時は、ご近所レストランで、ハレの会だったから、まあ、ブーツも良しとしよう。
(細身のロングブーツの女性は、2名いた)
しかし、通常の会議、それも日曜午前10時からというと、家からそのまま出席で、
外出から帰ってきて会議に直行する人も、ほとんどないと思う。
(都心からうんと離れた、ベッドタウンなので)
なのに、M女史は、またまたロングブーツ。
前は、黒革、細身のロングブーツ。今度は、ブルーのスエード。

そんなの、人それぞれ、何も迷惑を被ったわけでもないんだし、ほっときゃいいじゃない。
家の中でも、シルクのロングドレスを着て掃除機をかけようが、ピンヒールを履いて、洗濯物を干そうが
ネイルアートをびんびんにして、お風呂掃除をしようが、
人のライフスタイルなんだから。

しかし私は、乳幼児を連れたママが、超ハイヒールを履いているのを、何回か見かけたが、
どうしても、賛成できない。
これから、あれこれ困って、経験を積めば、感じ取ることかもしれないけれど。

なにはともあれ、ファッション重視。
都心のホテルや、ショッピング、発表会や参観日ならいざ知らず、
住宅街、家から下駄ばき距離で、そのファッション、素敵?
ファッションには、私も結構関心がある方だが、
価値観の違いは、大きい。

たまたま、玄関にそのブーツが出ていて、他の靴を探すのが面倒だったとか?
どんな時にも、どんな状況でも、お洒落を敢行する、完璧タイプとか?
私と同じような年齢なのに、それは、むしろ、見習うべきなのかしらん???




キ・モ・イ

2010-01-17 | 人々の風景
私のことをほんの少しでも、プラス評価してくださっている方は、以下、読まないでください。
毒を発散しているだけですので。


私のなかの、キモ・エネジーが動いた。

ハナ金の夜、地下鉄の車内。ドア入口、真横。
目の前の、男性は積極的、女性はそうでもない、カップル。
年齢35歳ぐらい???
男性は、モノにしたい感ありありだけど、女性はちょっと引きぎみ。
近寄る、近寄る、男性が。
顔、スレスレだ。
わ、お互いの顔は、どアップ。
男性、赤い、顔。熱気むんむん。
女性の困惑、すごくよくわかる。
確かに、男性はセリ寄ってるけど。
でも、気持ち悪いんよねー。なんだか気の毒。どうなるんだろう、この二人。
あ、微かに動きが見られた・・・。
男性の押しに、女性は、なびきそうな勢い。
酔った勢いか、面倒になったのか、はたまた、突然、気が変わったのか?
それとも、実は、前から好意を持っていた?
なら、最初から素直になれよなー。
ほんと、目の真ん前だから、見ていて結構キモい。
見なきゃいいんだけど、自分の立っている位置、角度上、避けられない。
持病の、コワいもの見たさ?

ホコリをかぶった、枯れ老女には、キモ臭が強すぎます。
激近、車内では、老若男女、みんなに、優しい環境を。

牡丹と薔薇

2010-01-16 | 読む人々には興味ない話
スポーツジムで、エアロバイク運動をしている間は、イヤホンをして、見たいチャンネルを選び、
テレビを見ることにしている。
NHKが相撲を生放送中だったので、それはやめて、隣のテレビに目を移した。
すると、そこでは、ありえなく不気味なドラマを再放送していた。

全編に愛と憎しみが咲き乱れ、とことんまで人間の本質を描いたドロドロの愛憎劇『牡丹と薔薇』
東海テレビ・フジテレビ系列で、2004年1月5日から3月26日まで放送された昼ドラらしい。(全60回)
「ボタバラ旋風」をも巻き起こしたという、スゴさ、私が、目を奪われるのも無理はない。
ちなみに、中国でも、2007年1月15日から『牡丹與玫瑰』のタイトルで、毎日22:00から中国CCTVで放送されたが、
中国では「CCTVは公の場で謝罪しろ」など反発が相次いだとか。
あの、なんでもあり、の(ように感じる)中国人でさえ、ビビるんだから、
私のような気の小さい人間が見れば、何をかいわんや、である。
ぎょぎょっとするような、わざとらしい悪趣味の作り込みに、またまたコワイモノ見たさの血が騒いだ。
見せ物小屋の前で、フリーズする子供のように。

