蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

静かな盛り上がり

2011-06-20 | 日々のこと

昨日、アップした「眠たい話」は、じつはわたしが、いちばん眠かった。
途中で、こっくり、こっくり。

すみません、二日にわたって、手を入れました。
読んでいただくには、長かったです。つまらないし。


なんだか、気が抜けた。

趣味というものは、所詮そういうもの。
歯を食いしばって頑張る必要性がない。
だから、ものにならない。

仕事や生活は、そういうわけにはいかない。
モチベーションって、苦しいけれど、不可欠なもの。


話は、ころっと変わって・・・
昨夜、焼肉を食べにいった。
父の日だったからか、満員で、ずいぶん、待たされた。

なが~く待って、やっと注文を取りにきてくれた。

夫、次女Rは、ケータイでメールや、あれこれ。
わたしは、ぼんやり。
ときどき、ケータイを開いたり、閉じたり。
静寂のなか、カチャッ、カチャッと、開閉音。

わたしたちのテーブルだけが、しーーーん。
静まり返っている。
他の席は、わいわい。

会話も、ぼそぼそ、ばらばらで、あっちこっち、飛んだり、ブツ切れになったり。
ひとつの話題で、話が続く、なんてこともなく。

夫のメール相手は、東京在住の長女M。
わたしにも、メールが入っていた。
内容は、それぞれ別々。

なんか、おもしろい、ねじれコミュニケーション。

我々は、しらけているとか、険悪とか、そんなのではなく、
微妙な温度の家族愛を保っている。

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焼肉は、とても美味しく、大満足だった。
で、ここで、唐突に、
父の日。
お父さん、ありがとう。。。。なんて、言ったりして・・・


眠たい話

2011-06-19 | 人生

赤裸々に自分のことを綴りたい・・・
と思っても、本当に重大なことや、ひとに知られたくないことは、まったくと言っていいほど綴ってない。
というか、綴る気がない。
綴ったところで、自分は楽しくない。

これは、一種の欺(あざむ)き?
いえ、自己防衛です。

こころの中に、しっかりと、しまいこんで、門外不出。
仮に「大切な何か」があったとしても、世の中の誰にも、どんな身近な肉親にも、
どんなに解り合えた大親友にも(いませんが)、一生、表さない。
それは、幼い頃からの、わたしの信条。

自分と向かい合うために書くこともあるが、
実際のところ、自分にとっちゃ、半分どーでもいいことを、ちゃらちゃら書いている。

刺身では食べられない鮮度のものを、濃い調味料で味付けして、ごまかしているかんじ。
沿岸地から遠く離れた内陸地の中華料理というかんじ。 (こってりしていて、好きですが)
ぷりぷりした海鮮料理とは、ほど遠い。
血が滴り落ちる、生肉感は、ない。
シュワツと、ほとばしるフレッシュ感もない。

あるとすると、納豆みたいな、腐ってるんだけど、食べられる、発酵食品みたいなもの。
ネバネバ、とろとろ系?

ヨーグルト、チーズ、味噌、キムチ、・・・
けっこう、美味しいじゃない?
鋭い一突きをしているときも、まれにあるかも?
それは、狼が満月の日に、吠えるとき。
と思いきや、たんに腐っているだけで、おなかをこわすこともあるだろう。


それに、わたしは力もないくせに気分屋さんなので、
「書きたいこと」と、「書きたい気分」と、「書ける状況」が、重なるときに、
はじめて、自己満足できるものが書ける。(人にどう映るかは、別として)

これは、外出時の洋服選びに似ている。
その日の天候、温度、行動予定、会う人、気分、いろんな要素が重なり、服を決める。
が、最近は、同じ服ばかり着ている。
佃煮にするほど服があるというのに。

これは、老化現象の一部で、見た目より、快適性を重視しているから。
おしゃれは、見た目を優先し、どれだけ苦痛や、不快さに耐えることができるか、踏み絵みたいなもの、
そういう忍耐度チェック説があるが、わたしは、いの一番に躊躇(ためら)いなく、踏み絵を踏んでいる。

というか、他人は、わたしの服など、まったく見ていない。
わたし自体を見ていない。
本人が思っているだけ。
それを「こだわり」だと、おめでたく思っていても、実際は単なる「自意識過剰」。

これは、ファッションだけに限らないことだろう。


こんなことを書いて、こんな秘密をもらして、大丈夫なんだろうか・・・と思うブログもあるが、
彼ら、彼女らにすると、べつに、どおってことない内容なんだろう。
視点が違う? 価値観が違う? 生き方が違う? 住む世界が違う?
というか、あまり深く考えてないんだと思う。

女性として、一番大切なものを、売ったり買ったり、商品として捉える感覚は、わたしには理解できない。
(商品化は、女性だけでもないけれど、絶対数から言えば、女性が断然、多い)
この世の中、そんなことを言うのは、時代遅れなんだろうか。
アタマの古い、脳ミソが硬直した「シーラカンス」ですね、と、冷ややかな目で見られるだろうか。
(太古の昔から、人間の職業として最も古いものは、春の売買なので、今に始まったことではないが)

