蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

準備不足で、疲れます

2011-10-09 | 暮らし

今日、明日と、人生イベントの地味な一環。
ああ、忙しい。
昨日から、整頓、掃除に、ふーふー。
縁の下の力持ちならぬ、縁の下で、ふらふら。
ゲストが、またもや、宿泊。
食事の用意、考えただけでアタマが割れそう・・・ちっちゃすぎる、わたしのアタマ。

とりあえずは、ほんの少し、食材を用意したが、食材が頭数に対して、明らかに足りない。
前は、あまりにも、わたしが食事支度にモタモタしているので、見るに見かねてか、
普段は見向きもしない、下娘Rが、業を煮やして、自主的にお手伝いしてくれた。
ついでに、ゲストまでが、お手伝いしてくれた。

うれしいような、恥ずかしいような。
でも、助かったけれど。
今回は、どうなりますことやら。

今から、あっちに行って、こっちに行って、わたしの実家やら、いろいろ、
ぐるぐる回って、そして、我が家に・・・
ということで、このイベントさえ通過すれば、あとの大きなイベントは、自然な流れになる(・・・・予定)。
ほんとは、ますます、もっと、めんどくさくて、時間がかかって、緊張して、ややこしいんだけど、
とりあえず、ちっちゃいことから、こなしていかないと、始まらない。

とりあえずは、昨日の準備日を入れて、今日、明日、済めば、ばんざい。
また、パリ妄想に専念できる。(実務や調整の必要も、ちょこちょこ出てきている)

まだパリ行きの直前に、もうひとつイベントがあって、気にはなっているのだが。
はやく、全部、クリアーできたらいいのに。

ということで、もうじき、家を出発します。
ぜーぜー、はーはー。
ああ、大事な人々が関わるイベントは、ずしっと重い。

家族の重要な局面、プレッシャーで、頑張れるかと思いきや、ぜんぜん、頑張れない。
ゆるゆるルールで、お茶にごし。
なんで、わたしは、こんなにサボりなんだろう・・・

 

 にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ人気ブログランキングへ

 

 


オンナの本音

2011-10-07 | 人生

NHK朝の連続ドラマ「カーネーション」。

ああ、やっぱり見てしまった。
つかみの部分、導入部、子役で最初に、ぐぐっと惹きつけられてしまう。
卑怯だ、あんなやり方。
見てしまうのに、決まっている。

今度の子役は、威勢がいい。
でも、今週は、女の子の宿命を知り、落ち込んでいた、彼女が、
女性ならではの感性を生かした天職を見出す原点みたいな、ストーリー展開。

わたしの、安物の涙、またまた、ひょんなところで、ほろり、はらはらと・・・。
オンナって・・・ねえ・・・時代は変われど、意識の底に、修身の教えが、すりこまれていたりする。
まあ、ある意味、逆手に取れば、楽なときもあるけれど、
それじゃあ、男性と肩を並べて頑張っている女性たちの足を引っ張ることになる。

デキる女性は、大いにその力を存分に発揮していただきたい。

ちなみに、コシノヒロコさんの芦屋のお宅には、阪神大震災直後、仕事でお邪魔したことがあるが
お皿の一枚も割れなかったという、安藤忠雄氏設計のコンクリート打ちっぱなしの邸宅。
ヒロコさんの、やさしそうなご主人が、いかにもジャマをしない空気感を醸し出しておられた。


話は変わるが、 
わたしが通っているダンスクラスの更衣室でのお話。

通っている、そのダンスホールで知り合った、男女が結婚したそうだ。
男性、70代、女性50代。熟年・壮年カップル。
その式だかパーティだかをハワイでするとかで、参加者を募っているとか・・・
それをめぐっての、女性の皆さんの忌憚(きたん)のない本音が炸裂。

