雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

敦良親王の誕生 ・ 望月の宴 ( 125 )

2024-11-16 08:07:24 | 望月の宴 ④

     『 敦良親王の誕生 ・ 望月の宴 ( 125 ) 』


こうしているうちに、中宮(彰子)のご懐妊のご様子は、御修法(ミズホウ)や御読経、様々な御祈祷、それほどでもない事なども、前回の例にならって、御指図なさったが、十一月二十五日になって産気づかれて、たいそう苦しげそうである。
例の聞きづらいほどの御祈祷など様々な声などが部屋中に満ちている。されど、御物の怪などの何の気配もない。
そうした事は安心していらっしゃれるのも、限りなくお尽くしになった御祈祷の効験であろう。たいそう平らかに、ほどなくして御子(敦良親王)がお生まれになった。

それからも、何よりも後産の御事がどうなるかと大騒ぎなさったが、それもほどなくお済みになった。まことにめでたいことだと思われてお喜びであるが、それも前に劣らぬ男御子の御誕生なので、殿の御前(道長)をはじめとして、これほどの慶事はあまりにも信じられなく、空言かとまでお思いになるほどであった。
帝におかれてもお耳になさって、早速に御剣(ミハカシ)を賜った。
すべて何事も、もっぱら前回の例を一つとして違うことなく引き合いになさる。女房の白装束などは、この度は冬なので、浮文・固文・織物・唐綾など、すべて言いようもなく立派である。この度は袴さえも白くしたので、こうあるべきだとばかりに、白妙の鶴の毛衣のようにめでたく、新宮の千歳のご寿命も推し量られる。

御湯殿の儀の有様などは、先の若宮(敦成親王)の時で分るはずなので、書き続けることはしない。
御文博士(読書博士。漢籍のめでたい一節を読む。)も同じ人(蔵人弁藤原広業)が参上した。すべてが全くすばらしく、何とも申し上げようがないほどである。
三日、五日、七日の御産養(ウブヤイナイ)などの御作法は、むしろ前回よりも盛大のように見受けられた。
この度は、行事にも慣れて、簡略になさることもなかった。

さて、帥殿(ソチドノ・伊周)は、このところしきりに水をお飲みになり、御食事などもどうされたのかと思うほどお召し上がりにならなくなり、とても以前の人のようではなくなり、お痩せになってしまわれた。
ご気分もたいそう苦しくお悩みのようである。ずっと、御斎(トキ・身を慎んで、勤行に励む生活を送っていた時のことを指す。)にてお過ごしの時は、たいそう太っていらっしゃったのが、いまは俗人の生活をなさっているのに、このようにお痩せになられたのをどうしたことかと、心細く思わざるをえないが、松君の少将(伊周の嫡男道雅。従四位下右近衛少将、十八歳。)のことが、万事につけ誰よりもご心配なさっているが、これからどうなるものかと、哀れに胸の詰まる思いで嘆かれているのも、まことに無理ならぬ事で、昔と違ってまるで変わり果てた中関白家の没落を、やるせなくお思いになるのも、まことにそうであろうとお見受けする。

帝におかれては、若宮(敦成親王)を恋しく思われるにつけても、今宮(敦良親王)をご覧になりたいお気持ちにつけても、「やはり、早々に宮中に参られよ」とばかり、中宮(彰子)にお申し入れなさる。

     ☆   ☆   ☆

 

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伊周に呪詛の疑い ・ 望月の宴 ( 124 )

2024-11-03 08:03:41 | 望月の宴 ④

     『 伊周に呪詛の疑い ・ 望月の宴 ( 124 ) 』


さて、尚侍殿(道長の次女妍子)が、東宮(居貞親王)の許に参内なさることが間近になって、お支度をお急ぎである。
このようにして、尚侍殿が参られることになるだろうことは、宣耀殿女御(センヨウデンニョウゴ・娍子。東宮女御でこの時三十八歳。)におかれては、当然こうなるべきことが今まで延びていただけなのだとお思いで、何もおっしゃらないので、「ほんとうにどうなっているのでしょうか。お気にも止めないのでしょうか」なとど、お仕えしている女房たちが噂しあっているが、宣耀殿女御は、「今はただ宮たち(すでに六人の皇子皇女がいた。)のお世話と、その隙には勤行をしようと思っていて、それでは東宮にはお気の毒なことなので、尚侍殿が参られることが良いこのなのだ」などとお思いになっていて、いかにも気にかけていないようになさっているが、やはり我慢なさっているのだが、そうした女御のお心で事態に差し障りがあるわけではないが、そうとは申せ、身分の賤しい者であっても身の程をわきまえず文句を言うものだが、この女御はなかなか無いご立派なお方と見受けられる。