結婚だって、ひょっとすると、バージョンが違うだけ、包装方法が違うだけのケースもあるかも知れない。
社会制度、こころ、肉体、お金、これらがキーワード。
(年齢が上がると、肉体は、カット傾向)
それぞれが特化されると、
性の商品化は、お金と肉体。
非婚パートナー(カップル)は、こころ。
結婚は、社会制度、絆。


プライドは、ひとそれぞれ、顔が違うように、違うだろう。
世間のモノサシで測れない、独自のモノサシもあるだろう。

もって生まれた能力、性質、DNA、育成環境、背景、努力、意識、まわりの人々、
そういうことが複合的に合わさって、一人の人間が形成されている。

わたしは、究極は、出会いにあると思っている。
価値観を構成するものの土台は、人や、体験との出会い。
親や家庭は、まず、その第一歩。ただ、これは、自分では選べない。
出会いというには、選択肢がなさすぎる。
が、避けることができない強力なもの。

親の教育方針によって歩む道が方向づけられる。
学校は、人生のコースを歩き始める、最初の第一歩。
人格形成の発達段階で出会う学友たちの影響は、とてつもなく大きい。
また居住地近隣で出会う人々にも影響を受ける。

さらに成長するに従い、
実際に会ったことがない人や、経験したことがないことでも、書物や、映像などで知ることができる。
映像は、直接的で訴えやすく便利だが、( YouTubeは、国をも滅ぼす)
知の部分で脳を活性化させるには、文字、言葉は重要な役割を果たすと思う。
影響力は無限大。

衝撃を受けたり、感動したりするのは、実体験や、未知への旅、映像、動画のインパクトに勝るものはないが、
深く思考したり、ものごとを探ったり、追究したり、想像したり、
細かく説明したり、微に入り細に入り補足して伝えたりするのは、言葉や文字の力は大きい。

影響を受ける人と出会うことが、人生を左右するポイントかも知れない。
すばらしい人に出会っても、自分とのギャップが大きすぎれば、素通りし、まったく興味を覚えないだろう。
人間は楽な方向に、流れる。

類は友を呼ぶ。
複数の自分と同じような人と接していると安心できる。
居場所を見つける。

傷口をなめ合い、上昇しようとする人を引きずり下ろすグループもあるだろうし、
励まし合い、上昇し合う、高め合うグループもあるだろう。
その人の性質や情況によるだろう。

わたしは、憧れたり、理想とする人がいると、そのレベルに近づくのは無理としても、
少しでも、ほんの一部でも自分に取り入れたいと願う。
逆の場合もあり、良くないと感じることは、自分も、気づかず、やっているかも知れないと思うので、
極力、気をつけようとする。


アタマではわかっていても、まったく価値観が異なる場合がある。
まるで理解できない人々もいる。

違うことばかりではなくて、なかには、人間として、共通する価値観や感性、感覚もあるはずなんだが、
それが見出せない。
そういう場合は、どうすればいい?

理解できないのは、お互いに、だろうけれど。


こんなにいい歳をしていて、まだ、こんなことを言っている、わたし。
だから、まだ、いろんなことを学び、吸収する余地は、大。
良く言えば、「柔軟性がある」、悪く言えば、「未熟」、ニュートラルに言えば、「未完」。

悟りの境地に達すれば、理解できるのだろうか。
達観する頃には、あの世で微笑んでいることだろう。

 

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あの世でも、まだ、理解に苦しんでいるかも知れない。

それより、わたしの回りのひとたちは、わたしのことが理解できないかも知れない。

いいえ、それほど関心を示されていない。それが、正解だろう。(ファッションと同じ)

理解したければ、そして、理解してほしければ、お互いに努力が必要であることは、間違いない。

 

ここまで、お読みになられた方、おられますか?
あらら、おられない・・・あ、そこに、おひとり?
ありがとうございました。ほんとうに、お疲れ様でした。

 


隣に寝ているのは、だれ?

2011-06-18 | 日々のこと

今週の日曜日に、飲みすぎて意識が一部、ぶっ飛んだ。

でも、べつに、表面上は日頃となんの変化もなく、日常生活は、ふつーに続けられていた。
本人が、部分的に、脳のヒューズが飛んだだけの話で、
特別の深刻な事態に見舞われることもなく、やれやれと胸を撫でおろしていた。
が・・・。


一昨日の夜遅く、携帯電話が鳴った。

「おかあさん、いま、どこ?」

見覚え、聞き覚えのない内容に、マチガイ電話かと思った。
よぉく聞いてみると、東京の長女Mだ。

「そっちこそ、こんな時間に? いま、どこなん? 東京?」
とわたしは、なんのパイプもつながらないまま、聞いた。

「いま、(実家の)近くの駅。
ケータイ、見た?」

と、M。
あわててケータイを見ると、Mからのメールが入っていた。
「23時ごろに駅に着きます」

そういえば、なんか、ケータイが鳴ってたけれど、そんな急ぎの用でもないだろうと、
チェックせずに、放置していた。

東京の娘が、なんで? 
とりあえず、取り急ぎ、車を出して、超特急で駅まで迎えに行った。
なんで、前もって連絡してこない? 
出張かなにかわからないけれど、いきなりじゃあ、準備もなにもできないじゃない!
車中、もやもやと、こころのなかで、ぶつぶつ、つぶやく、わたし。

