雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

魚の王が現れる ・ 今昔物語 ( 5 - 28 )

2020-09-02 08:17:50 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          魚の王が現れる ・ 今昔物語 ( 5 - 28 )


今は昔、
天竺のある人が、五百人(大勢を表現する常套句)の商人と共に財物を求めて船で海に乗り出した。その途上、ある船頭が、船の物見やぐらに登っている人に尋ねた。「おーい、何か見えないか」と。
やぐらの上の人の答は、「二つの太陽が見えます。また、白い山があります。また、海水の流れが勢いを増して急流となり、大きな穴に吸い込まれるようです」と言ったものであった。
船頭は、「お前たちは知らないのか。魚の王が出て来たのだ。二つの太陽というのは、魚の二つの目のことである。白い山と見えるのは、魚の歯のことである。海水が流れて行くと見えるのは、魚の口に海水が吸い込まれているのだ。これは、恐れる上にも恐れるべき物だ。お前たち、それぞれ五戒(在俗の信者が日常生活で保つべき五つの戒め。)を保ち、仏の御名(ミナ)を念じ奉って、この難から逃れよう。船が魚の口に近付けば、引き返すことが出来ない。お前たち、この海水の流れの速いことを見てみよ」と叫んだ。

そこで、五百人の商人は、皆それぞれが心を一つにして仏の御名を称し、観音の御名を唱え、「この難を免れさせてください」と申し上げると、たちまちのうちに魚は口を閉じて、海中に潜って行った。
これにより、五百人の商人は無事に本国に帰ることが出来た。
また、伝えられているところによれば、この魚は命が尽きて後、人中(ニンジュウ・人間界)に生まれて比丘(ビク・仏僧)となり羅漢果(ラカンカ・阿羅漢果と同じ。原始仏教における最高の修行階位。)を証した、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

 

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最初の弟子たち ・ 今昔物語 ( 5 - 29 )

2020-09-02 08:17:13 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          最初の弟子たち ・ 今昔物語 ( 5 - 29 )


今は昔、
天竺の浜辺に、大きな魚が流れ着いた。
その時、山仕事に従事する人が五人通りかかった。その五人は、この大魚を見ると近寄って、その魚の肉を切り取って五人そろって食べた。

すると、それをきっかけに、世間の人が次々と伝え聞いてやって来て、この魚の肉を切り取って食べた。
その魚というのは、今の釈迦仏であられる。大魚の身となって、山仕事の人たちに我が身を与えられたのである。現世の仏となられた後、最初にその魚の肉を切り取って食べた五人を真っ先に教化して、悟りを得させたのである。
その五人というのは、拘隣比丘(クリンビク・憍陳如とおなじ。釈迦の最初の仏弟子)・馬勝比丘(メショウビク・アヘイとも。威容端正な人物だったらしい)・摩訶男(マカオ・釈迦の叔父の子)・十力迦葉(ジュウリキカショウ・釈迦の従弟とも。著名な摩訶迦葉とは別人)・拘利太子(クリタイシ・釈迦の叔父の子)たちである、
となむ語り伝へたるとや。

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帝釈天の妻 ・ 今昔物語 ( 5 - 30 )

2020-09-02 08:16:17 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          帝釈天の妻 ・ 今昔物語 ( 5 - 30 )


今は昔、
舎脂夫人(シャシブニン)というのは、帝釈天の御妻である。毘摩質多羅阿修羅王(ビマシツタラアシュラオウ・須弥山の最深部にある阿修羅界の王とされる。)の娘である。
釈迦仏が未(イマ)だ現世に現れる以前に、一人の仙人がいた。名を提婆那延(ダイバナエン)という。帝釈天は常にこの仙人の所に行き、仏法(仏法というより、仙人の法術といったものと考えられる。)を習った。
すると、舎脂夫人は心の内で、「夫の帝釈天は、きっと仏法を習うだけではあるまい。夫には、必ず他に夫人(ブニン・夫人は正妻のことであるが、ここでは妾といった意味。)がいるに違いない」と思って、夫人は密かに帝釈天の後ろから隠れながらついて行ったが、夫は本当に仙人のもとに行った。
帝釈天は、夫人が密かに尾行していたのを知って、声を荒げて言った。「仙人の法は、女人にまみえず、女人の声を耳にしない、と教えている。さあ、さっさと帰るのだ」と。そして、蓮の茎で舎脂夫人を打った。