「ごはん、作らなくていいんなら結婚してもいいけど」

「今から、その年齢の相手やったら、介護するために結婚するようなもんやね」

「お金のない男性とやったら、結婚する意味ないわ」
「財産があるような人は、子供たちが反対して結婚なんか、せえへんわ」
「そんな条件のいい人は、ザラにはいないし、そう、かんたんには結婚しないわ」

年がいくと、お金のない男性とは結婚しても、なんのメリットもないということ。

主になってしゃべっている人が、わたしの顔ばかり見て言うもんだから、
まるで、わたしに話しかけているかのごとく。
いつもは、わたしは、壁方向を向いて着替えていて、皆さんには背を向けているのに、
たまたまその話題は、背中で聞かずに、もろに、面と向かって聞いてしまった。
なにも、積極的に大賛成の旗を振っているわけじゃないのにね。
(たとえ、こころで、うなずいていたとしても)
わたしが、皆さんのなかで、年齢が一番若かったから?
いかにも、「あなたなら、そう思うでしょ?」という、ターゲット絞込み?

確かにね・・・結婚しても、しんどいのは女性。
夫がお金入れてくれるからこそ、家事をする。
子供も育てる。
経済負担のシェア、自分で働きながらの人もいるけれど、
リタイアした後なら、もう、年金しかないわけで、
二人だけの生活に、オサンドンで縛られる結婚など、誰がしたい?

そこで、モノを言うのが、おカネ、ってことか。

結婚してない人は、結婚に憧れるだろうけれど、
結婚経験者は、まったくと言っていいほど、結婚に未練はない。(そうじゃない人もいるだろうけれど)

結婚せずに、楽しくお付き合いしたらいいじゃない。
病気がちで不安だから、おたがい近い場所で、息遣いがわかる距離で、いっしょに暮らしたい。
それも、よくわかる。

だが、まだ病気になっていない、健康な時期のお二人カップル、
周りの既婚女性たちの憧れとは反対の、「結婚の、どこが、ええんやろ~」のため息。

配偶者に先立たれた人は、また結婚を望むかもしれないが、
離婚したり、不満のある結婚生活を送っている人にとっては、
せっかく逃れられた結婚なのに、また結婚するなんて、
ほんと、「結婚のどこがいいんやろ~」の、ため息のワケは、とてもわかるような気がする。

「おめでとう!!」「お幸せに!!」
そうおっしゃっている人は、更衣室には、いなかったのが、ちょっとさびしいところ・・・

  にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ人気ブログランキングへ

 

 


さて、次。

2011-10-06 | ブログ

もう、くたくたです。

せっかく、神頼みの、下娘Rのご慈悲サポートのおかげで、iPad専用・写真編集アプリを買えたのに・・・。

そして返品しようと思っていた、iPad専用・写真コネクトキットも封をあけて(ドキドキ)、つないでみた。
デジカメの写真は、なんだかんだと、いじれるようではある。

しかし、写真を縮小してiPadに保存しても、そこからブログにアップするのは至難のワザのよう。
iPhoneからなら、互換性があるような、ないような??? 
わたしは、iPhoneじゃないんで、気合を入れて、iPhone関連の記事を読んでないから、
はっきりしたことは言えないけれど。

あれこれググって、関連記事を読み漁ったが、基本的には、iPadでは、できないようだ。
無理やり、いろんな手を使って、やっている人も中にはいるが、
(写真をアップするサイトに投稿して一旦保管し、そこから、またブログに引っ張ってくる方法とか。
そのための、有料アプリもある)
めんどくさくなってきた。

もういいや・・・そういう気になってきた。
(まだ、あきらめてなかったの・・・?? そうとう、しつこい・・・)

あとはiPad専用 純正、無線キーボード。
返品しようか、どうしようか。
iPadからブログに写真を送れないとなると、キーボードがあっても、
ブログ投稿自体に、モチベーションが下がってしまった。