娘を車に乗せ、「出張? えらいまた、急やね」
と口火を切った。

「わたし、ちゃんと前もって連絡してたやん。
おかあさんも、ちゃんと返事くれてたし」と、M。

「え、そんなメールもらった?」
「12日にメールして、すぐ返信があったよ」

まったく身に覚えがない。じつに、まったく。
メールを見せてもらうと確かに、その通り。
そして自分のケータイのメール受信、送信を見てみると、確かにその通り。

よくよく日時を確認してみると、あの、記憶がぶっち切れた日の、ぶっち切れ時間帯。

しかしまあ、酔っ払いからのメールは、誤字脱字だらけ、とよく聞くが
なんの、なんの、記憶にない酩酊状態の、わたしからのメールは、
まったく誤字脱字のない、実にしゃきっとした、理路整然とした冷静なメールだった。

それを覚えていないというところが、恐ろしい。

「いいモノがありますよ、と持ちかけられたら、おかあさん、どんな額でも即座に買いそうやね」
そうMに言われた。

悪徳業者にまんまと騙されても、まったく覚えがないだろう。
悪人なら、相手に一方的に責任があるが、
それより、自己責任のファンドや株をかばっと大量に買っていたりしたら、どうしようもない。

冷や汗たらり。
背筋に冷たいものが走った。

今のところ、記憶喪失は、Mのメールと、実家の母からの電話だけだったが、
もっともっと重大なことが、ずいぶん経ってから発覚、なんてこともあり得る。


翌朝、隣に見知らぬ異性が寝て、高いびきをかいている、というストーリーをテレビやマンガでよく見かけるが
よーーく思い出してみると・・・
飲んで、へべれけになったところまでは、覚えているが、そこからが・・・???

わたしの場合、記憶も飛ぶほど酔っ払っているのに、乱れもなく完璧に、いつも通りのルーチンワークをこなし、
酔った跡形、惨状もなく、整ったままでは、本人は、思い出すにも思い出せない・・・
メールの内容も、いたって正常で、事実に則った内容だったし・・・

隣にイケメンが寝ているのと、どっちが、おったまげるか?

そんな心臓に悪いサプライズに比べると、
突然の娘の帰省・・・のほうが、まだ、ずっとマシのようだ。

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イケメンが隣に寝ていたら、どうする?
しかも、はっと気づくと、二人とも、いとも涼しげな格好で・・・

「いやあ、昨夜は、まいっちゃいましたよ」なんて、イケメンが言って・・・
で、わたしが、・・・あーだ、こーだ・・・と・・・

これは、オソロシイ想像なのか、ふざけた想像なのか、
はたまた願望的妄想なのか・・・???(いや、それはない・・・、たぶん・・・)

いえいえ、
お酒に対する警告です。
ここは、真摯に受け止めましょう。
飲みすぎに、注意!!


負けるケンカは、しないこと。

2011-06-16 | 仕事

人に喜んでもらえるのが、うれしい。

そういう連帯感を伴った価値観が、震災後、人々のこころに新たに加わったのでは・・・
と、先日、テレビ番組内で糸井重里氏が仰っていた。

だが、相手が喜んでくれても、自分が喜べない内容なら、単なる相手に対する依存にすぎない、
と、あるブロガーさんは仰る。


以前に、仕事を通して知り合った、ある方、T氏が、自分の失敗談を話してくれた。
T氏の知人の、ある風俗嬢に、直接、面と向かって、風俗嬢の存在価値を否定したそうだ。
すると、その風俗嬢は、ブチ切れて、履いていたブーツで殴りかかってきたらしい。

「わたしは、お客さんに喜んでもらっています。
人に喜んでもらえること、すなわち、自分の存在価値があるということです!!」

ズタズタにこころを傷つけられたその風俗嬢は、二度とT氏と会うことはなかったそうだ。

いくら自分と考えが合わないからって、人の価値観を否定してはいけない。


ちなみに・・・
わたしも、T氏に、アタマから存在価値を否定されたうちの一人。
その風俗嬢のように、ブーツで向かって闘えばよかったのだが、
あいにく、わたしは、とんがりブーツを履いていなかったし、武器にしては、中途半端。

わたしは、その人の事務所に、怒り収まらぬまま、湯気があがった、抗議文をファックスした。

先日、そのファックス原本が、ゴミ箱がわりにしていた箱の奥底から出てきた。
自分でそれを改めて読んでみて、顔から火が出るやら、なんやら・・・まあ、お恥ずかしい・・・

人間には他人には触れられたくない、ナイーブで、デリケートで、センシティヴな部分がある。
(英文字でなく、カタカナなところが、和製英語ニュアンスの表現になってます)

特に社会人にとっては、職業を否定されると、頭上から隕石(いんせき)が落ちてくるような衝撃で
ぺちゃんこ、木っ端微塵に砕け散る。

「おまえは、この仕事をするに値しない」なんて、よく、言いますよね。Tさんよ。


しかし、導火線は、実は、わたしにあった。
その人の仕事のある一端を見て、全面否定してしまったのは、わたしが先だった。

なので、相手は、逆襲してきたということになる。
自分のやったことと同じことを相手にされ、自分のしたことが、わかったというわけだ。
10年以上たって、気が付くのは遅すぎるけれど。