こうして、中宮(彰子)の御事(懐妊)がこのようでいらっしゃるので、殿の御前(道長)は気が気でなくいらっしゃるうちに、いつしか秋になった。
二月以来ご懐妊であられたので、十一月にはご出産と思われていたので、たいそうもの騒がしく、尚侍の御参りは冬になってしまいそうだとお考えである。

こうしている間に、帥殿(ソチドノ・伊周)のあたりから、若宮(敦成親王)を悪し様に申し思っているといったことが最近出来(シュッタイ)して、たいそう聞きにくいことがたくさんあるようだ。まさか本当ではあるまいが、それにしても不都合な事が出てきて、帥殿はますます世の中がおもしろくなくなったとお嘆きである。
「明順(アキノブ・高階氏。伊周の母方の叔父で、伊周と親密であった。)が関わっていることだ」ということになり、大殿(道長)が明順を呼び寄せて、「このような不届きな心を持ってはならんぞ。若宮はこのように幼くていらっしゃるが、然るべき宿命を持ってお生まれになったのだから、四天王がお守り申し上げているだろう。凡人の我らごときであっても、人の憎しみを受けたとしても、そうそう死ぬなどあり得ないことだ。いわんや、並みの果報であれば人がどう言うか、どう思うかによって左右もされようが、格別の宿命をお持ちの若宮であるぞ、お前たちがこのような事をすれば天罰を受けよう。この我がとやかく言うことではないが」とだけ仰せになられたが、たいそう怖ろしく畏れ多いことと恐縮して、弁明申し上げることも出来ずに退出したのである。
その後、明順はそのまま気分が悪くなって、五、六日して死んでしまった。

こうした事もあって、帥殿はますます世間を憚るお気持ちが強くなられる。
同じ死だと言っても、明順が折の悪い時に亡くなってしまったことを、世間の人は、穏やかならぬ事を噂しており、帥殿はどれほどか世の中を生き抜きにくく、情けないものと心を乱しておいでのためか、御心地がふつうでないと思われて、食事などもふつうは進まないはずだが、返って常よりも頻繁にお召し上がりになるので、このただならぬ御有様を、北の方も帥殿ご本人も恐ろしいことだと思ってお嘆きである。
帥殿は、ここ数年の間お出歩きになることもなくなっていらっしゃるが、その間に、古今集・後撰集・拾遺集などをすべて書写本になさった。
このように、やはり並みの人より勝っていて、特に学才が限りなくおありだったからなのであろう。

     ☆   ☆   ☆

 

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頼通の結婚 ・ 望月の宴 ( 123 )

2024-10-22 07:59:25 | 望月の宴 ④

     『 頼通の結婚 ・ 望月の宴 ( 123 ) 』


かの花山院に寵愛されていた四の御方(太政大臣故藤原為光の四女。)は、院がお亡くなりになったので、鷹司殿(四の御方のもともとの居所らしい?)に移られていたが、それを殿(道長)がお耳になさって、お側に召したいと思われていたが、四の御方が心を決めかねているうちに、殿の上(倫子)が家の女房にとお便りをなさったが、どういうわけからか、ご決心がつかないようである。

こうしているうちに、殿の左衛門督(道長の嫡男頼通)を、然るべき家柄の人々で、婿に迎えたいと意向を示す方々もあるが、まだどうともお決めにならないでいたところ、六条の中務宮(具平親王)と申されるのは、故村上の先帝の御七の宮で、生母は麗景殿女御(醍醐天皇の孫の荘子女王)である。その御方と、村上天皇の四の宮の式部卿為平親王と故源帥の大臣(ゲンノソチノオトド・源高明)の御娘との間に生れた中姫君との間にお生まれになった御子に、女宮が三人、男宮が二人いらっしゃいます。
その姫君(隆姫)は、それはそれは大切にお育てになられていて、まったく不足のないお家柄であり、中務宮のご気性なども、世間並みといったものではなく、たいそう学問に優れているあまりに、陰陽道も医術の方にも、万事驚くほどに極めていらっしゃる。さらに、作文(サクモン・漢詩を作ること)や和歌などの方面にも優れていらっしゃって、まことに奥ゆかしくご立派でいらっしゃる。

その中務宮が、この左衛門督殿を婿にと御心を寄せられていらっしゃるのを、大殿(道長)がお聞きになって、「まことに畏れ多いことである」と恐縮なさって、左衛門督に、「男の値打ちは妻次第なのだ。たいそう高貴な家に婿入りするべきなのであろう」と仰せになっているうちにも、内々に準備を進めていたので、縁組みも今日明日に迫った。
実は、中務宮は、姫君を入内させることを望んでいらっしゃったのだが、御宿世というものであろうか、心を決められて左衛門督を婿にお迎えになったのである。