キーボードは、長文だらだら書く人には、オススメらしいけれど、
写真もなくて、旅先から文章ばっかりなんて、いったい、どこのどなたが読む?
「ああ、わたしは、旅人・・・」なんて、風景を文章で描写???
そんな気は、ほとんどないです。
(それなら、心象風景は、ありえますが)

文章だけの旅記事など、ただただ、ほんとうに、10000パーセント、自分だけの自己陶酔で、
ブログを読む人の一般的嗜好には絶対に耐えられない。(いまでも、十分ダメなのに)

シャンソンを歌う気分で、鼻母音で入力しますかね?
う、う、恥ずかしすぎる・・・

とまあ、もう、コンピューターから、いったん離れて、他の準備を始めた。
海外旅行保険、荷物(スーツケース)の宅配手配、それらの申し込みは完了した。
その申し込みも、コンピューター(パソコン)でするわけだから、
パソコンをいじっていることは同じ。
あとは、アパルトマンの手配、住所の確認など、メールチェック。

なんでも、かんでもパソコンだ。
かなりの長時間、パソコンの前から離れない。


パソコンやケータイをいっさい触らない、持たない人が、ダンスのクラスメートにいる。
ある意味、うらやましい。
開放されてるってことだ。
ご主人も海外赴任で、自宅にはおられない。
すべてのモノ、コトから開放されておられるわけだが、
でも、ご病気でもないのに、あんまりイキイキとはされていない。
せっかくの、自由なのに、じつに、もったいない。

いろんな人の、いろんな時間の使い方。
それぞれの、人生がある。

 

  にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ人気ブログランキングへ

トップ写真(借り物)は、17世紀頃、ヨーロッパ各地で貴族に使われていた封蝋だとか。
手紙の封に蝋を溶かして、ぺたっと貼るもの。
ひとつひとつ、蝋の溶け具合でカタチが違うそうです。

契約書も、こういうアナログ仕立てなら、ぐっと雰囲気が、出るんだけれど。 
スピード、簡便さ、人件費カットの今の世の中、効率性が追究されています。
どっちが、いいでしょうか・・・
もう、戻れない? 
生活に支障をきたさなければ、ゆったり手作りを楽しめたらいいですね。


あっけない幕切れ

2011-10-05 | 日々のこと

昨日のフットカバーは、下娘Rの部屋に落ちていた。
なんで?

おそらく、Rの部屋に洗濯物でも持っていった時か、
なにかの拍子に、わたしが落としたのだろう。
小さなこころの叫び・・・「バカ」・・・わたしって、おバカ。。。。
関西人なら、ここで、「アホ」と言いたいところだが、あえて、「バカ」という気分。


そして、一番こころを痛めていた、パソコン操作で、どうしても出来なかったコト。
ついに音を上げて、下娘Rに泣きついた。
出張の準備で忙しいRに、
「どうしても、出来ないから、関連キットをヨド○シカメラに今日、返品しようと思う。
今日が返品の限度日」と切羽詰って訴えると、
3分だけ、時間をくれる、と、神(R)のお言葉。

そして、出かける間際の忙しい合間のその3分間で、いともカンタンにわたしの悩みは解消できた。
なあぁぁんだ・・そうだったのかあぁぁ・・・

わたしのアタマは、ほんとうに、カチカチに、かっちんこっちんに、硬直している。
2月に入った、お正月用の鏡餅みたい。
大きなヒビは、入っているものの、切ることさえできない。
包丁の刃が折れる。

思い込んだら、どこまでも。
最初のあたりの説明をすっとぱしているのだろう。
じつは、いまも、なぜ、そうなるのか理解していないのだが・・・
プロセスは、いいから、結果だけうまくいけばいい。
(いつも、この、いいかげんな発想で、わたしは根本解決を先送り、先延ばししている)