わたしの怒りは相当なものであったが、相手も同様。
お互い、生きていくうえでの「プライド」を傷つけては、いけません、ってこと。

今、思っても失礼だったかと言うと、やはりわたしの感覚では、今も、同じ思い。
プライドを傷つけたのは、悪かったが、T氏の仕事のやり方に対しては、やはりわたしは、無理解。

そんな傷を持ち合う、犬猿の仲ではあるが、毎年、年賀状はやりとりしている。
再会、和解の提案らしきものが、ここ最近、先方から伺える。

でも、わたしは、和解する気なし。
もっともっと時間が経って、なにもかも理解し、あるいは、理解できないままでもいいじゃない、
と、悟れば、また、交流は再開するかも知れないが。

いえ、やはり、人間は、一度、傷つけられたものに対しては、なかなか傷も癒えないし、
もう一度やり直そうという気には、なれない。
時だけが解決してくれるのだろうか。


職業に対しても、一生、理解できない職業もあるかも知れない。
なにも、あえてそんな、火と油のような人同士が、同じ居場所にいる必要もないかも知れない。
ののしり合う必要はなく、そっと静かに、距離をおいていればいいのでは?
眠った子を起こすような騒ぎに発展しないように。

これって、根本的解決ではなく、いたって消極的。
だが、ほじくっても、不毛なものもある。


で、・・・
そのわたしの怒りのファックス、まったく仕事とは関係ないことを延々と綴っていて、
自分のプライドを守るのに必死なのはよくわかるが、
当時の自分は、あほみたいで、面白いような、かわいそうなような、幼稚なような、複雑な心境だ。

ま、相手は頑固一筋で、独特の世界観を持っているので、
一般凡人には、理解できないのは無理もないこと。
へんに噛み付いた自分が、なにか、どこやら、青かったような気もする。

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逆襲されて、負けるんなら、やめときゃいいのに。

不毛なケンカは、しないこと。
 


つまらん・・・です。

2011-06-14 | 暮らし

実生活が忙しくて、あれこれあると、ブログは、面白くない内容になるような気がする。

なぜなら、わたしの場合、ブログに、けしからん思いを吐き出しているから。

実生活に力を注がなければならないようになると、時間もエネルギーも、ブログへの余力が足りない。

こんなブログ、ぜんぜん、ぜえんぜん、面白くない。

わたしの場合は、負の思い、人に言えないことを、地底の奥底から吠えると、力強いようだ。


「こんなに頑張ってます」
「こんなに楽しいことがありました」

こんなブログって、読む人には、かすりもしない。(内容の濃さにもよるが)
わたしが有名人なら、いざ知らす。

読んで元気になる、ブログも、もちろんある。
ためになる情報が満載のブログも。

赤の他人。なんの縁もない、匿名の人のブログ。
つまらんものは、切る。
人間って、そういうものなんだな、って思う。
自分だって、そうだもの。


ブログはまったく面白くないが、わたしのリアル生活は、ここのところ、なかなか忙しい。
ブログが面白くなくなるが、リアルと両立するのは、難しい。
旅やグルメブログは、「リアル=ブログ」なんだろうけれど。

明日の、アクセス数は、激減マチガイなし。
わたしのリアル生活が、つまんないものにならないと、ブログは息を吹き返さない。

ああ、困ったものだ。

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明日は、また、どんな自分になっているかは、未知ですが。

しかし、今日のブログ、新規投稿アップする? しない? うーーーん・・・
もし、アップするとしたら、意図が読み取れない。自分でも。
(ほんとうは、わかっている。自分の気持ちぐらい。自分自身とは、長年のおつきあい)


しーんと静まった夜中にパソコンに向かうと、沈みがちになるようだ。
ぐだぐだしてないで、はやく、とっとと寝るに限る。


飲みすぎました・・・

2011-06-13 | 日々のこと

昨夜、飲みすぎた。

夫とふたりで、家で、フランスの白ワイン1本、赤ワイン1本、それに焼酎の炭酸割りをがぶ飲み。
娘Rは、外出していたが、帰宅したのも知らず、酔いつぶれた。

夫は、いつも酔いつぶれている。
それを冷ややかな目で見ているわたしなのに、昨夜は、ミイラ取りがミイラになった。

20時ごろ、母から電話があり、酔っ払い口調で、なにかベラベラしゃべったのは覚えているが、
何をしゃべったのか、まったく覚えていない。
とんでもないことを話していたら大変なので、今朝、実家に電話し、確認した。
たいしたことではなく、ほぼ、事務連絡っぽい内容で、ほっとした。

テーブルから食器を引き上げ、後片付けをして、
自分の部屋に上がって、ちゃんと布団で寝たことは覚えているのだが、
その途中の記憶がところどころ飛んでいる。
でも、きちんと炊飯器にはお米をしかけ、タイマー予約しているし、お風呂もタイマー予約していた。
食器洗い機に洗剤を入れた記憶がないのだが、きれいに洗い終えてあった。
自分を信用できないので、一つ一つ食器に、クンクン、と鼻を近づけてニオイをチェックしたり、
洗浄完了かどうか、しっかり目を見開いて確かめた。