オドロオドロシイ内容。
恋人に捨てられ、遺書を書く看護士のオンナ(キャスト/川上麻衣子)。
内容が、ありえない。
今時、なに? あれ?
「そいとげられない二人なら、先にあの世で待っています。」→ めまいクラクラ。
次。
さっさと、鬱陶しい粘着質タイプの恋人を捨て、お金持ちのお嬢様(キャスト/北原佐和子)と結婚するオトコ。
お嬢様の邸宅で誕生日パーティー。
義父から、娘婿のオトコへのプレゼントは、大手ゼネコン会社の設計部長への昇進。
お嬢様からは、手作りの心をこめて刺繍したネクタイ。
モチーフは、牡丹と薔薇。この世のものとは思えないデザイン。脈が、止まりそうだ。
あんなチャッチイ、ダサいネクタイをさせられるオトコ、いったいどこに、どういうシチュエーションで着用する?
贈った側も、そんな気の毒なネクタイをした夫を、目を細めて、嬉しそうに眺められる?
あのネクタイのデザインそのものが、このドラマ、そのものだ。

パパ(オヤジ)は、定番の膝丈ガウンを着て、ブランデーグラスをゆらゆら揺らす。
(これって、ギャグまんが「パタリロ」に出てくる人と、同じ?)
威張り方が、シーラカンス並にオカシイ。テンション高すぎだし。
セリフ、身のこなし、すべて漫画。あれは、笑わせるドラマなのか?
シュールなギャグが満載だ。
夫婦でダンス(ブルース?)を踊ったり。もういいって。
ダンスの時にかかっている曲が、これまた、すごい歌。失神しそうになる。
高い笑い声に包まれた幸せなシーンを、外からじっとガラスの窓越しに看護士のオンナが見ている。
これは、どうやら「第7話」のようだが、やはりギャグドラマなんだと確信した。
不気味さが売り、でもギャグだ。

日本で作られたとは思えない。(東海テレビって、ある意味、スゴイ!!)
テレビ界もここまで来たか、血の苦悩。
焼きが回ったとしか思えない。
視聴率さえ取れたら、それでいいのか?
テレビマンとしての、意地やプライドはないか?
ショックで、その夜の夕食は、のどを通らなかった。。。。(だから、サンドイッチにした)

ほんの25分間ほど見ただけなのに、
めまい回数、数回、脈飛び回数、数回、心拍停止寸前回数 数回、失神寸前回数 数回、
のけ反り回数と、突っ込み回数、数えきれないほど(見ている間中、ずっと)
衝撃映像シリーズのように、目に焼き付いてしまったが、
まんまと、制作者の罠にハマらないよう、気をつけなければ。
視聴率は最高14%まで行ったという、この、おばけドラマ、
ブログに書いている時点で、もう、半分、足を突っ込んでいるようなものだが。
来週のジム、テレビ(NHK)で相撲をやっていないことを祈る。
(もし、相撲をやっていたら、また隣のテレビに・・・。)





偏差値ミーハー

2010-01-15 | 読む人々には興味ない話
人には、色々、好きなものがある。
目がないもの、となると・・・
ある人は、特定のブランドだったり、スウィーツだったり、
また、ある人は、漫画家だったり、ゲームだったり、タレントだったり、
あるいは、お酒、ペット、ギャンブル、・・・・あれこれ、あれこれ。
目が、勝手にキラキラ輝いてしまう分野があるものだ。

目がない、というと、ちょっと違うような気もするけれど、
私の場合は、アタマのいい、「高学歴」ブランドに、目がない。
ちょっとやそっとじゃあ、凡人には手に入らないもの。

宇治原氏は、計画を立てて、高校3年の時から1年間、京大入試の受験勉強に挑んだそうだ。
(大阪教育大学附属高等学校天王寺出身らしいので、学校からの指導もそこそこ行われていたのだろうけれど。)
京大合格者は1日10時間勉強している、との情報を得て、彼は11時間勉強したという。
ただ、だらだら机に向かうのでは、意味がない。
高性能勉強ロボ・ウジハラは、その性能を発揮する。
3か月ごとの目標を立て、最後の1か月は、過去問(過去に出題された問題)で、総仕上げ。
テキスト1冊となると、多くてうんざりして、手がつけられないけれど、一日に割ると、ぐっと少なくなる。
そこで、一日何ページと決める。
11時間も、頭の緊張感が続くなんてところは、凡人とは違うのだろうけれど。
教科書には、アンダーラインを引かない。全てが重要だから。ふむふむ、なるほど。
彼は、暗記力が、抜群のようだ。
意味なく丸暗記ではなく、なぜそうなのか、前後の関連や筋道を理解すると覚えやすい。
暗記する時は、口に出す、書く、歩きまわる、とのこと。
私なら、一日中歩き回っても、なにひとつ、覚えられないで、
夜になって、なぜ、こんなに足がガタガタしてるんだろう・・・
あ、そうだ、暗記しようとしてたんだ、ってなかんじだろうけれど。