そうされて、舎脂夫人は安心したこともあって、甘えた声で夫とふざけた。
その時、仙人は舎脂夫人の艶やかな声を聞いて心が穢れたので、たちまちのうちに仙人としての神通力を失って、普通の男になってしまった。
されば、女人は仙人の神通力にとって大きな障りなのだ、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


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石になった牛飼い ・ 今昔物語 ( 5 - 31 )

2020-09-02 08:15:09 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          石になった牛飼い ・ 今昔物語 ( 5 - 31 )


今は昔、
未(イマ)だ釈迦仏が現世に出現なさる前のことであるが、天竺に一人の牛飼いがいた。
数百頭の牛を飼っていて、林の中まで来た時、一頭の牛が群から離れてどこかへ行ってしまった。捜したが見つけることが出来なかった。
牛飼いは放牧した後、日暮れになり帰ろうとした時、逃げ去っていた牛を見つけたが、よく見てみると他の牛と様子が違い、格別美しい姿をしている。また、鳴き方も普通とは違っている。また、他の多くの牛は皆、この牛を恐れて近づこうとしない。

このような状態で数日過ごしていたが、牛飼いは怪しい事だと思っていたものの、その理由が分からなかった。
そこで、牛飼いはその牛が行く先を見てみようと思って機会を待っていると、その牛は、山の崖になっている所にある岩穴に入って行った。牛飼いも、その牛の後から入って行った。
四、五里(一里は500m位か
)ばかり進むと眺望の開けた野原があった。天竺には似つかしくない、見事な花畑が広がっていて、果物も満ち溢れている。
牛を見ると、その一か所に立って草を食べている。牛飼いがその果物の樹を見てみると、赤っぽい黄色の実は金(コガネ)のようであった。その実を一つ取って食べてみたいと思ったが、恐くて食べられなかった。

やがて、牛は返り始めた。牛飼いもまた、牛に次いで返って行った。石穴の入り口まで来て、まだ出てしまわない時に、一人の悪鬼が現れて、牛飼いが持っていた果物を奪おうとした。
牛飼いはその果物を食べようと口に含んだ。鬼はさらに、牛飼いの口の中を探った。牛飼いはその果物を呑み込んだ。
果物が腹の中に入ってしまうと、牛飼いの体は突然大きく肥っていった。石穴から出ようとしていたが、頭はすでに出ていたが、体は穴いっぱいになってしまって出ることが出来なくなってしまった。
通りかかった人に助けを求めるも、誰も助けてくれない。家の人がこの事を聞いてやって来て見てみると、牛飼いの姿はすっかり変わってしまっていて、家の人全員が恐れをなした。
牛飼いは、穴の中での出来事を詳しく語った。家の人は、多くの人を集めて引き出そうとしたが、全く動く気配さえしなかった。
国王は、この事を聞いて、人を遣わして掘り出させようとしたが、やはり動かなかった。
数日して、牛飼いは死んでしまった。そして、長い年月を重ねて、人の形を残したまま石になってしまった。

それから後に、国王は、「こうなったのは、仙薬(センヤク・神仙界の霊薬)を服用したためである」と知って、大臣に命じた。「牛飼いは、きっと仙薬のために姿が変わったのだ。石であるといっても、その姿はすでに神霊である。人を遣わして、少しばかり削り取って参れ」と。
大臣は国王の仰せを承って、工匠と共にその場所に行って、力を尽くして削ったが、一旬(イチジュン・十日間)を過ぎても、一斤(イッキン・600g程か?)さえ削り取ることが出来なかった。
その姿形は今もなお残っている、
となむ語り伝へたるとや。

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老人の知恵 ・ 今昔物語 ( 5 - 32 )

2020-09-02 08:14:13 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          老人の知恵 ・ 今昔物語 ( 5 - 32 )


今は昔、
天竺に、七十余りの人を流し遣る(流罪というより追放といった意味のようだ。)国があった。
その国に一人の大臣がいた。老いた母の世話をしていた。朝夕に母の様子をうかがい、手厚く孝養を尽くしていた。
このようにして日を過ごしているうちに、いつしかこの母は七十歳を過ぎた。
「朝に会って、夕べに会うことが出来ないだけでも心配でならないのに、遥か遠い国に流し遣って永遠に会えなくなることは、とても堪えられない」と思って、大臣は密かに土を掘って地下の穴蔵を造り、家の隅に隠し住まわせてた。家の人たちもそれを知らず、まして世間の人が知るはずもなかった。