どうやら洗剤は使ったようだ。くもりも、ニオイもなし。


しかしまあ・・・

二日酔いは、よろしくない。
食欲不振、早起きできない、眠い、ふらつく。

いくら家だからと気を許していたら、ろくなことがない。
お酒は、ほどほどが、やはりいい。

外でなら、絶対にあんなに飲むことはまずない。
量、種類。自分の適量を超え、ちゃんぽん。
(それと、わたしは滅多に用いない炭酸も、よくなかった)

ワインは曲者(くせもの)で、結構、きく。
20歳のころ、百貨店の試飲販売で、ほんの少し飲んだだけで、その場でふらりと倒れたことがある。
(百貨店の皆さま、ごめんなさい。驚かれたことでしょう)
ワインって、わたしには、要注意。

10年くらい前、夫の仲間たちが家に集まった時にも、ワインで失敗した。
わたしとサシで飲んでいた人が、酔っ払って、大切なワイングラスを割ったのはまあ、目をつぶろう。
わたしは、料理の用意に忙しく、すきっ腹に飲んだので、ものすごく酔っ払って、洗面所でダウンし、
息子に2階に連れて上がってもらったようだ。
(夫は、おそらく酔っ払っていて、人を介助するなんて、ムリ。たぶん息子だけだろうと想像する・・・)
寝室で、両目のコンタクトレンズを紛失し、しばらくはメガネ生活を余儀なくされた。

ああ、もったいない。
使い捨てじゃないから、高いのに~~。

しかし、なんで、コンタクトレンズをはずして、自分が寝ているベッドの上に置く?
寝返りを打ったら、即、なくなるのはわかりきったこと。
倒れたのは洗面所なんだから、洗面所ではずしていればよいものを。
よりによって、2枚とも。

目に傷がついたりするよりは、マシだけれど。
当時、まだ高校生だった息子に、愛想を尽かされたに違いない・・・


お酒が入ると、場が盛り上がり、わいわいと、日ごろ話さない人も、口が軽く、陽気になる。
そこで、ほろよいで止めるのが、スマートな飲み方なんだけど、そこで止まらないのが、酔っ払い。

ああ、他にも、思い出すだけでも、背筋がぞぉっとするシーンが、あれこれ。
わたしの泥酔失態を見た人は、全員、この世からいなくなってほしい、と思うこともある。
いっそ、自分は酔って覚えていないほうが、ずっと気楽。
ちょっと覚えていて、それが、こころに刺さり、いつまでも尾を引く。

そんなことを言っていたら、年がら年じゅう酔っ払いの夫なんか、どうなるんだろう?
外や、知人たちの目の前で、お酒の失態は、ぶざま。
酔いつぶれるまで、皆さんとごいっしょ。
それでも、いいお付き合いが続いているということは、悪いお酒ではないようだ。
(わたしの目から見ると、悪いお酒だが。皆さん、けっこう飲むので、お互い様なんだろうか・・・)

家で一人で飲むと、アル中になる可能性が高いのは、よくわかる。

これからは、外は勿論のこと、家でも、飲み過ぎないように注意しよう。
思い出したくないことまで、つらつらと思い出してきたり・・・

二日酔いの日は、どんより、こころも、足取りも、重い。

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・・・・
ひょっとしたら、娘Rが昨夜、帰ってきて、食器洗い機で洗い、炊飯器やお風呂をタイマー予約したのかも??
あまりにも記憶がなさすぎるし、あんなに酔っ払ったのに、キレイにいつも通りで出来すぎている・・・
今日、帰ってきたら、聞いてみよう。しかし、聞くのが、怖い・・・

皆様、くれぐれも、お酒には注意しましょう。

 

 


田舎もん、きょろきょろ。右往左往。

2011-06-12 | お出かけ

大阪駅周辺は、ごろりと変わった。

「JR大阪三越伊勢丹」のお目見え。
さらに、「ルクア」。 
映画館も備わった、大阪ステーションシティ。
注がれた資本も大きいだろうなあ・・・

大丸梅田店は、体裁よく大阪ステーションシティに入れてもらっているようだが、
競合して困るんじゃあ・・・?

大阪駅は、いつもわたしは足早に通り過ぎるので、グランド・オープンしても、なかなか行けない。
先日は、ルクアにも行ってみたが、深追いして探し回る時間も体力も余裕がなかったので、
よく知る旧友のような、大丸梅田店でちゃっちゃと買ってしまった。
いくら立派な新しい施設がグランド・オープンしても、わたしみたいな客もいるので、利用の仕方もいろいろ。

既存の阪急阪神百貨店、どうする?

阪急三番街、17番街・・・ああ懐かしい響き。
とりあえず、あることはある? 
ターミナルに立地していて、電鉄会社が運営しているんだから、
大きく手を入れることはなくても、つぶれはしないだろう。

古いところでは、地下街 「ホワイティうめだ」は?

東梅田あたりにある、このホワイティうめだ、以前は、仕事の関係で週に何度も通っていた。
訪問先(クライアント)が引越して、ここ数年はご無沙汰。
先週、所要で行ってみると、まあ、お店がころころ変わっている。
ハーゲンダッツや、有名チェーン店なども、なくなっていた。
(喫茶店ミツヤは、健在。立地が命?)