その御有様は、まことに当世風であった。
女房二十人、童女、下仕え四人ずつで、万事においてたいそう奥深く心憎いまでの有様である。今風の普通に見られる香ではなく、まさにこれが古(イニシエ)の薫衣香(クノエコウ・衣服にたきしめる香。)などといって、実にすばらしいと言われているのは、この薫りなのだと、重ね重ね珍しいものだと思われる。
姫君(隆姫)の御年は十五、六歳ぐらいで、御髪(ミグシ)などは尚侍殿(ナイシノカミドノ・道長の次女妍子。後の三条天皇中宮で、髪が美しいことで知られていた。)の御有様にとてもよく似た風情であられ、とてもすばらしいご容姿と推察なさっていらっしゃるのだろう。
中務宮は、たいそうご満足でいらっしゃるとお見受けされる。

こうして数日が過ぎて、御露顕(トコロアラワシ・当時の結婚の披露。)となったので、お供として参上すべき人々を、殿の御前(道長)がみな選択しお決めになった。
その夜の有様は、いささかも不足するものとてなくご立派に行われた。
男君の御愛情のほどは、宮家の有様や御身分などのほどによって左右されるものではあるまいが、それにしてもお二人の御仲はまことにすばらしい。
中務宮は、まことに婿取りした甲斐があったと思って見守られている。婿君が六条の御邸に朝夕お通いになるにつけても、その途中で、百鬼夜行(鬼や妖怪が列をなして歩くことで、当時、出会うことを恐れていた。)の夜などにもたまたま遭うかもしれないと、たいそう心配なことだとお思いになって、上京の辺りに然るべきお住まいを計画なさっている。

中務宮は、今は何の心配もなくなったので、この機会に何とか出家の本意を遂げたいものとお思いである。
事に触れて、格別尊い御有様であられるので、然るべき折々に、また、めずらしい節会などにおいては、ぜひお会いしたいと帝は望んでおいでだが(一条帝は十六歳年長の具平親王を敬愛していたらしい。)、この度のことだけではないが、そのような事は中務宮は念頭においていない。まったく残念なことである。

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中宮彰子再び懐妊 ・ 望月の宴 ( 122 )

2024-10-10 08:01:11 | 望月の宴 ④

     『 中宮彰子再び懐妊 ・ 望月の宴 ( 122 ) 』


こうしているうちに年が改まり、寛弘六年( 1009 )になった。
世間の様子に変わりはない。
若宮(敦成)はたいそう美しくお育ちになられるのを、帝(一条天皇)と中宮(彰子)の御なかに連れて遊ばせ奉っていらっしゃると、帝が仰せになられるには、「やはり、考えてみると、昔は宮中には幼い子を住まわせることはなく、宮たちがこのように可愛らしいのに、五つか七つになって初めて対面するとて大騒ぎしてきたが、今日では、あらゆる事の中で大変堪え難い事であろう。このように、見ても見ても飽かないものを、思いやりながらも遠く離れていることは何と辛いことだ。あの一の宮(定子所生の敦康親王)にずいぶん久しく会っていなかったが、その有様を人づてに聞いて、我ながら常軌を逸しているほど会いたくて仕方がなかった」などと、お気持ちを打ち明けられていらっしゃるのも、まことにご立派であられる。

こうして、正月も過ぎていった。
中宮は、お産のあと、そのまま幾月かあの障りがおありでなかったが、十二月の二十日の頃にほんのしるしばかり御覧になったままで、今年になってもこのように今までそのままなので、やはりお産のあとの名残だろうと思っていらっしゃったが、去年の今頃と同じご気分になられたので、どうしたことかと思われているうちに、おそばに仕えている女房たちも、「またご懐妊なさったに違いない」と、ひそひそお噂申し上げるので、別の女房たちは、「幾らも経たないのに、いつの間にそのような事がおありになろうか」と言う者もあり、またある者は、「そうしたものですよ。また続いて、同じように皇子がお生まれになることは、ええ、そうなりますとも、それはそれは、どんなにすばらしいことでしょう」などと申したり思ったりしている。
殿(道長)も上(倫子)もみなお聞きになって、朗報に気色立っていらっしゃる。

そうこう言い合っているうちに三月にもなると、あきらかにご懐妊のご様子におなりである。殿の御有様は言い表せないほどのお喜びようである。
そのうちにこの事は、自然と世間の噂となる。
長年お仕えしている女御たちは、この噂を聞いて何とも面目ないことだと自覚なさっているに違いない。右大臣(女御元子の父顕光。)や内大臣(女御義子の父公季。)は、「このような事があってよいのか。われらも同じ血筋(藤原北家で、師輔の公季は子、顕光と道長は孫。)ではないか。このような思いのほかのことが起こるのは恥ずべき宿世ゆえなのだ」と思わずにはいられないだろう。
三月の末には、里邸に退出なさろうとなさったが、帝がとんでもないとお止めになられたので、しばらくは宮中で過ごされることになった。