私は、自分にないものに憧れる傾向があるので、
お金をいくら積んでも手に入らない、「偏差値が高い」という分野には、過激に反応してしまう。
わ、ステキ、と、痺れてしまう。
偏差値世代でもあるので、ほぼ、「信仰」に近いものがある。

アタマのいい人には、共通するものがある。
私の尺度は、低すぎて申し訳ないのだが、
素早い理解力、正確な記憶力、組み立てる力が、秀でている。
そして、集中力、正しい国語能力、思考力を備えている。
(社会人としても、必須ではあるけれど、能力には、人それぞれ差がある。)

というわけで、私は、高偏差値ブランドに弱い。
ミーハーな私は、(ミーハー→死語?!)
宇治原氏の、とんがった、ピリピリした、感度のいい、サエたアタマに、目がない。


コミック コーヒーブレイク

2010-01-14 | わたし
帰省3日間、コミック三昧の長女。
コミックにどっぷり。
コミック休憩時間に、気分転換。
紅茶と、バターたっぷりの、さくさくクッキー。
で、娘に、唐突に聞かれた。

(娘)おかあさんの夢は、なに? 何が、したい?

(私)夢? したいこと?
うーーん、そうやねえ・・・
よく気が付いて、さりげない気配りのできる、そして、押しつけがましくない、
フットワークの軽い、でも、さほど料金がお高くない、そんな現地ガイドさんに、
必要な時だけサポートしてもらう、個人旅行がしたいな。

どこへ?

とりあえずは、まあ、パリぐらいかな。
ネットブックを持って。

ふーーーん・・・
私の参考になるかと思ったけれど、全然アカンかったわ。
そういうのじゃない、・・・もっと・・・、違う夢は、ないの?

じゃあ・・・えーーーっと・・・世界平和。
世界中の人々が、戦争がない、そんな社会になってほしい。

戦争と言っても、国同士で喧嘩するものだけが、戦争ではないよ。
いろんな種類の戦争は日本国内にも、起こっているよ。
企業戦争、教育戦争、格差戦争、育児戦争、・・・

ふむふむ、なるほど。
でも、恐ろしい無法者国家が、近くにあっても、本当の意味での戦争が、
日本に起こっていないのは、ありがたいと思ってる。

日本はアメリカに守ってもらっているんだから、いい意味でも悪い意味でも、
アメリカの影響を受けざるを得ないよね。

日本のこれからは、どうなるんだろう?
競争に勝って頑張っていた日本人の長所は、骨抜きになってしまったように思う。
やっぱり教育って、大事かなぁ。
先進国をお手本にしたいところだけど。

欧州の先進国は、EU(欧州連合)で手を結んで、乗り切ろうとしているけれど、
アジアにおける日本は、他のアジア諸国の中では、発展の歩調が合っていないから、
EUは、お手本にならないしね。

うーーん、・・・むつかしいね・・・・・・


などと、おカタイことを、コーヒーを飲みながら、ちょっとだけ話し、
またまたコミック・ワールドに戻って行った。


コミックス
「娚(おとこ)の一生」 西炯子(にし けいこ)
「ブレーメンⅡ」 川原泉
「聖☆おにいさん」 中村光

ちなみに、コミックといっても、大したものだ。
漫画家は、素晴らしい。
監督、脚本、演出、役者、一人で何役もこなすから。
「娚(おとこ)の一生」は、今の草食系男女の心境がうまく描かれていて、おもしろい。
こういうの、カレセン(枯れたような年代の男性を好む女性の嗜好)というらしい。
カレセンといっても、加齢臭のする、ホンモノのご老人ではなさそうだけど。

湧き出るモノの渦の中で

2010-01-13 | 
私は、お片付けが、かなり深刻に、不得意だ。
昨日も、書類を、リビングの棚の中に入れてあるファイルに入れようとすると、ぱんぱんで、はち切れそう。
で、ファイルを3つに分散させた。
そうすると、棚に入っている、ここ数年の家計簿が邪魔。
なので、違う場所に移そうと、次の納まり場所を探した。
2階の私のウォーキング・クロゼット内に入れようとしたのだが、年々増え続ける衣類が満杯で、入らない。
仕方ないから、あふれ出ている衣類を外に出して、家計簿用のスペースを確保した。
そうすると、家計簿は納まったのだが、衣類が外に出たまま。
衣類をどうにかしないといけない、と思い、今度は、あふれた衣類の納まり先を探した。