洋服に関しては、店舗は、ごろっと入れ替わっているものの、おばちゃん専科のお店がたくさんある。
なかでも、おばちゃんが、どっと集まっていたのが、1枚500円~のお店。
わたしも、甘いものに群がるアリのごとく、吸い寄せられていった。

そこで、ホームウエア、エプロンがわりに最適と、デニムのストライプ、カジュアル・ジャンパースカートを見つけ
500円を握りしめ、人をかき分け、かき分け、レジに突進。
レジのおねえさんが商品を見て、「これ5Lですけど、いいんですか?」
と、念を押されたが、そんなこと、気づかなかった、わたし。

「5Lって大きいんですか?」と、たずねた。
「はい、Lが5つですから。普通のLとは違って、5つというと、かなり大きいです。
お客様には、ガサガサ・ブカブカでしょう」
そうアドバイスを受け、泣く泣くあきらめた。

500円をそっとしまい、また、吊らされているハンガーの出し物を探しまくる。
なかば、ヤケになって頑張って、店のなかを何周も回ったが、これというものはなかった。

最近、わたしは「断捨離」というキーワード・サインが、アタマの隅っこにチラチラ点滅するようになった。
そのサインが、へんにジャマして、ショッピング熱にブレーキをかける。
「ひとつ買えば、ひとつ、家にあるモノを捨てないといけない!!!」
そう考えると、掘り出しモノを探す手も鈍る。

その店にいた、あるおばさんは、買った商品の入った袋を一緒に来ていたお友達らしき人に見せ、
「ほら、これ!! 300円!!買っちゃった!!」
と、ビッグスマイル。

おばちゃんは、みなさん、元気です。


打倒、断捨離!!
少しぐらい、いいですよね?!
コーヒー・1杯分のストレス解消。
(わたしは、それさえも出来なかったけれど・・・)


わたしの家の近所の大型商業施設のショッピングゾーンは、
この春、おばちゃん対象の店が軒並み、5~6店、ごっそりと閉店した。
残っているのは、1店舗のみ。
しかも、その店は、おばちゃん店の中では、高級路線。

わたしのお気に入りのお店も、撤退組のひとつ。
がっかり。
ここ5年のわたしの洋服の70%近くは、そこで買ったものだったのに。
(ちなみに、実母には不評の、わたしの洋服選び。母とはセンスが合わないようです)

で、その代わりに、若い人向けのお店が入った。
すでに、もう、他にも若年層向け既存店がいっぱい入っているにもかかわらず。


そこへもってきて、大阪市・阿倍野にある、これまた歩き疲れそうな、
でっかい、でっかい複合商業集合体「あべのキューズモール」がオープンした。
このモール型ショッピングセンターは、大阪府下一のスケールだそうな。

前は、古い商店街だったのだが、地主との地権のからみなどがあり、なかなか開発できなかったところ。
以前に、そごうが入って開発の動きがあったが、断念したままとなっていた。
今回はイトーヨーカドーが核となり、ミドリデンキ、ABCクラフト、東急ハンズなどが入っている。
ユニクロは、あほみたいに、大きい。
(東急ハンズは、道一本隔てたところの近鉄系の集合商業施設「アンド」に、ロフトが入ってるのに、あえて?
東急VS近鉄のバトル構図)

10代~20代前半向けの女の子ファッションの店で、あふれかえっている。
あんなにたくさん、似たようなお店が、佃煮のようにたんまり重なって出店していて、やっていけるのかしらん?
と、姥心。

土曜日には、子連れの若いファミリー層が多かった。

おばさんにとっては、人がわんさかのゲームセンターもまったく魅力はなく、観察のみ。
最新プリクラには行列ができていた。
わたしも、加工して、目を2倍にしようか?? いや3倍に??

お年寄りは、ほとんど見かけなかったが、館内から外に出ると、※路面電車のある、昔の風情。(※阪堺電車)
何事もなかったように、おばちゃん、おっちゃんが、チャリンコに乗ったりして、日常生活を繰り広げている。
なんか、タイムマシーンで行ったり来たりしているみたいな気がした。


天王寺駅直結の立地に、近鉄百貨店を含む、西日本一の高層ビルが建設中。
天王寺は、梅田、なんば、とはまた別に、独自の個性で、元気なんだけど、活性化の動きは十分感じるんだけど、
大丈夫なんだろうかと、これまた老婆心。

店舗があんなに増えても、客の総数、絶対数は同じなので、引っ張り合いの、奪い合い。
オープン当初は、話題性もあり賑わっていても、その後は?
あんなに巨大化すると、小回りは利かないだろうし。

そんなことを考えてると、何事も、どんな事業も、スタートしない。
事業者の見切り発車? 英断? 勇気がいる、責任ある判断だ。
日本の経済的停滞に加え、予測や判断とはまったく別なところで、
自然災害や、大事故が起きたり、想定範囲外のことが突然起こる可能性がある。

そういう避けられないリスクはあるが、前に進んでいかないと、どうにもならない。

西日本。
プリンセス トヨトミ じゃないけれど、大阪国、独立?
都がふたつあっても、いいかな、なんて思った。

 

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下から支える、おばちゃんパワー。これも、なかなかのものです。

 

 


王子様は、どこ?