こうしているうちに、殿の三位殿(道長の嫡男頼通。正しくは従二位に叙されていた。)が左衛門督(カミ・長官)におなりになった。
中宮(彰子)の安産の御祈祷は、やはり里邸で行うとて御支度を急がれて、四月十日過ぎに宮中を退出なさった。
帝(一条天皇)におかれてはたいそう心配なさって、この度は若宮(敦成親王)への御恋しさも加わって、お気が休まらず心を乱されていらっしゃる。

さて、中宮は京極殿(キョウゴクドノ・道長の土御門邸の別称。)にご退出なさったので、尚侍の殿(ナイシノカミノトノ・彰子の妹の妍子。この時十六歳。)は、若宮を今か今かと待ちかねていらっしゃって、早速にご対面なさる。その後、御乳母たちはただお乳を差し上げる間だけで、ひたすら尚侍の殿がお抱きになり可愛がられているので、御乳母たちもたいそう嬉しいことと思っていられる。
中宮の安産御祈祷は、前と同様である。すべてにわたってし残されるということはなかった。何一つ不足な点がなかった前回の御有様であったので、前に奉仕した僧たちも、前回と同じように御祈祷するように定められたので、そのままに違うことなく数々のご奉仕申し上げる。
この度は、皇子皇女のいずれであっても、前回ほどの強い希望はないようだが、やはり皇子お二人がお並びになる心強さは格別なので、同じく皇子の御誕生を願われるのであろう。

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中関白家の悲哀 ・ 望月の宴 ( 121 )

2024-09-28 08:22:18 | 望月の宴 ④

     『 中関白家の悲哀 ・ 望月の宴 ( 121 ) 』


彰子中宮に若宮(敦成親王)が誕生なさったことは、道長殿にとっては、まことに待望の慶事でございました。ご出産にあたっての様々な御祈りや、御誕生後の御行事のどれもこれも、先例を見ないほどの豪華にして御心を尽くされたのも当然のことと申されましょう。
しかも、この慶事は、道長殿にとりまして、また彰子中宮にとりましても、さらなる御繁栄への始まりでもありました。


さて、若宮(敦成親王)のまことに際立った美しさは、山の端からさし昇った望月などのようでいらっしゃるのを、帥殿(ソチドノ・故道隆の子、伊周。故定子皇后の兄。)の一門の人々は、胸がつぶれんばかりに大変な事だとお思いになって、人知れず長年御心の内で描いていた事どもも、すっかり当てが外れてしまったように思われ、
「やはり、この世においては、世間から物笑いにされて終る身であったようだ。まことに情けないことだ。思いがけなくすばらしい夢など見て(定子が敦康親王を儲けたこと)からは、これから先は望みをかけたが、『異なることなき人の例の果て見て(格別な事のない人でも、最後まで見て初めて平凡であったかどうか分る・・当時の諺か?)』などと世間では言っているのだから、いくらなんでもと、そのまま精進や斎戒で過ごし、ひたすら仏神をお頼みしてきたが、今となってはこれまでの定めであるらしい」と、御心の内で嘆かれるお気持ちになられ、「あてにもならない事に頼みをかけて世を過ごすのは、たいそう見苦しいことなど出てきて、いよいよ生きがいのない有様に追込まれるに違いない。どうしたものか」などと、御叔父の明順、道順(アキノブ、ミチノブ・高階氏。伊周の母方の叔父。)らに相談なさる。

「たしかに世の有様は、おっしゃる通りです。そうだといって、ほかにどうすることが出来ましょうか。ただ御命だけご無事であるようにと、その事だけをお頼みしていくしかありません」などと、しみじみとしたあれこれを涙ながらに申し上げるので、帥殿も、「こうして、何することなく罪業を積み重ねていくというのも、全くつまらないことであろう。物の因果の道理を知らない身でもないのだから、何事を期待しているのかと思うと、たいそう虚しいことだ。やはり、今となっては出家して、しばらく修行して、せめて後世の安楽を願うことにしようと思うにつけても、一途に発起した道心でもないので、山林に住んで経を読み修行をしても、俗世の事などを忘れてしまえそうもない。そのように様々な俗縁にまつわれながら、念誦や読経を行っても何の甲斐があるのだろうかと思うと、まだ、とても決心がつかないのだ」などと言い続けられる。たいそういたわしいことである。
中納言(伊周の弟、隆家。)、僧都の君(同じく、隆円)なども、世の中に対しては同じ思いではあるが、それほど深くお考えにならず、気軽そうに見受けられる。
この殿(伊周)だけは、万事において世の流れに絶えず心を痛められているご不運なので、いっそうおいたわしいことである。

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