このようにして歳月を送るうちに、隣国から、同じような牝馬(メウマ)二頭を送って来て、「この二頭の親子を明らかにして書き記して伝えよ。もしそうしなければ、出兵して七日の内に国を滅ぼす」と言ってきた。
そこで、 国王は大臣を召して、「この難題をどうすればよいか。もし思いついた事があれば申せ」と仰せになった。大臣は、「この事は、容易く答えられることではありません。退出して、よく考えたうえで申し上げます」と言って、心の中では「隠し住まわせている我が母は、年老いているので、このような事を聞いたことがあるかもしれない」と思って、急いで退出した。

そして、母の地下室に忍んで行き、「然々の事があります。どのように申し上げればいいでしょうか。何かお聞きになったことはありませんか」と尋ねると、母は、「昔、まだ若かった頃、わたしはその事を聞いたことがあります。同じような馬の親子を決めるためには、二頭の馬の真ん中に草を置いてみることです。自分から進んで行って食べるのは子であり、子馬の好きにさせてゆったりと食べるのが親だと分かります。このように聞いております」と話した。
それを聞いて大臣が国王の許に参上すると、国王は「何か思いついたか」と訊ねられたので、大臣は母が話したように「このように思いつきました」と申し上げた。国王は「もっともな考えだ」と仰せられて、さっそく草を持って来させて、二頭の馬の真ん中に置いてみると、一頭は進んで食べ、一頭はその馬が食べ残したものをゆったりと食べた。
これを見て、親子の区別がつき、それぞれに札をつけて送り返した。

その後にまた、上下同じように削った木に漆を塗った物を送って来て、「この木の根元と梢を明らかにせよ」と言ってきた。
国王はこの大臣を召して、また「これに対してどうすればよいか」とお訊ねになると、大臣は前のように申しあげて退出した。そして、母のいる地下室に行って、また「然々の事があります」と尋ねると、母は、「それは実に簡単なことです。水に浮かべてみますと、少し沈む方が根元だと分かりますよ」と答えた。
大臣は宮殿に戻り、この由を申し上げると、すぐにその木を水に入れてご覧になると、少し沈む方がある。その方を根元と標をつけて送り返した。

その後、今度は象を送って来て、「この象の重さを計って知らせよ」と言ってきた。
そこで国王は、「このような事を言って来るとは、大変困ったことだ」と思い悩んで、この大臣を召して、「これをどうすればよいか。この度はさらに考え付かないことだ」と仰せられると、大臣も「まことに思いもつかないことです。しかしながら、一度戻りまして考えを廻らしたうえで方法を申し上げます」と言って退出した。
その時国王は、「この大臣は、自分の前では何も思いつかないのに、あのように家に戻ると名案を思いついて参るのは、いささか合点がいかない。いったい、家に何があるのか」と疑いを持った。

やがて、大臣が返ってきた。国王は、いくらなんでも今回は難しかろうと思いながら、「どうか」と訊ねられると、大臣が申し上げた。「これも、少々思いつきました。まず、象を船に乗せて水に浮かべます。そして、沈んだ船の水際に墨で印をつけます。その後で象を下ろして、次に船に石を拾い入れて、象を乗せた時に書いた墨の印まで水が来た時、その時乗っている石を秤にかけて、全ての石の重さを加えれば、象の重さが幾らだということが分かります」と。
国王はそれを聞いて、大臣が申すようにして計り、「象の重さは幾ら幾らである」と書いて送り届けた。

敵国では三つのことを知ることが出来なかったのを、一つとして違うことなく、毎回返答してきたので、その国の人は大変優れていると感じて、「賢人の多い国だ。並の知識の持ち主では、とても知っているはずもないことを、あのように言い当てて返答してきたのだから。あのように賢い国に敵対心を起こしては、返って計略に懸けられて討ち取られてしまう。されば、互いに親しくして仲よくすべきである」と思った。
そして、長年挑戦的であった方針を変えて、その由を正式の書状として友好関係を結んだので、国王はこの大臣に仰せられた。「我が国に恥をかかせず、敵国を軟化させたのは、そなたの徳によることである。わしは大変嬉しい。ただ、あのような、極めて難しい事をよく知っていたのは、どういうわけだ」と。

すると大臣は、目から涙が流れるのを袖で押さえつつ、国王に申し上げた。「我が国には、往古(イニシエ)より七十歳を過ぎた人を他国に流し遣ると定められた習慣があります。最近始めた政ではありません。ところが、我が母は、七十歳を過ぎてから今年で丸八年になります。朝夕に孝養するために、密かに家の地下に土蔵を造って住まわせております。そこで、年老いた者は見聞が広いものですから、もしかすると聞き覚えていることがあるのではと思って訪ねて聞きましたところ、それらのことをみな教えてくれたのです。あの年寄りがいなければ、どうなっていたでしょう」と。
それを聞いて国王は、「いかなるわけで、昔よりわが国には老人を捨てる風習があったのか。今回のことを考えれば、老いたる者を尊ぶべきなのである。されば、遠い所へ流し遣った老人たちは、貴賤男女に関わらず全員を帰国させるよう宣旨を下すべし。また、老いを棄てるという国の名を改めて、老いを養う国と言うべし」と仰せ事を下された。(本稿には書かれていないが、もとになった書には「棄老国」とあるらしい。)