2011-06-10 | 人生

わたしには、結婚適齢期の未婚の子供が3人いる。

婚活は、そっと後方支援している。

というのは、きちんとハッキリもの申すと、・・・ウザい・・・と言われた・・・(息子に)
次女は、「おかあさんが、プレッシャーをかけてくる」と、長女に愚痴っていたようだ。

なので、気持ちは、強く応援、でも、行動は、見て見ぬ振り。
これに、夫や義母、実母なども、外野が加わる。
ナイーブで、デリケートな問題なのに、彼らは、わたしに圧力をかけてくる。

昔じゃないんだから、お見合いしたからって、うまくいったりしないんですよ!!
条件がよくても、性格がよくても、オッケーというわけじゃないんですよ!!
なにか、・・・なにか、背中を後押しする、なにか、その、「なにか」、が、難しいんだから。
と、逆にわたしが、まわりに対して、ブチ切れる。


さて、わたし、なにを隠そう・・・恋愛敗者。(隠す必要ないですが)

小さい頃から「夢は、お嫁さんになること」などと、かわいげのないことを言っていた。
(かわいげが、あるのかも? 
時代が変わると、なにが、かわいい、で、なにが、かわいくないのか、よくわかりません)

まわりが、将来の職業として、とてつもなく難しそうな職業をあげてくるので、
そんなめんどくさそうな、そんな難易度の高そうな、そんなもんには、ならないだろう、なれないだろう、なりたくないだろう、
と、幼い(幼稚園前)頃から、すでに、サボリ虫は、わたしに巣食っていた。
そのサボリ虫は、成長とともに、どんどん大きくなり、サナギとなり、蝶、いえ、蛾(が)となり、
まあ、今日に来ちゃってるのだが・・・。
(ブログ・タイトルは、蛾である自分の、蝶への願望?)


話が、それてます。

婚活で悩む人に、「わたしは、恋愛敗者だけれど、結婚では勝者です」なんて、暗にほのめかして、
悦に入るほど、わたしは、悪趣味ではない。

それよりも、結婚が勝者かどうか、だ。

(そんなことを言っていると、前に一歩も進まない。むしろ、後退。
ここぞとばかりに、延々と、口から泡を飛ばして、わけのわからない熱弁をふるいそう)

それはそれとして・・・
とりあえず、目の前にある山?障害物?試練?を取りのぞき、クリアするためには、
なんでもトライしてみないと、内情や、傾向と対策がわからない。
まずは、敵を知ることから。

ま、当時は、サボリ虫がまかり通っていて、うまい具合に社会的にサポートしてくれる
「家事手伝い」なんていう、堂々と婚活のみに専念する、モラトリアム期間も認められていた。

お茶、お花、着付け、洋裁、和裁、料理、テニス、ダンス、ついでに、欧文タイプ、英会話なんかも、
暇にまかせて、やっていた。(まったく、身についていないことは、さておき・・・)
目をうるませて、「オヨメサンになりたいの・・・」という、そういうシチュエーションではあるが、
現実は、今、婚活で悩んでおられる方々と同じように、いざ、結婚を前にすると、
ああ、こんなのって・・・ええ~っ!!、と現実に打ちのめされた。

条件・契約付き、合法的・人身売買?
いくらで買う? いくらで、売る? いくらなら買う? いくらなら売る?
もうちょっと、まかりませんか? もうちょっと高くしてもらえませんか?


結婚って、コト、イベントではあるけれど、受験とか、仕事とはまた違って、相手イコール人間が必要。
自分ひとりだけでは、成り立たない。
(わかりきったことなんだけど、それがまた、アタマとこころが、分裂する・・・)
しかも、その相手を取り巻く人々が大勢いて、環境やら条件やら、しち面倒くさい、不幸の種が、
一見、ばら色のように、美しい色を彩り、甘い香りを放っていた。

わたしは、「オヨメサンになるの」という幼児のころからの初志貫徹のため、
就職に有利な単位も取らず、就職活動もせず、ただただ、サボっていた。

学校を卒業しても、なぜか結婚してなかった。
就職に向けてのコースをまったく用意していなかったので、次のコースがないまま、
今まで歩んできた勢いのまま、スキーのジャンプ台みたいに、飛ぶだけ飛んだが、着地場所はなかった。

あれ? わたし、何すれば、いい?
と、真空状態に。

結婚以外に道を設定してこなかった、サボリ虫のわたしは、困惑した。
予定が大きくずれた。

幼い頃から、なにもわからず考えず、ぼんやりイメージだけを抱き、信じていた結婚というものに、
いざ結婚となると、アタマが混乱した。

結婚以外にコースを考えていなかったわたしは、呆然とし、
闇の中を彷徨(さまよ)った。

わたしの王子様、いったい、どこにいる? 

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白馬に乗っているはずの、王子様の姿が見当たらない・・・
ありゃりゃ。
そんなの、もとから、いないんなら、いないって、だれか、教えてほしかったわん・・・ 

 


白馬の王子様の条件

2011-06-09 | 無題

独身女性の悩み。

結婚したいけれど、結婚したい相手がいなくて、できない。
理想が高いからだと、まわりから冷ややかな目で見られるが、そんなことはない。
条件にぴったりな人、性格もいい人が現れても、女性が愛を感じなければ、砂漠地帯。

「愛」って、インスピレーション?
びびび、か、ピピピか、そういう電波?
発信する側と、受信する側。

それを愛っていうのかあ・・・
それは、種の保存に必要な、人類繁栄に不可欠アイテムである「本能」を
ピンクのリボンで、ラッピングしたもの?