押入れの下段の収納ボックスに、入れようと決めた。
とすると、その収納ボックスに元から入っている衣類を、放り出さなければならない。
納戸から段ボール箱を取ってきて、その中に、収納ボックスから衣類を出して、詰めた。
すると、今度は、その段ボール箱の納まる先がない。
段ボールは、結構大きいので、どこにも入らない。
もう・・・いや。
放置した。
置き去り、ネグレクト。


気を取り直して、ついでに1階台所横の押入れの中を整理。
溜まりに溜まった、何年分もの大量の領収書や、書類、DMを処分。
奥の段ボールに入っているモノを整理しようと、箱を開けるものの、
あ、これ要る、身近に置いておこう、役に立つ、とかいうものを
次から次から箱から取り出したら、あっという間に山になった。
せっかく、大量の書類などを一生懸命、処分したばかりなのに。
また、それらの納まり先を考えて、憂っている。

右から左、上から下、と、場所を、永遠にエンドレスに、移動させているだけ???
次の行き先を見失ったモノが、山となって、今、ダイニングテーブルの上に積まれている。
明日、食事するのに、邪魔。はやく、動かさないと・・・。

私は、整理能力は、皆無だということをしみじみ実感し、ひたすら疲れている。


言うのは、勝手。言うだけですけど。

2010-01-12 | 読む人々には興味ない話
9日夜、嵐主演のTVドラマを見た。
嵐もデビュー時は、あまりの、ぽっと出ぶりに、どうなることかと思ったが、
今は、いいかんじになっている。
相葉雅紀が、いい。
(前は、「桜井翔が、いい」って言ってたけど。
爽やかで、カワイイお顔もさることながら、
ニュースキャスターをスマートにこなす、「お利口キチンと感」が、今も好きですが)
残念なから、今回のドラマでは、あんまり相場チャンの良さは発揮してなかったように思う。
バラエティ番組で見せる、自然体で、「遅れてやってきた感」がいい。
完璧ではないかんじが、好きかも。
最近、光ってる。

松山ケンイチも好きなんだけど、テレビではめったにお目にかかれないし。
彼は、けったいな役が多いせいなのか、そうそう多くはテレビに出ないようだが、
そう言えば、TVCMでなにか、一言しゃべってた。
「訛り」が、彼を個性的に際立たせる演出効果あり。

いつも目にしてないと、(たま~に、ユニクロの折り込みチラシで見るぐらいでは、)
脳の回路に焼き付いていたものも、薄れてきてしまうのが、いかにも私、俗人。。。


年齢をもっと上げれば・・・素敵なのは、かっこいい、ダンディな男性。
見かけのカッコよさは、セクシーさにつながる。
「外見だけで中身がない人はダメ、中身が大事だ」と、日頃、口を酸っぱくして言っているが、
外見がある程度クリアしている上で、中身も大事だってことだ。
若い時には備わっていないもの、
たとえば、潤沢なお金、博識・教養、出来上がった人格、地位名誉、・・・
それはそれで、とても素晴らしいが、異性を熱く魅了するのは、むしろ、そんなものは付録に過ぎない。
理屈抜き。生身の魅力。
男性も、外見のカッコよさを放棄した途端、どっと老ける。
鮮やかな色の鳥が、真黒なカラスになる。
女性にあれこれ注文をつける前に、ご自身の外見を見直してほしい。

外見のカッコよさは、内面からにじみ出る部分も、もちろん大きいが、
セクシーという面は、ちょっと違うところから来る。
肉食系というのは、ひとつのエネルギー。
カッコ良くなくても、男性的味わい(セクシーさ)が、女性に好まれる路線で、
にじみ出ていれば、よろしいかと。(実は、昨今は、このサジ加減が、難しい)
不細工、またはダサくて、女性に相手にされない男性、はいて捨てるほど、この世にいる。
それなら、いっそ、不本意でも、草食系に転身して、安穏に楽に生きる?

「どの口で、どの顔で、そんなことを言っている?」と言われそうだ。
いいんです。
私は一生、どんな醜くなっても、自分の道、探求していくつもり。
その時々に応じて、素敵と感じる人は変わるかも?
80才になった時は、その時の人、90才にはその時の人。
探求心、旺盛。
見かけや年齢を超えた、おどろおどろしいものを昇華した、そんな日は必ず来ると思う。
でも、そんなの、おもしろくないから、さっさと死んでいるかも。
それより、寝たきりで、自分も回りも、それどころではないかも。

心身ともに自由が利くうちに、ハートをビビッドに保っておこう。
笑われたっていいから、自分流のこだわりをもって、お洒落もしたい。
嵐をはじめ、美しきビタミン源たちを心ひそかに、楽しもう。
ヒアルロン酸代わりに、美容効果もありそうだ。
ご近所M女史のように、全国ツアーの追っかけをする気は、さすがに、ないけれど。