でも、海外でのiPad使いこなしは、ほぼ絶望。
こんなカンタンなことでも、出来ないんだから。

不得意分野でアタマを悩ませ、こころを痛め、時間を無制限に使うぐらいなら、
いっそ、きっぱり手をひいたほうが、いい。
と、しみじみ、しみじみ、思っている。

Rのお慈悲・手助けで、
やっとiPad専用の写真編集アプリを手に入れた(Apple で購入できた)けれど、
先々を考えて、すっかりへこんだ。

封を開けていないコネクションキットや、キーボード、返品したい・・・
のだが、今日は、都合で、行けそうもなくなった。
あああ、また、未解決の塩漬け不良債権を抱え込むことになりそうだ。

途中で投げ出すのは、負け犬の定位置ではなく、「わたしの、しあわせ定位置」だ。
開き直り・居直りも大事です。

  にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ人気ブログランキングへ


共に歩んだ仲じゃない?

2011-10-04 | 日々のこと

探し物をいつもしている。
これは、痴呆症チェックの中の項目のひとつにある。

わたし、それ、なんです。

一昨日、ちょっとだけ履いた靴下(フットカバー)。
この靴下を履くときに、コットン系と、レース、2足を用意した。
どっちを履こうかな?

で、レースの靴下を履き、コットン系は玄関においたまま出かけた。
帰ってきて、とりあえず、履いた靴下を階段の1段目、履かなかった靴下を階段の2段目に移した。
間違えてはいけないと思い、履かなかった靴下は、
さっそく、2階のウォーク・イン・クロゼットに持って上がった。
これで、混乱は免れた。
(と、思った)

が、翌朝、洗濯しようと見ると、1段目に置いたはずのレースの靴下がない。
ない、ない、ない。
どこいった?

2階に上がると、履いてない方の靴下は、確かにあった。
しかし、履いた方の靴下がない。
なんで????

気になると、とことん気になる。
家中を探し回る。
無意識に洗濯したのかも?
そんな、、、、ありえない。
で、ありえないけれど、物干し場でチェックしてみると、・・・
あれ? ありえない、似たようなカタチの靴下が干してある。
まさか?
とりあえず、ありえない気持ちいっぱいで、それを履いて、出かけたのだが・・・

やはり、それは似て非なるもの。
なんか、履きごごちと、深さ、靴から見えるパーツが違う。
足もとの表情が違う。
娘Rの靴下だった。
やっぱり・・・

いくらなんでも、わたし、洗濯してなかった。
束の間の安心。
じゃあ、どこに??
あっちこっち探し回っているけれど、まだ見つからない。
どこ、行った~?

一昨日の夜から、昨日の朝にかけて、靴下は、忽然と姿を消した。
おお~~~い。靴下~~。
隠れてないで、出ておいで~~
共に歩んだ仲でしょう?

 

 にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ人気ブログランキングへ

こんなかんじの、フットカバーです。( トップ写真)
どこかに落ちてませんでした?


負け犬の定位置。

2011-10-03 | 趣味

もう、すっかり疲れた。
なににかって、いうと・・・
自分が出来ないことに挑戦して、頑張って、でも、出来ないことに。

人が聞けば、なあんだ、そんなこと、なんで出来ないの?
と笑うだろう。
でも、出来ない。
悔しいから、頑張るんだけど、でも、やっぱり出来ない。

人には出来ても、自分には出来ない。
しかたない・・やん・・・
あきらめよう・・・か・・・

もう無理。
ストレスがすごく、のしかかる。
ただ、悔しいのは、実際のところ、実に実にカンタンなことが、出来ないこと。
うわ~~~んっっって、大声で子供のように泣きたいです・・・

たぶん、ほんのちょっとした、小さいマチガイ、手違い、ミスなんだろうけれど
カチカチに硬直した脳ミソでは、それに気が付かない。
まっすぐにまっすくに、直進ミシンみたいに、ただただ直線縫いをするだけのマシーン。
応用も利かないし、機転もないし、ヒントも思いつかない。
押してもだめなら、引くこともできない。(やったつもりだけど、できてない)