いえいえ、それだけではないはず。

なんでもかんでも中ぐらいの、特別、良くも悪くもない人。
それは、それで、無難だけれど、背中を押すものがない。
パンダの、オス&メスが一緒の囲いに入れられて生活しても、ちっとも愛が発展しないように?
愛が発展しないというのは、メーキング・ラブへと移行しないってこと?

だから、それだけではないんですって。
なにかハッキリわからないけれど、なにか、なんです。
女性は、生物としては受身なので、このあたりが、難しい。
社会的には、男女の差が狭まってきているけれど、歴然とした違いも横たわっている。

でもパンダ自身は、条件で相手を選べるわけではなく、選べない人生。
時には、国策の一部として利用されることもあるが。

ま、パンダじゃないわけで・・・人間サマは、複雑。
愛があれば、条件は二の次、クリアできる、とのこと。
条件にも、いろいろ。
女性の生育過程、家庭環境にも大きく影響される。

あんまり自分と程遠い環境は、戸惑うだろう。
根本的な価値観が違う可能性がある。

自分に自信があるかどうか、も、大きい。
結婚だけでなく。


かつて、自由恋愛では、いつも常に敗者であったわたし。
こうすれば、恋は、ダメになります、というアドバイスならいくらでも出来るが、
成功に導くためのノウハウは、まったくない。

強いて言えば、この失敗例を参考にして、同じような過ちをしないように、
皆さん、お気をつけください、
そういう、反面教師の役割?

これまた、悲しい教師であります。
負け犬・教師。

どこに価値を置くか、
なにを見て判断するか、
どっち側から見るか、

ものの見方によっては、まったく違ってくるのだが。

恋愛に関しては、自信がない、これ以上、傷つくのが怖い、臆病なわたし。
当時、結婚適齢期があり、期限が迫っていた。(自分のなかにも、世間にも)
恋愛という精神世界を深追いしていたら、一生結婚できなかったので、
「若さ」しかセールス・ポイントがなかったわたしは、とりあえず、取り急ぎ、消費期限内に結婚した。


ここで、恋愛論は、おわり。
ああ、つまらん・・・

あとは、現実が、どっか~んとあるのみ。

しかし、現実は、想像よりもオモシロイものであります。
現実がなければ、なにごとも始まらないから。

独身で、中ぐらいの男性を前に、結婚の選択を迫られている女性の皆様へ。

大いに悩んでください。
すると、大停滞の、生みの苦しみのその後に、
不思議なように、ことが自然な方向に進んでいきます。
その方向は、その方、独自の歩む方向です。
ひとそれぞれ、一人一人、方向や、結果は違うはず。


話が、行ったり来たり。ふらふらと。

わたしも、結婚するまでは、大いに悩んで、結論を出し切れないまま、
次のステージに進んだ。(見切り発車したこと自体が、その時の結論?)

人生の一大テーマ。

結婚後も持ち越され、延々と
そのテーマは、いまだにクリアできていないから、芸術も、旅も、大いに、深みを増してくれる。

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てことで、なんのアドバイスにもならない、
言葉の姥捨て山みたいになりました。

 

 

 


処方薬は、クールダウン

2011-06-08 | 無題

朝、なかなか元気が出ない。
予定があると、急かされるように時間が追いかけてくる。
のぉんびり、は、休日だけ?
そりゃあ、普通はそうでしょうね。

ブログは、元気をもらったり、元気をおすそわけしたり(これは、あまりないけれど)
訪問数やランキングの結果に、微動アップダウンにつられて、自分もアップダウンしたり。
うれしい時もあるけれど、振り回されることもある。
熱いのだが、病気の時の高熱に少し似ている。


大昔、その昔、むかし、むか~し、わたしが、かつて、若かりし頃・・・
恋が、まさに、そんなかんじだった。

相手のことが、気になって気になって、しかたがない。
デートするまでは、そわそわ、落ち着かずに何ごとも手につかない。
デート中は、ちゃんと覚えていないぐらい、緊張。アタマ、真っ白。
喜んだり、楽しんだり、嬉しがったりできる、唯一の瞬間を・・・ああ、もったいない。
デートの終わりごろは、もう、ああ終わりか・・・と、悲しい気分。
デートが終わると、次のデートまでが、ツライ。

せき立てられるかんじ。
追いかけられるかんじ。

もっと、デートそのものを楽しむべきなのに、肝心のデートは、空白のようになっている。
真空パックみたい。


微妙に違うけれど、
楽しみのはずが、苦しみになっているとこあたりが、ちょっと似ている。

わたしの、そんな盲目恋は全く成就しなかった。
ほんの一瞬で、打ち砕け散ってしまった。

もっと、ゆっくり、じっくり、腰を据えて取り掛かるべき。
なにごとも。

うわ言のように、うわついて、わあわあ言ってるだけは、よろしくない。

と、ちょっとヒートアップしたアタマに冷水をかけ、今日は、少しは冷静に落ち着いて、・・・・
と思ったところで、時間が来た。

本日のスケジュール上、ここで強制終了いたします。

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