その後、この国の政は平安となり、民は穏やかにして国内は豊かになった、
となむ語り伝へたるとや。

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今昔物語 巻第四  ご案内

2020-02-08 14:46:46 | 今昔物語拾い読み ・ その1

     今昔物語 巻第四  ご案内
 
     
  本巻は、全体の位置付けとしては「天竺付仏後」とされています。
  天竺の巻は、第一巻から第五巻までありますが、本巻は釈迦没後の物語が中心になっています。
  史実としての価値については、筆者は評価する力を有していませんが、どこかで聞いたような物語もあり、興味深い巻といえます。

     

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阿難尊者の弁明 ・ 今昔物語 ( 4 - 1 )

2020-02-08 14:44:42 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          阿難尊者の弁明 ・ 今昔物語 ( 4 - 1 )

今は昔、
天竺において仏(釈迦)が涅槃(ネハン)に入られて後、迦葉尊者(カショウソンジャ)を最上位者として、千人の羅漢(ラカン・阿羅漢の略。原始仏教における修業階位の最高位に達したもの。ここでは、高弟たちを指している。)が皆集まり、大小乗の経(利他を説く大乗経と自利を説く小乗経。)を結集(ケツジュウ・合議により仏典を編集すること。この時のものが、第一回結集といわれるもの。)し給うた。

その中で、阿難(アナン・釈迦十大弟子の一人。釈迦の従兄弟にあたる。)の所行に罪過が多かった。そこで、迦葉は阿難を詰問なさった。
「まず、そなたは、憍曇弥(キョウドンミ・釈迦の叔母にあたる。再三出家を望むが釈迦が許さず、阿難の口添えで実現したらしい。原始仏教において女性蔑視が見られることがあるが、その一つのように思われる。)を仏に申し上げて出家させ戒を授けた。それによって、正法五百年(ショウボウ・釈迦入滅後、五百年あるいは千年の間は、正しい教えが伝えられるとされる期間。)を短くしてしまった。その罪過をどう思っているのか」と。
阿難はこれに対して、「仏の在世・滅後に関わらず、必ず四種の構成員がいるではないか。すなわち、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷(ビク・ビクニ・ウバイ・ウバソク・・なお、前の二つは男女の出家信者。あとの二つは男女の在家信者のこと。)である」と答えた。
また、迦葉が訊ねた。「そなたは、仏が涅槃に入られる時、水を汲んで仏に奉ることをしなかった。その罪過はどうか」と。
阿難は、「その時に、川の上流を五百の車が横切りました。そのため水が濁り、水を汲んで仏に奉ることが出来なかったのです」と答えた。
また、迦葉が訊ねた。「仏はそなたにお尋ねになられた。『私(釈迦)は、一劫(イチゴウ・劫は時間の単位で、果てしないほど長い時間。)に生きるべきか。多劫に生きるべきか』と。その答えを、そなたは三度にわたってお答えしなかった。その罪過はどうか」と。
阿難が答えた。「天魔・外道(ゲドウ・仏教から見た異教徒。)がそれを知ると、仏の在世期間が分かり禍を成すでしょう。それゆえお答えしなかったのです」と。

また、迦葉は訊ねた。「仏が涅槃に入られた時、摩耶夫人(マヤブニン・釈迦の生母)が遥か忉利天(トウリテン・天上の一つ。帝釈天の居城がある。)より手を差し伸べて、仏の御足を取って涙をお流しになった。ところが、そなたは仏の側近として仕えた御弟子でありながら、それを制止することなく、女人の手を仏の御身に触れさせている。この罪過はどうか」と。
阿難は答えた。「末世の衆生に母の深い愛情を知らしめるためであります。この恩を知って徳を積むためです」と。
このように、阿難が答えの一つ一つに罪過はなかったので、迦葉はこれ以上問い質すことは無かった。