というか、そんなたいしたレベルの話ではない。
なので、その内容はここには書けない。
だって・・・恥ずかしすぎる・・・

そういえば、わたしは、学生時代から数学は、さっぱりだめだった。
思い出せば、理科も社会も、ああ、頼みの綱の国語も・・・・
さらに、家庭科も(→これは、わかる)。そして、ついでに美術も体育も。

さらにさらに、クラブ活動も、学級活動も、そして、そして・・・
友達とも、いいお付き合いもしてなかった・・・

ああ、なんで、こんな人生すべての劣等感を、
今頃に、ドサッとまとめて、再確認しなくちゃいけないの。
勉強できなくても、学校でいいことなくても、その後、少しぐらいはいいことも、あったでしょ?

いえいえ、今は、ただただ、学校で、劣等感にさいなまれた記憶が一気に、
どどどどどっと押し寄せてきているだけ。

わたしって、ほんとに、だめな人。
アホです。アホなんです~~~

ひとつぐらい、優越感に浸るようなことも、あってもいいいいじゃない?
ない。・・・ない・・・ない、ない。ひとっつも、ない。
なにしろ、今は、ぺっちゃんこ。

もう、・・・ほんとに、パソコン世代じゃないっていうのは、ツライです。
文字入力ならカンタンだけど、なにか他のことをしようとすると、
たちまちに、出来ない、出来ない、出来ない・・・劣等感の地の底に。

Mac も、iPadも、Apple大嫌い。

カスタマー・サポートも、めちゃめちゃ、冷たい。
具体的に直接メールで聞かせてくれず(そういう欄がない)、
過去の実例から学べとばかりに、ずらずらずらとリンクさせて並べてある。
アタマが悪い人間にとっちゃ、わからないんだってば~~。
パニックに陥ると、文字なんか、アリが踊ってるだけみたいで、意味わからないんだってば~。
人に聞きたいんだってば~。担当の人、いないのぉ~?
儲かってる会社なんだったら、そんなスタッフの一人や二人、常駐してくれてもいいじゃない!?
Apple社の背景にある、お国柄まで、疑心暗鬼に陥ってしまう。


もう、こんなストレスや劣等感にさいなまれるんだったら、手を引きます。
これ以上は、身のため。
早い話が、敗退、すごすご。

自分に合ったことを選びましょう。
無理をしないことが、いちばんです。
負け犬は、いつものように、同じ結論に達しました。

 にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ人気ブログランキングへ

 


人生の後半は、どうなるの?

2011-10-02 | 日々のこと

昨日で、NHK連続ドラマ「おひさま」が終わった。

ああ、これで、毎日の朝8時の拘束から開放される。
平日は、ともかく、(ラジオのフランス語講座、7時半からのセットになっているので)
土曜日が、キツイ。
フランス語の放送がないので、うっかり忘れてしまいそうになるし、
土曜日モードでのんびりやっているのに、気がかり。
日曜日しか休みがないなんて、なんか、昨今の週休二日制のリズムに合わない。

とは言いつつ、毎回、逃さず見ていた。
これは、「ゲゲゲの女房」を初めとし、わたしの人生で、2回目の朝の連ドラ鑑賞。
夫には「おかあさん(=スロー)も、ついに、朝の連続ドラマを見る年になったんか」
と、感慨深く言われたが。


話は、それるが、わたし、夫に「おかあさん」と呼ばれるのは好きでない。
子供に話すときは、「おかあさんは、どこ?」、「おとうさんは、今日は遅いらしいよ」
などと、「おかあさん、おとうさん」で、なんの違和感もないのだが、
二人だけのときに、「おとうさん、おかあさん」は、ないだろう。
このごろ、「おか~ちゃん」なんて甘ったるく言ってることもあるけど、
わたしゃ、あんたの母親じゃないで~。

