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雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

遊行の高僧 ・ 今昔物語 ( 4 - 9 )

2020-02-08 14:33:45 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          遊行の高僧 ・ 今昔物語 ( 4 - 9 )

今は昔、
天竺に陀楼摩和尚(ダルマワジョウ・諸説あるが、いわゆるダルマさんらしい。)と申す聖人がいらっしゃった。この人は、五天竺(ゴテンジク・・ガンジス川中流域を中心に古代インドを中・東・西・南・北の五地域に分けた呼称で、全インドの称。)を隈なく遊行して、諸々の比丘(ビク・僧)の行状をよく観察して世間に伝えた人である。

ある寺があった。その寺に入って比丘の様子などを窺っていると、寺には大勢の比丘が生活していた。
ある僧房には仏前に花香(カコウ・花と香)を奉り、ある僧房には経典を読誦する比丘がいた。様々に尊く行われていること限りなかった。
ただ、その中に、人が住んでいる気配が無い僧坊が一つあった。草は生え放題で塵も積もっている。奥の方まで入ってみると、八十ばかりの老比丘が二人いて碁を打っていた。見てみると、仏壇もなく経典なども見えない。ただ、碁を打つこと以外には何もしない者だと思って、僧房を出た。
そこで、一人の比丘にあったので、「この先のある僧房に入ったところ、老比丘が二人いて、碁を打つことより外に何もしていない僧房のようでした」と話すと、その比丘は、「古老二人は、若い頃より碁を打つこと以外に何もすることがなく、仏法の所在さえ知らないのです。されば、この寺の大勢の比丘も嘆かわしく思って、仲間付き合いもしておりません。それでも、何もしなくとも僧供(ソウグ・僧への供え物)だけは受け取って食べ、碁を打つこと以外何もしないで長年過ごしております。まるで、外道(ゲドウ・仏教側から見た異教徒)のようです。決してお近づきになってはいけません」と言う。

陀楼摩和尚は、「どうも、この二人は子細ある者ではないだろうか」と思って、引き返して碁を打っている僧房に入った。
二人の古老が碁を打っている傍に座って見てみると、一勝負打ち終わろと、一人の古老は立ち上がり、もう一人の古老は座ったままである。しばらくすると、座っている古老は突然掻き消すように姿を消した。
怪しいと思っていると、二人そろって姿を現した。すると、また姿を消した。そして、しばらくすると姿を現した。このようにするのを見て不思議に思った。
「この寺の大勢の比丘は、碁を打つ以外に何もしていないとさげすみ汚らわしいと遠ざけたのは、とんでもない間違いだ。まことに尊い聖人たちでいらっしゃるのだ。ぜひ、お二人にそのわけを聞こう」と思って、陀楼摩和尚は二人の古老に尋ねた。
「これはどういうことでしょうか。碁を打つことのみを日課として長年過ごされていると聞きましたが、よく拝見させていただきますと、証果の人(ショウカノヒト・最高の修業階位である阿羅漢果を修得している聖人。)であられるのでしょう。そのわけをお教えください」と。

二人の古老は答えて、「我らは長年碁を打つこと以外は何もしていない。ただ、黒が勝つ時には我が身の煩悩が勝り、白が勝つ時には我が心の菩薩が勝り、煩悩の黒を打ち従えて菩薩の白が勝ったと思う。これに付いて我が無常(この世の一切の存在が生滅変化して常住しないこと。)を観ずれば(沈思瞑想して観察する、といった意。)、その功徳はたちまち顕れて、証果の身となったのです」と言うのを聞いて、涙が雨の如く落ちて深く感動した。
さらに和尚は、「このような徳行を長年隠されていて、少しも人に知らせず、寺の中の人にも無用で無慙(ムザン・戒律を守らないことを恥じないこと)な者と思わせていられたのは尊いことでございます」と言って、繰り返し礼拝して僧房を出た。
そして、他の比丘に出会うと、二人の古老の事を話すと、大勢の比丘たちはこれを聞いて尊ぶこと限りなかった。比丘たちは、我らは愚かにして、長年、証果の羅漢と知らずにあなどり軽んじてきたことを悔い悲しんだ。