また、千人の羅漢が霊鷲山(リョウジュセン・釈迦が多くの説教を行った聖地の一つ。)に行き法集堂(ホウシュウドウ・経典の編纂所)に入る時、迦葉は、「ここにいる千人の羅漢のうち、九百九十九人はすでに無学(ムガク・これ以上学ぶものが無いという意味。)の聖人である。ただ一人阿難は、有学(ウガク・まだ学ぶべきことがあるという意味。)の人である。また、この阿難は、時々女性に関心を抱く。未だ修行の薄い人である。速やかに堂の外に出なさい」と言って、立って行き阿難を引き出し門を閉じてしまった。
すると阿難は、堂の外から迦葉に申し上げた。「私が有学なることは、四悉檀(シシツダン・仏の教えを四種に分類したもので、その内容は広範で難解らしく、阿難はそれを修得するためには学ぶことがある、と答えたものらしい。)を修得するためです。また、女の事に関しては決して愛欲心はありません。ぜひ、私を堂の中に入れて座に着かせてください」と。
迦葉は、「そなたは、まだ修得の程度が低い。速やかに無学の域まで修得すれば、中に入れて座に着かせよう」と言った。
阿難は、「私はすでに無学の域まで修得しています。速やかに入れてください」と言う。
迦葉は、「無学の域に達しているというのであれば、戸を開かずとも神通力をもって入れば良い」と答えた。

そこで阿難は、鍵穴より入って中の羅漢たちに加わった。すると中にいた九百九十九人の阿羅漢たちは、不思議な思いになった。
これによって、阿難を法集の長者(編集主幹)と決めた。
そこで阿難は、高座に昇り、「如是我聞(ニョゼガモン・我は仏の教えをこのように聞いた、といった意味で、多くの経典はこの言葉で始まる。)」と言った。その時、集まっている阿羅漢たちは、「我が大師釈迦如来が再びよみがえられて、我らのために法をお説きになられるのか」と疑い、偈(ゲ・仏教の真理を詩の形で述べたもの。)を説いて声を合わせて誦した。
 『 面如浄満月 眼若青蓮華 仏法大海水 流入阿難心 』
 ( メンニョジョウマンゲツ ゲンニャクショウレンゲ ブッポウダイカイスイ ルニュウアナンシン )
 ( 前の二句は、阿難の容貌を仏の尊顔の如し、と称え、後の二句は、偉大にして無尽蔵の仏の教えを大海の水にたとえ、それらが阿難の心に会得されたと賞賛したもの。)
このように誦して、褒め称えること限りなかった。その後、大小乗の経を結集した。

されば、仏の御弟子の中において、阿難尊者は優れた人物であると皆が知ることとなった、
となむ語り伝へたるとや。

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食物を地神に供える ・ 今昔物語 ( 4 - 2 )

2020-02-08 14:43:31 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          食物を地神に供える ・ 今昔物語 ( 4 - 2 )

今は昔、
天竺において仏(釈迦)が涅槃に入られて後、波斯匿王(ハシノクオウ・釈迦と同時代の舎衛国王。仏教を外護した。)は羅睺羅(ラゴラ・釈迦の実子で十大弟子の一人。)を招いて、豪華な食事を供応した。大王及び后は自ら手に取ってこれを食べさせると、羅睺羅はそれを受けて、一箸食べたのち涙を流して泣くこと幼児のようであった。

すると、大王及び后・百官は、皆これを見て怪しみ、羅睺羅に尋ねた。「私は、心をこめて供養させていただいています。何ゆえお泣きになるのですか。今すぐそのわけをお聞かせください」と。
羅睺羅は、「仏が涅槃に入られて、まだいくらも経ちませんが、この御馳走の味がすっかり変わってしまい、不味いのです。それゆえ、これからの末世の衆生は、何を食べればよいのかと考えますと悲しくなり、それで泣いたのです」と答えて、なお泣き止まない。

その後、大王がご覧になっていると、羅睺羅は腕を伸ばして地の底の土の中より飯一粒を取り出して言った。「これは仏が在世の時の飯(イイ)です。断惑の聖人(ダンワクノショウニン・一切の煩悩を断ち切って悟りを得た聖人。仏や阿羅漢を指す。)の飯なのです。この飯と今の供養の飯とを、すぐに食べ比べてみてください」と。
大王はその飯を取ってお嘗めになった。味は不思議なほど美味であった。今の供養した飯と比べてみると、今の飯は毒の味のようであり、この飯は甘露(カンロ・蜜のように甘い液。仏教では兜率天の不死の霊液とされた最高の滋味飲料。)のようである。
そこで羅睺羅は、「この世から聖人が皆いなくなって、誰に供養するためにこの食物を地上に留めて置こうか」と言った。そして、「これは、堅牢地神(ケンロウジジン・もとは古代インドの大地の女神。大地の母神として農作豊穣・延命息災の福利を授けるとされた。)の大地から生ずる食物として、五百由旬(ゴヒャクユジュン・遥かに深いとの表現。)の地の底に埋めるべし」と言った。
大王は、「しからば、どのような時にその食物は役立つのでしょうか」と言った。
羅睺羅は答えた。「末世において、仁王経を講ずる所には必ず食物があるはずである」と。