かといって、人前では「スロー」と、呼び捨てにされるのも、実は、すごくイヤ。
この呼び方で、わたしの夫のフィーリング、タイプがおわかりだろう。
いわゆる、古いタイプなのだ。

呼び捨ては、特にイヤ。
呼び捨てにするな! 
スローさん、スローちゃん、スー(愛称)・・・とか・・・
呼び捨てにされると、支配されているような気がして、こころが硬直する。
わたしも、呼び捨てにしたろか。
でも、呼び捨てどころか、「あんた」なんて呼びかけさえ、絶対言えない雰囲気。
30年間、一度も言ったことはない。
このヒト、いつでもどこでも、立ててやらんと機嫌を損ねるんでねえ・・・

「おいこら、おっさん」と思っていても、「おとうさん」と、呼びかけ、
あるいは、他の人には、ちゃんと正式名称で「○○さん」、あるいは、「夫」と言う。
「主人」とは、絶対、言わないが、ごくまれに、そう言ったほうがいい場では(たとえば、親戚の集まり)、
無理やり、自主規制で「主人」と言っている。

ちなみに、「ダンナ」という言い方は、きらい。
だれに咎められたわけでもないが、
他の女性が、配偶者のことを「ダンナ」と呼んでいるのを見たり聞いたりすると、
なんとなく、その女性のことを色眼鏡で見てしまう。

ごく親しい人が、会話のなかで自然に出るのは、まあ、そう目くじらを立てないが、
多くの人の前や、不特定多数の人の目のあるところで、公然と呼ぶのは、好きでない。

「うちのダンナさん」「うちの亭主」なんて、呼び方もあるけれど
まあ、みなさん、ご自由に、ご自分の好き好きにお使いください。
わたしは、「夫」ですね。
特徴や、思い入れ、カラーや温度、感情移入がなくて、無機質で、実質的で、無難。
いろんな公式書類の記入欄も、夫と書くようになっているし。


あ、おひさまから、まったく違う方向に話がそれてしまいました。

おひさまは、大好きで、楽しみにしていたのに、終わってしまったわけだが、
あのストーリー・テラー仕立ての展開、演出は、まあ、よく使われる手法ではあるものの
悪くはない。
最後の三婆、いえ、三大女優さん(一人は女優じゃないけれど)のサプライズ出演は
なかなかおもしろかった。
上手い具合のイメージ・キャスト合わせ。

話が、人生の、ある一時期だけに限定して進められる展開は、わたしは結構好き。
とは言うものの、子供時代~青春時代~子育て前半で、終わり。
その後はないから、人生の前半ってこと。
後半が知りたかったりするけれど、後半は、もう変化はないってこと?
ちょっと、つまらないけれど、
変化がないことも、幸福のひとつかも知れない。

最終回、手前の2回は、なんだか、時間が余ってしまって「脚本家の付けたし」っぽかったけれど、
ご愛嬌。

あああ、朝の爽やか、天然目薬・浄化タイムが、終了してしまった。

さて、来週からの新・朝ドラ、見るか、見ないか??
どっちになるだろう???

 にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ人気ブログランキングへ

 

 


偏狂は、よくない。

2011-10-01 | 趣味

ある方のブログを久しぶりに、のぞいてみた。

家族旅行されている美しい写真がアップされていた。
我が家も同じところに、今年のGWに行った。
同じようなコースを辿った。

でも、なにかが違う・・・
あの豪華絢爛さ、まばゆいばかりのお写真・・・

わたしは、ケータイから撮った写真を縮小してブログに送信し、
ほんの短文をひとつ綴っただけ。
その頃、確か、デスクトップ型パソコンでのインターネットの通信状態が悪かったため、
かわりにiPadで対処したように記憶しているが、
それにしても、すごい違い。
(デジカメで撮った、膨大な写真データは、USBに保存されただけ。
他の写真ともども、アップされることもなく、CDやらUSBやらに、安らかに眠っている)