陀楼摩和尚はその寺を離れ、山の麓にある人里に行き、その夜はそこに泊まった。夜になって、何か叫ぶ声が聞こえた。聞いていると、「大勢の強盗が入ってきて、私を殺そうとしている。長年かかって貯めてきた財(タカラ)をみな奪おうとしている。村の人、私を助けてくれ」と、大きな声で叫んでいるようだ。
村の人はこれを聞いて、手に手に松明を灯して集まってきて、「あの声はどこからか」と言うと、ある人が、「東の林の中にいらっしゃる聖人の方向から声が聞こえている。その方向を捜そう」と言うので、村の人たちは、それぞれ手に弓矢を持って、松明を掲げて騒ぎながら行く。聖人が殺されたというので、「どうした事だ」と心惹かれて、和尚もついて行って見ると、林の中に大笠(オオガサ・貴人などに後ろから差し掛ける長柄の大きな傘。)ほどの草の庵がある。柴を編んだ戸を引き開けてみると、その中に八十歳ほどの比丘が座っていた。ぼろ布を綴り合せた袈裟だけで他に着ている物はない。前には脇息の他に何もない。盗人が取るような物は露ほどもない。また、盗人も一人も見えない。人々がやって来たのを見て、この聖人は激しく泣いた。

駆けつけた人々が訊ねた。「聖人の御庵の中には盗人が取るような物は見当たりません。どういうわけで、大きな声で叫ばれたのですか」と。聖人は答えた。「どうしてそのようなことを聞かれるのか。長年、庵の中に少しも忍び込んで来なかった睡眠と言う盗人が、この暁近くになった頃に入ってきて、倉に貯えていた七聖財(シチショウザイ・悟りを得るために必要な七種の行を財宝に見立てたもの。)の宝を奪い取ろうとしたので、取られまいとして組み合って叫び声をあげたのです。(一部欠字あり、推定した)」と言って、激しく泣いた。
陀楼摩和尚は、「誰もがぐっすりと眠るのに、この聖人は長年眠らなかったが、たまたま眠ってしまったのでこのように大騒ぎしたのだろう」と思って、法友として深い友誼を結んで帰っていった。村の人たちも皆帰った。

また、和尚は、他の里に行ってみると、林の中に一人の比丘がいた。
座っているな、と見ると立ち上がった。立っているな、と見ると走り出した。走っている、と見ると回っている。回っている、と見ると臥している。臥している、と見ると立ち上がる。東に向かい、また南に向かう。また西に向かう。また北に向かう。笑っていると見ると怒っている。怒っていると見ると泣いている。気が狂っている者だろうと思って、和尚は近寄って、「あなたは何をしているのですか」と訊ねると、この狂ったような比丘は、「人あり。天上に生まれたと思うと人に生まれる。人に生まれたと思うと地獄に堕ちる。地獄に堕ちたと思うと餓鬼道に堕ちる。餓鬼道に堕ちたと思うと修羅(シュラ・阿修羅に同じ。修羅道に住む鬼神の一種。)となる。修羅になったと思うと畜生道に堕ちて走り回る。およそ、三界(サンガイ・・欲界・色界・無色界の三境界。いまだ悟りを得ず、一切の衆生が生死の輪廻を繰り返して安住を得ない世界。)の静かでないことは、我が振る舞いの如し。心ある人(物の道理をわきまえているような人)は、この見苦しい振る舞いを見て、三界の平静でないことを知って欲しいと思って、このように長年にわたって廻り狂っているのです」と言った。これを聞いて和尚は、この人は並々の人ではないと思って、礼拝して去っていった。

およそこの和尚は、このように遊行して、尊い僧の有様をご覧になられた、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


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人を侮ってはならない ・ 今昔物語 ( 4 - 10 )

2020-02-08 14:32:08 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          人を侮ってはならない ・ 今昔物語 ( 4 - 10 )

今は昔、
中天竺に一人の比丘がいた。名を僧沢(ソウタク)と言う。生まれつき怠け者で、愚かであった。比丘の資格を得てはいるが、僧として成すべき修行を何一つ実践することがなかった。
経・真言を学ぶこともなく、長年の間、一つの寺に住んでひたすら人の施しを受けて、成すこともなく毎日毎夜罪を作っていた。罪を犯しても恥じることなく、後世の事を思うこともなかった。
されば、同じ寺に住む比丘たちは、この僧沢を軽んじ馬鹿にして、同座することもなく、ともすれば寺から追い出そうとした。