されば、末世の衆生にとって、仁王講はもっとも重要な善行を積む法会なのである、
となむ語り伝へたるとや。

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八万四千の塔を建てる ・ 今昔物語 ( 4 - 3 )

2020-02-08 14:42:19 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          八万四千の塔を建てる ・ 今昔物語 ( 4 - 3 )

今は昔、
天竺において仏(釈迦)が涅槃に入られて一百年後に、鉄輪聖王(テツリンジョウオウ)が出生なされた。阿育王(アイクオウ・マウリヤ王朝第三代の王。古代インド最初の統一国家を建設、仏教の守護者として著名。)と申される。
この王は、八万四千人の后を持っていた。しかし、王子はいなかった。それを嘆いて子供の誕生を願い乞うていたが、特に寵愛していた第二の后が懐妊した。
それで、大王は大変喜び、占い師を召して、「この懐妊した皇子は、男か女か」と訊かれると、占い師は、「金色の光を放つ男子がお生まれになります」と占なって申し上げた。されば、大王はいっそう喜び、后を大切にし給うこと限りなかった。

こうして、お生れになるのをお待ちになっているうちに、第一の后がこの事を聞いて思ったことは、「まことにそのような子が生まれて来れば、私はきっと第二の后に蹴落とされるに違いない。されば、どうにかして、その生まれてくる御子を亡き者にすべきだ」というもので、計略を廻らせた。
そして、「ここに孕んでいる猪がいる。これが生んだ子を第二の后が生むであろう金色の御子とを取り換えて、御子を埋め殺してしまおう。そして、『このような猪の子をお生みになりました』と言って取り上げしよう」と企てて、第二の后の身近に仕える乳母を説き伏せて、生まれてくるのを待っているうちに、月満ちて、第二の后の陣痛が始まり、人の手助けを受けて出産したが、あの乳母が第二の后に教えたことは、「出産の時には物を見ないことです。衣を引き被っていれば安産できる」ということで、第二の后は教えられたように衣を被っていたので物も見えなかった。
やがて御子は、安産でお生れになった。第二の后がご覧になると、占い師が言っていた通り金色に輝く男の子がお生まれになったのである。ところが、かねて計画していたように、乳母はその御子を他の物で押し隠すようにして取って、猪の子と取り換えた。大王には、「猪の子をお生みになられました」と申し上げたので、大王はそれを聞いて、「これは、奇妙で恥知らずなことだ」と言って、第二の后を他国に追放されてしまった。
第一の后は、計略通りことがなされたことを大いに喜んだ。

その後、数か月経ってから大王は他所に御行して逍遥(ショウヨウ・気晴らしにそぞろ歩くこと。)なさることがあった。
園でお遊びになられたが、林の中に女がいた。何か子細がありそうな様子である。召し寄せて見てみると、追放した第二の后であった。
大王は、たちまち哀れみの心がわいてきて、猪の子を出産した時のいきさつをお訊ねになられると、第二の后は、私は何一つ過ちなど犯しておりません、何とか事の真実を大王のお耳に入れたいと思っていましたが、このように直接にお訊ねいただけたと喜んで、実際に起きたことを申し上げると、大王は、「我は、過って后を罪にしてしまった。また、金色の御子が生まれていたのに、他の后共の計略で殺されてしまったのだ」と誤解を解いて、第二の后を召し還して宮殿に帰り、もとのように后とした。
第二の后を除く八万四千の后を、罪を犯した者も犯していない者も、そのすべてを怒りの心を起こして殺してしまった。