カメラのランクや撮影技術も違うと思う・・(わたしは、ふつーのデジカメ)

そのブログは、より美しく、より美味しそうに、より高品質に、
より素晴らしく撮影しようという熱意が反映されていて高く評価できる。

わたしは、なんでも中途半端。
途中で、投げ出してしまうところがある。
たとえば、食事の前にみんなが食べようとしているのに、さえぎるのも、うんざりされるだろうし
ステキと思う度に、カメラを向けていると、本当のステキの瞬間をカメラに奪われてしまっているように思えるし、
なんでもかんでもカメラを向けると、プロのカメラマン以外では、ちょっと田舎モンみたいで気恥ずかしいし。

より良い写真をアップするために、・・という熱意に欠ける。
それ以前に、技術にも欠けるのだろうけれど。

いちいち、自分のブログにアップして報告するのにも、モチベーションが必要だ。
なんのためのアップか。
自分の備忘録のためか、もういちど、その興奮を再度味わいたいためか、
はたまた、人さまに見ていただきたいためか。

最近のわたしは、パワーが落ちて、上記のすべてを満たすほどの熱さがなく、
自分の力不足を感じる。
できる能力、容量に限界があるなら、そこで、優先順位をつける。
あくまでも、自分のため。
人の目よりも、自分の内向きな欲求。

そうすると、写真に時間やエネルギーを費やさなくなる。
その場では感動して、写真に残しておきたい思いから、シャッターを切る。
でも、あとで、ゆっくり整理したり、アップしたりすることなく、また、次のリアルタイムの用件に取り掛かる。
というか、感動がいつまでも強烈なまま、新鮮なまま、瞬間冷凍保存キープしたまま長続きしないので、
じっくりあとで作業するのが億劫になっている。
時間が経てば経つほどに、その気力は失せてくる。

そういうわけで、感動のワンシーンを写真に残し、ブログにアップすることなく、
次々、日々に起こる、別のことに振り回される。

どうせ、ちゃんとあとで、ブログもアップしたりしないんだったら、
その場、その場で、自分の目に焼き付けておこう、
写真に撮るとすると、自分のメモがわりとして、撮っておこう。

ブログの利用方法が、少しずつ変化してるように思う。
でも、写真の整理はしたほうが、いいのは決まっているんだけどね。
めんどくさくなってきている。

なので、人さまが撮った写真を見て、なるほどキレイに撮られている、と驚くのである。
ああ、わたしは、ほったらかしにしているのに、なんと、マメな。

といいつつ、自分は、とても、しょーもない、ささいなことに振り回されているので、
時間を割いて写真をアップしているほうが、ずっとずっと建設的で、有意義な行為だとは、思う。

究極のところ、わたしの関心事は、自分にしかない。
自分が興味あることにしか、時間やエネルギーを割かない。
(あくまでも、自由時間の使い方です。義務はそれなりに、果たしている・・・つもり・・・)
自分自身も、どんどん変わっていっている。
これからも、どう変わるのか、自分でさえ予想できない。

それが、ある意味、自分にとって、おもしろいのであるが。
自分を自分で楽しむ。
人を楽しませることが眼中にないところが、わたしの、サービス精神のない所以だ。
これは、ある意味、反省しないといけないこと。
自分に夢中になりすぎると、イタイひとになるから。

まわりとも調和し、協調していかないと、社会では生きていけないから。
一人だけ、周囲の気持ちを考えず、浮いている自分も、心地よくない。

 

 にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ人気ブログランキングへ

トップ画像、ひどいです。
いいとは全く思っていませんが、あくまでも試作、練習。 
いずれ、ステキなものが創られるようになる日までのプロセス。
といって、一生、そんな日は、来ないんだけど。
アップしないでほったらかしている写真と、おんなじ?

デキの悪い、自分への言い訳にすぎない?