ところが、この僧沢、ほんの少しばかり知恵があって、我が身の中におわします仏の三身(サンジン・三種の仏身)の功徳の相を心にとどめて、忘れることなく昼夜常に思う。このように観じ(観想念仏を実践すること。)続けているうちに、その功徳が自然に顕れて、心の内に常に法性(ホッショウ・絶対唯一の真理)を観じて、全く外の事は心に抱かなかった。このようにして長い年月を積むうちに、年老いて病を受けて臥してしまった。
寺の内の上下の比丘は、ますますこの比丘を汚がり非難すること限りなかった。

臨終に臨んで、多くの仏や菩薩が僧沢の所に来られて、法を説き、僧沢を教化し給う。僧沢は仏や菩薩の教えに心を任せているうちに、顔色が美しくなり、起き上がって居ずまいを正して仏を念じ奉り、法性を観じて絶命した。そして、そのまま兜率天(トソツテン・弥勒菩薩が住んでいる天界。)の内院に生まれ変わった。
その間、光を放ち、香ばしい香りが寺の内に満ちた。寺の内の諸々の比丘は、この様子を見て僧沢の所に行って見ると、僧沢の顔色は美しく、端座合掌して息絶えていた。室内は香ばしい香りに満ちて光を放っていた。比丘らはこれを見て驚き尊んで、長年軽んじ軽蔑してきたことを悔い悲しむこと限りなかった。
その後は、この僧沢の所業を尋ね聞いて見習った。

されば、精進せず、戒律を破っても恥じることのないような比丘でも、子細があると思って、侮ってはならない、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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五百匹の蝙蝠 ・ 今昔物語 ( 4 - 11 )

2020-02-08 13:08:01 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          五百匹の蝙蝠 ・ 今昔物語 ( 1 - 11 )


今は昔、
天竺に羅漢の比丘(ラカンノビク・古代仏教の修業過程の最高位である阿羅漢果を修得した僧。)がいた。
教化の旅に出たが、途上で一人の山人(ヤマビト・山の住人。ここでは仙人を指すか?)に出会った。山人は一人の幼童を連れていたが、笞(シモト。木の枝で作ったムチ。)でもってその幼童を打って泣かせていた。
羅漢はこれを見て山人に訊ねた。「お前は、どういうわけでこの幼童を打って泣かせているのか。それに、この幼童はお前の何に当たるのか」と。
山人は、「これは私の子です。ところが、声明論(古代インドの語学書の総称。(欠字・誤記がある))という書を教えているが、よく読み取ることが出来ないので、ムチで打って教えているのです」と答えた。

それを聞いて羅漢が笑ったので、山人は、「なぜ笑うのです」と尋ねると、羅漢は「お前は、前世の因縁を知らないで子供を打っているのだ。この教えている書は、この稚児が過去世で山人であった時に作った書なのである。しかし、このような書を作り世に広めたので、当時は優れた人物とされたが、後の世では少しも役に立つことがなかったので、このように愚痴(グチ・正しい道理を理解しないこと。)の身に生まれ変わって、前世のことを知らず、自分が作った書を読み取ることもできないのである。その一方、仏法に関することは、その時は大した事でもないようであっても、後の世においては、過去世のことが目の前で見るかのように理解でき、来世のことがあらかじめ知ることが出来るので、必ず仏法を学ぶべきなのである。
さらに、お前に前世の因縁について話してやろう。よく聞いて覚えておくがよい。
その昔、南海の浜辺を旅人たちが大勢連れ立って歩いていたが、その浜辺に枯れた大きな樹が一本立っていた。旅人たちは、風の寒さに堪えかねて、この樹の下で泊まることにした。火を焚いて、全員が並んで座って夜を明かした。
ところで、この樹のうつろの上方に五百匹のコウモリが住んでいたが、この焚火の煙にいぶされて皆逃げ去ってしまったと思われたが、明け方になった頃、旅人たちの一人が阿毘達磨(アビダルマ・経律を解説注釈した論書の総称。)という法門(法文)を読んだ。すると、このコウモリたちは煙にいぶされて堪え難い中を、この法門を誦するのを聞く尊さに、耐え忍んで、皆が樹のうつろに取り付いていた。焚火の勢いは強く、高く燃え上がったので、それにあぶられて皆死んでしまった。
死して後、この法門を聞いたが故にコウモリたちは皆人間界に生まれ変わった。全員が出家して比丘となった。そして、法門を悟って羅漢となった。その羅漢の中の一人は、私である。それゆえ、仏法に従っているのである。その稚児も、出家させて法門を学ばせなさい」と教えた。