その後、よくよく思案するに、「何とこの罪は重いことか。地獄に堕ちる報いをどうすれば免れることが出来るだろうか」と思い嘆いて、近護という羅漢の比丘(ラカンノビク・最高位の修業過程である阿羅漢果を修得している僧。阿育王の師僧。)に大王はこの事を相談された。
羅漢は申し上げた。「まことにこの罪は重く、免れがたいと思われます。但し、后一人に一つの塔を充てて、八万四千の塔を建立なさいませ。そうすることだけが、地獄の苦から免れることが出来るでしょう。塔を建てる功徳は、ただ戯れに石を積み木を彫っただけでさえ、人智の及ばない不可思議なご利益があります。いわんや、法の定める通りにその数の塔を建立なされば、罪を免れることは疑いありません」と。
そこで大王は、国内に勅命を下して、閻浮提(エンブダイ・古代インド的、仏教的宇宙観で、須弥山の南方洋上にある大島で、我々の住む世界とされる。)の内に八万四千の塔を一気にお建てになった。それに仏舎利(ブッシャリ・仏の遺骨。)を安置していないことを嘆かれていると、一人の大臣が申し上げた。「仏が涅槃にお入りになられた後、舎利を分けられましたが、大王の父の王(年代が合わず、祖父という説もあるらしい。)が得られるはずの舎利を難陀竜王(ナンダリュウオウ・仏法守護の八大竜王の一人。)がやって来て奪い取り、竜宮に安置しています。速やかに彼を訪ねて返却させ、この塔に安置なさるべきです」と。

そこで大王は、「我は、諸々の鬼神(仏教守護の善鬼)ならびに夜叉神(ヤシャジン・もとは古代インドの神話伝説上の悪鬼。仏教に取り込まれて、仏法守護となった。)などを召して、鉄(クロガネ)の網を以て海の底の多くの竜を捕らえれば、きっと舎利を得ることが出来るだろう」と思われて、鬼神・夜叉神などを召してこの計画を決定して、すぐに鬼神に鉄の網を造らせて曳かせようとされたので、竜王は大いに恐れおののいて、大王が寝ておられる間に竜王がやって来て竜宮に招いた。
大王は竜王と共に船に乗り、多くの鬼神等を連れて竜宮に行かれた。竜王は大王を迎えて、「舎利を分けた時、八国の王が集まり、四衆(四部の衆、と同じ。仏教教団を構成する四種の要員で、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の総称。)が相談して、罪を除くために得た舎利です。もし大王が、私と同じように恭敬しなければ、きっと罪を得られることでしょう。私は、水晶の塔を建てて心をこめて恭敬いたします」と言った。

大王は舎利を得て本国に帰り、八万四千の塔のすべてに安置して礼拝なされた時、舎利は光を放ちなされた、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆



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眼を失った太子 ・ 今昔物語 ( 4 - 4 )

2020-02-08 14:41:11 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          眼を失った太子 ・ 今昔物語 ( 4 - 4 )

今は昔、
天竺に阿育王(アイクオウ・前話に登場)と申す大王がおいでになった。一人の太子がいた。名を拘那羅(クナラ)という。姿形は端正にして生まれつき心が正しく素直であった。すべての面において、人に勝っていた。それゆえ、父の大王はたいそう寵愛なさった。
この太子は、前の后の子である。今の后は継母にあたることになる。
そして、この后は太子の様子を見て愛欲の心を起こし、他の事を考えることがなかった。この后の名は、帝尸羅叉(タイシラシャ・阿育王の第一夫人とも。)という。

后は、この事を思い悩み、愛欲の心を抑えきれず、ついに人目のない時を見計らって、太子がおいでになる所に密かに近寄り、太子に突然取りすがり抱きしめようとした。太子にはそうした思いはなく、驚いて逃げ去った。
后は大いに怨みを抱いて、気持ちが落ち着くのを待って大王に申し上げた。「あの太子は私に懸想しています。大王さま、速やかに太子の邪心を察知いただき、太子を戒めてください」と。
大王はこれを聞いて、「これはきっと后の讒言(ザンゲン)に違いない」と思った。
大王は密かに太子を呼んで仰せになられた。「そなたが同じ宮殿にいると、何かと不都合なことが起こるだろう。一つの国をそなたに与えよう。その国に行って住み、わが宣旨に従うがよい。たとえ宣旨があっても、我が歯印(シイン・古代インドでは、歯型をつけて印章に代わる証とした。)の無いものは信用してはならない」と言って、徳叉尸羅国(トクシャシラコク・現在のパキスタン北部にあたり、大王のマガタ国から見て遥かに遠い僻地にあたる。)という遠い所に送り出した。

