蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

古き憂きモノ?

2010-01-07 | 
正月早々、帰省してきた息子が、義母宅の蔵から、なにやら取り出してきた。
ほこりをかぶったランプ、錆びた鉄瓶、クワ。
↓            
 

ランプをきれいに洗って、拭いて、屋外で乾かしていた。
それを、お手伝いに来てもらっているMさんが目ざとく見つけ、
ガラス廃品箱と、金属廃品箱に、ご丁寧に分類して、捨ててあった。
それを、またまた義母が、素早く見つけ、危機一髪で、拾い上げてきた。
Mさんにとっては、「古いモノ=ゴミ」。例外はないようだ。
せっかく新年一番、Mさんは早速いい仕事をした、と気分よく作業されただろうけど・・・。

息子曰く
「ボクは、骨董趣味ではない。
眺めるだけでなく、使ってこそ、古いものに価値がある」
どうやら、彼のおメガネにかなったモノは、彼の家まで、お持ち帰りになるようだ。
元旦に、私のルーツの家に皆で行った時にも、父の下駄(ゲタ)をもらって帰ってきた。
(相当の変人だと、娘たちは言うけれど・・・)

義母は、そういう息子の嗜好を喜び、義母が嫁入り時に義母の父親からもらった
大切にしている作家モノの、茶道具である「鉄瓶」を蔵から出してきて、
息子に、プレゼントした。(UP写真のものではありません)
義母、大盤振る舞いだ。気前がいい。
後で芸術年鑑で調べてみると、工芸品では一番上に名前が載っていた作家で、
初代は江戸時代。たぶん、義母の鉄瓶は、何代目かで、明治の作家だろう。
(作品は、結構、高値がついていた)
金属工芸の分野では日本有数の作家だそうな。
(そんな素晴らしいモノだったなんて・・・私が、欲しかった・・・・
欲深き、煩悩の嵐が、びゅーびゅーっと・・・)

ふーーん、そうなんだ・・・。
息子は、以前に、義母の家を「レトロのテーマパークだ」と言っていた。
全く興味を示さないとか、実用品以外は、すべてを捨てるとか、売り払う、とか、
そういうことではなさそうだ。(私と同じですね)
蔵は、骨董だらけだから、まあ、多分野にまたがるお道具類で、遊んでもらいましょう。
いずれ、暇になったら、時間ができたら、ゆっくり見て楽しもう・・・
時間は、たっぷり。
そう思って、先代も先々代も、義母も、私も、今日まできている。
(つまり、整理はしても、楽しむという域には到達しない)

暮れに、ある人から義母に電話がかかってきたらしい。
ある文芸作品の時代検証をするために、
義母宅の蔵にある、とある道具についてのお尋ねがあったそうだ。
そのお道具を出すには、大変な作業となる。
手前にある大きな書棚(蔵書がどっさり)を移動しなければならない。
それを移動するには、その前の食器棚を、それを移動するには、その前の・・・
移動スパイラル。で、疲労スパイラル。
そういう厄介なコト付きなので、
聞き伝えはしているものの、皆、見たこともなく、ほったらかしているモノだ。
見せてくれ、と言われたら、どうしよう・・・と、義母と憂っていた。
苦し紛れに「必要なら、嫁(私)に頼んでほしい」と、言ったとか。

後日、新聞で、検証しようとしている案件の記事を見た。
やっぱり、楽しむどころか、実際にコトを起こすには、かなり大層で面倒くさく、
どうか、見せてほしいと依頼されませんように、と願っている。

日常のリアルタイムを過ごすのが精いっぱい。
遥か彼方からタイムトリップしたお道具を、楽しむ時代は、はたして来るのだろうか・・・