山人にも「仏法に従うべきだ」と言うと、稚児を出家させ、山人も仏法に帰依した。そこで、羅漢は掻き消すように姿を隠した。
山人は、たいそう驚き、そして尊く思い、いよいよ仏法を深く信じるようになった。
この出来事は、仏が涅槃に入られてから百余年ばかり後のことである、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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仏道広がる ・ 今昔物語 ( 4 - 12 )

2020-02-08 13:07:31 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          仏道広がる ・ 今昔物語 ( 4 - 12 )

今は昔、
天竺に一つの小国があった。その国は、昔からの神(仏教から見ての異教神)のみを信じて、仏法を信仰していなかった。
ある時、その国の王に一人の皇子がいたが、他には子供がいなかった。そのため、国王はこの皇子を宝玉のように大切にしていた。
ところが、この太子が十歳になった頃、重い病にかかった。医薬による治療を施すも治癒することはなく、陰陽道をもって祈祷するも験(シルシ)がなかった。このため、父である国王は、昼夜嘆き悲しんで年月を過ごしたが、いよいよ太子の病は重くなり、治癒することがなかった。

国王は、この状況を思い悩んでいた。そこで、この国に古くから崇められ祭られている神があったので、国王はそこに詣でて、自ら祈請した。諸々の財宝を運び込んで山と成し、馬・牛・羊などを谷に満ちるほどいけにえとして供えて、「太子の病を癒し給え」と誓願した。
宮司・巫(カンナギ・巫女。本話では男の巫を指している。)は、供え物をほしいままに取り、たっぷりと私腹を肥やした。国王の祈請に対して、これという手立てもないままに、一人の神主が、御神が乗り移った様子で、「御子の御病は、国王がご帰還なされるとともに平癒なさるでしょう。国を平安に治められ、民を安らかに、世を平安に、天下・国内共に喜びましょう」と告げた。
国王はこれを聞いて、喜ぶこと限りなかった。感動のあまり、佩いていた太刀を外して神主に与え、さらに多くの財宝を与えられた。

このようにして誓願が終わり、宮殿に帰還される途中で、一人の比丘にお会いになった。国王は比丘を見て、「彼は何者か。姿は普通の人と違い、衣も普通の人と違っている」と尋ねられた。付き従っている一人が、「彼は沙門(シャモン・ここでは仏教の修行者)と申します。仏(釈迦)の御弟子です。頭を剃っているのです」とお答えした。
国王は、「されば、あの人はきっと物知りなのであろう」と申されて、輿を止めて、「あの沙門を、ここへお呼びせよ」と申された。お召しにより、沙門はやって来て輿の前に立った。
国王は沙門に、「私には一人の太子がいる。ここ数か月病にかかり、医薬の力も及ばず、祈りの験もない。この先の生死のほどさえ分からない。この事をどう思うか」と尋ねられた。沙門は、「御子は、きっとお亡くなりになります。お助けするには、私の力では及びません。それは、国王の御霊の為せることだからです。宮殿にご帰還されるのを待たずして、御子はお亡くなりになるでしょう」とお答えした。

国王は、「二人の言うことは全く違う。誰が言うことが真なのか」と分からなくなった。「神主は、『病は癒える。寿命は百歳を超える』と言ったものを、この沙門はこのように言う。どちらを信じればよいのか」と仰せられると、沙門は、「一時の御心を慰め奉るために勝手なことを言ったものです。世俗の無分別な人が言うようなことを、どうして拘って迷ったりするのですか」と断言した。

