雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

季節の変化

2018-05-24 19:31:54 | 日々これ好日
        『 季節の変化 』

     季節の変化は 様々な感じ方があるが
     わが家の場合 庭の それも通路部分を中心に
     去年の種から好き勝手に育ち 一大勢力を誇っている
     ノースポールの白い花が 黄色味を増し ぼつぼつ種を付け始めている
     わが家の庭では これが 大きな季節の変化の一つだ
     入れ替わるように アマリリスがひとつ 真っ赤な花を開いてくれた

                         ☆☆☆  
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さ牡鹿の声

2018-05-24 08:27:50 | 新古今和歌集を楽しむ
     野分せし 小野の草臥 荒れ果てて
                 み山に深き さ牡鹿の声


                            作者 寂蓮法師


( No.439  巻第五 秋歌下 )

            のわきせし おののくさぶし あれはてて
                         みやまにふかき さおしかのこえ


* 作者寂蓮法師(シャクレンホウシ)は新古今和歌集を代表する歌人の一人である。採録されている和歌数は三十五首で、第八位に位置する。
(1139?-1202)享年六十余歳とされる。

* 歌意は、「 野分がやってきて 野にある草の寝床は 荒れてしまったことだろう。 山の奥深くから 牡鹿の声が聞こえてくる。 」といった感じであろうか。おそらく、野分で寝床を失ってしまい、散り散りになってしまった妻鹿を捜す牡鹿の声を詠んだのではないだろうか。
なお、小野の「小」、さ牡鹿の「さ」は、どちらも美称の接頭語。野分は、台風シーズンの頃に吹く嵐を指す。

* 寂蓮法師の和歌は、百人一首に選ばれていることもあって、私たちにもなじみ深い歌人といえよう。
父は醍醐寺の阿闍梨・俊海。十二歳の頃に叔父である藤原俊成の養子となる。俗名は藤原定長である。貴族の若君として育ち、従五位上・中務少輔に至る。おそらく、俊成の養子として迎え入れられた時点では、やがては家督を継ぐ含みであったと考えられるが、十年ほど経った頃に、俊成に男子が誕生した。後の定家である。
そのこともあって、定家に家督を譲るべく、三十代で出家し歌道に精進することになる。義父である俊成や義弟となる定家とは良好な関係が続いていたようで、御子左家の中心歌人の一人として活躍した。

新古今和歌集の編纂にあたっては、後鳥羽院は和歌所の寄人のうち六人を選者に選んで院宣を下した。源通具・藤原有家・藤原定家・藤原家隆・藤原雅経・そして寂蓮の六人である。当時、僧籍にある著名な歌人は少なくなかったが、ただ一人寂蓮が選ばれたのには、歌人としての実績もさることながら、貴族社会と近しい関係にあったためのように推定される。
ただ、残念ながら、寂蓮は選ばれた翌年に死去しており、選者としてはほとんど参画していないと思われる。

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