太子はその国に住んでいたが、継母の后は遠くの太子の事を思うにつけ極めて心が穏やかでなくなり、企んだことは、大王に気持ちよく酒を飲ませ、大いに酔って寝ている間に、こっそりと大王の歯形を取った。その後、太子が住んでいる徳叉尸羅国へ偽りの宣旨を下し、「速やかに太子の二つの眼(マナコ)をえぐり出して捨て、太子を国境の外に追放せよ」と、使者を差し向けた。
使者はその国に行き着いて、宣旨を与えた。太子はこの宣旨をご覧になって、「自分の二つの眼をえぐり出して捨て、自分を追放せよ」とある。まぎれもなく大王の歯印があるので、偽物とは思えない。大いに歎き悲しんだが、「自分は父の宣旨に背くことは出来ない」と言って、すぐに旃茶羅(センダラ・古代インドの最下層民)を召して、泣く泣く二つの眼をえぐり出して捨てた。その間、城内の人は皆これを見て、悲しみに泣かない者はいなかった。

その後、太子は宮城を出て、道に迷ってしまった。妻だけを連れて、彼女を道案内にあてどもなくさ迷い歩いた。他に従う者は一人もいなかった。父の大王は、この事を全く知らなかった。
やがて太子は、いつの間にか父王の宮城に迷い着いた。どこだとも分からず、象の畜舎に立ち寄ったところ、そこにいた人が、女に連れられた一人の盲人を見つけた。長い間流浪してきているので、疲れた様子で顔かたちも衰えていたので、見つけた宮人には、とても太子とは見分けることなど出来ず、象の畜舎に泊まらせた。

夜になると、その盲人は琴を弾いた。大王は高楼に登られていて、かすかにこの琴の音をお聞きになられ、我が子の拘那羅太子が弾く琴に似ているように思われた。そこで使いを遣わして、「あの琴の音は、どこの何者が弾いているものか」と訊ねられると、使いは象の畜舎を探し当てて見てみると、一人の盲人が琴を弾いている。妻を連れていた。
使いは、「何者がここにいるのか」と問へば、盲人は、「私は、阿育大王の子である拘那羅太子です。徳叉尸羅国におりました時、父の大王の宣旨によって、二つの眼をえぐり取って捨て、国外に追い出されましたので、このように迷い歩いております」と答えた。

使いは驚き、急いで戻ってこの由を申し上げた。大王はそれをお聞きになって、たいそう驚き心を乱して、盲人を召して事の次第を訊ねられると、使いの報告通りを語った。
大王は、これは何もかも継母の后の為せる所業と思って、すぐさま后を罰しようとしたが、太子は言葉を尽くして処罰をお止めした。
大王は泣き悲しんだ。そして、菩提樹の繁茂した寺にクシャ大羅漢と申される高僧がおり、その人は三明六通(阿羅漢果を修得した聖人が身につけているとされる超能力。)を修得していて、人々を利益(リヤク・慈悲を垂れて衆生を救済すること。)すること仏の如くと言われていたが、大王はその大羅漢を請じて申された。「願わくば聖人。慈悲を以て我が子拘那羅太子の眼をもとのように得させ給え」と、泣き泣き申し上げると、大羅漢は「私が妙法(優れた教法)を説きましょう。国内の人ことごとく来てこれを聞くべきです。それぞれが器を一つ持ってきて、法を聞いて、その貴さに泣いて流した涙をその器に受けて、それでもって眼を洗えば、もとのようになるでしょう」と申されたので、大王は宣旨を下して、国の人を集めた。
遠くから、あるいは近くから、人の集まること雲の如くであった。

すると大羅漢は、十二因縁(人間苦の根源となる十二の条件で、それを断つことによって苦悩を滅し、解脱を得るとされるもの。)の法を説いた。集まってきている人々は、法を聞いて皆が貴び泣かない者はいなかった。その涙を持参した器に受け集めて、金の盤(皿状の器か?)に集めた。大羅漢は誓いを立てて言った。「およそ私が説くところの法は、諸仏の究極の真理であります。もしそうではなく、説くところに誤りがあるならば、太子の眼は本復できますまい。もし真実であれば、願わくば、この多くの人々の涙を以て太子の盲したる眼を洗えば、明らかになって、もとのように見ることが出来るであろう」と。
このように誓願を立てて、涙で眼を洗うと、眼が現れて明らかになり、もとのようになった。
その時大王は、頭を垂れて大羅漢を礼拝して喜ばれること限りなかった。
その後、大王は大臣・百官を召して、ある者は免職にし、ある者は罪なきゆえに許し、ある者は国外に追放し、ある者は命を断った。

この太子の眼をえぐり出した所は、徳叉尸羅国の外の東南の山の北側である。その所には、卒塔婆(ソトバ・仏塔)を立てた。高さ十丈余である。
その後、国に盲人あれば、この卒塔婆に祈請すれば、みな眼が明らかになり、もとのようになることが出来た、
となむ語り伝へたるとや。

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