国王は宮殿に帰還するや急いでお尋ねになると、「昨日、太子はすでにお亡くなりになりました」と申し上げると、国王は、「決してこの事を人に知らせてはならない」と仰せになり、神懸かりした神主を召し出すよう使者を遣わした。
二日ばかりして神主は到着した。国王は、「我が皇子の病は、いまだ平癒しない。どうなっているのか、不審に思って召し出したのだ」と言った。神主は、また神懸かりして言った。「何ゆえ我を疑うのか。『一切衆生(イッサイシュジョウ・生きとし生けるものすべて。)をいたわり哀れんで、願主の願いに背くことはない』と誓うことは父母のごとくである。いわんや、国王が熱心に願われることをおろそかにすることはない。我(神主に乗り移っている神。)は虚言はなさない。もし虚言を申せば、我をあがめることはなく、我が乗り移っている神主を敬う必要もない」と。
このように口に任せて言い放った。

国王は、よくよく聞いた後、神主を捕らえて仰せられた。「お前たちは、長年人を欺き、世を謀って、人の財宝を勝手気ままに取り、偽物の神を乗り移させて、国王から民衆まで心を惑わせて、人の物をだまし取ってきた。これは大盗人である。速やかにその首を切り、命を断つべきだ」と。そして、目の前で神主の首を切らせた。さらに、軍兵を遣わして、その神の社を壊し、( 欠字あり。河の名前が入るが不詳。)河という大河に流した。その宮司の上から下まで多くの人の首を切り捨てた。長年人々からだまし取ってきた千万の貯えは全部没収した。

その後、あの沙門を招くようにとの仰せがあり、沙門は参内した。国王は自ら出向いて、宮殿内に招き入れ、一段高い座に座らせて礼拝した。そして、「私は長年あの神主共にたぶらかされて、仏法を知らず、比丘を敬うことがなかった。されば、今日から先は、愚かな言葉を信じまい」と仰せられた。
比丘は、国王のために法を説いて聞かせた。国王をはじめ、これを聞いて尊び礼拝すること限りなかった。すぐさま、その地に寺を造り、この比丘を住まわせた。さらに、多くの比丘を呼び寄せて、常に飲食を提供し仏事を行った。

ただ、その寺に不思議なことが一つあった。
仏像の上に天蓋があり、宝玉で美しく飾られていた。その天井に懸かっているとても大きな天蓋は、人が寺に入って仏像の周りを廻ると、人に従って天蓋も回った。人が廻るのを止めると、天蓋も止まった。その事は、今に至るも世の人々には理由が分からない。
「仏の御不思議の力であろうか、あるいは、工匠の優れた仕掛けの為せるものなのか」と人々は言い合った。
そして、その国王の時から、その国に巫(カンナギ・神懸かりして神託を伝えることを職業とする者全体を指しているようだ。)は絶えてしまった、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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竜王を導く ・ 今昔物語 ( 4 - 13 )

2020-02-08 13:06:29 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          竜王を導く ・ 今昔物語 ( 4 - 13 )

今は昔、
天竺の人は、旅をする時は必ず比丘(ビク・僧)を連れていた。守護の力があったからである。
昔、一人の男がいた。商いのために船で海に乗り出した。ところが、にわかに暴風が吹き出し、船を海の底に巻き込んだ。その時、その船の舵取り(船頭)が船の下を見ると、一人の優婆塞(ウバソク・在家の仏教信者。)がいた。舵取りが、「お前はいったい何者だ」と訊ねると、優婆塞は「我は竜王である。お前の船を海の底に巻き入れようとしているのだ」と答えた。
舵取りは、「どういうわけがあって、お前は我らを殺そうとするのか」と言うと、竜王は「お前の船に同乗している比丘は、前世で我が人間であった時、我が家にいた比丘である。朝に夕に我が供養(飲食などの提供)を受けて何年も過ごしていたが、我を叱責することなく罪業を犯させたので、それが悪因となって、今は蛇道(ジャドウ・竜蛇の身を受ける境遇。)に堕ちて、一日に三度、剣で身を切られている。この苦しみは、あの比丘のためである。その事をいまいましく思い、あの比丘を殺そうと思ったのだ」と言った。

舵取りは、「お前は蛇身となり三熱の苦(竜蛇が受けるとされる三種の苦で、①熱風熱砂で身を焼かれる苦、②暴風により住居や財産を失う苦、③金翅鳥の餌食にされる苦、を指す。)を受け、連日に刀剣で切られる苦を与えられたことは、これはすべて、前世の悪業が造ったものである。しかるに、愚かなことに、多くの人を殺害してさらに悪因を重ねようとするのか」と言った。
竜王は、「我が昔を思いやれば、前後(因果と応報の関係を指す。)のことを知らなかった。物の道理を説き教えられず、罪を造り、悪業により苦を受けていることは極めて情けない。それゆえ、殺そうと思うのだ」と言った。
舵取りは、「お前は、一日一夜、ここに留まりなさい。法を聞かせて、お前を蛇道から逃れさせてやろう」と言った。
その言葉に従って、竜王は一日一夜その所に留まり、比丘は経を誦して竜王に聞かせた。竜王は経を聞いて、たちまちのうちに蛇身を離れて天上に生まれ変わったという。

されば、「もっぱら善根を積むべし」と親しい人には教えるべきである、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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衣が燃える ・ 今昔物語 ( 4 - 14 )

2020-02-08 13:04:17 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          衣が燃える ・ 今昔物語 ( 4 - 14 )

今は昔、
天竺の国王、多くの人を率いて山に入って狩をなさったが、あちらこちらと歩きまわりたいそうお疲れになったが、ちょうど山の中に大きな樹木が見えた。その根元には、金の座席を構えて、その上に裸の女が座っていた。
国王は怪しく思い、近くに寄って、「そなたは、どのような素性の者で、なぜそのような格好でいるのか」とお尋ねになると、女は「わたしは、手から甘露(カンロ・蜜のような甘い液という意味であるが、古代インドの神々の飲料、あるいは、仏教では兜率天の不死の霊液とされる。)を降らすことが出来ます」と言った。
国王は、「しからば、すぐに降らせてみよ」と仰せられた。すると女は、手を差し伸べて甘露を降らして、国王に奉った。国王は、たいそう疲れた状態であったが、この甘露を飲むと、疲れた心がおさまり爽快な気分になった。

その後、この女が裸なので、国王は自分の衣を一枚脱いで与えたが、衣の内より出火して燃えてしまった。
「これは、何かのはずみで起きたのか」と思って、また脱いで与えたが、また同じように燃えてしまった。三度与えたが、三度とも燃えてしまって着ることが出来ない。
そこで、国王は驚き怪しんで、女に訊ねた。「お前は、どういうわけでこのように燃えてしまって、衣を着ないのか」と。
女は答えた。「わたしは、前世において人間でありました時、国王の后でした。国王はすばらしい飲食物を用意して、沙門(シャモン・僧)に供養なさいました。また、衣も添えて供養なさいましたが、わたしは后として、僧たちに食べ物を供養しましたが、衣は国王に申し上げて、供養させませんでした。その果報(カホウ・前世の業からもたされるもので、良い物も悪い物もある。)により、今、手から甘露を降らすことが出来るようになり、同時に、身に衣を着ることが出来ない報いを受けております」と。

国王はこれを哀れんで、「その衣を着ることが出来ない報いは、どうすれば移し変えることが出来るのか」と訊ねられると、女は「沙門に衣を供養し奉り、ひたすらわたしのためにと仏に念じてくださいませ」と答えた。
そこで、国王は宮殿に帰ると、すぐさますばらしい衣を準備して、沙門を招いて供養しようとされたが、その当時、国内に沙門は絶えてしまっていたので、供養することが出来なかった。
国王は思い悩んで、五戒(ゴカイ・在家信者が日常生活で守るべき五つの戒め。)を保っている優婆塞(ウバソク・在家の男の仏教信者)を招いて、この事を語り聞かせて、「この由を呪願(シュガン・真言などの呪文を唱えて仏の加護を願うこと。)して、この供養をお受け頂くように」と命じて、すばらしい衣を供養した。その戒を保っている優婆塞は、国王の仰せの通りに衣を捧げ持って、その由を呪願して衣を賜った。
それから、国王はあの女の所に行って、衣を与えて着せると、報いは消え去っていて、衣を着るのに何の支障もなかった。

されば、夫婦の間において、一人が沙門を供養する時には、心を一つにして、止めるようなことがあってはならない、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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髪を売る ・ 今昔物語 ( 4 - 15 )

2020-02-08 13:03:24 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          髪を売る ・ 今昔物語 ( 4 - 15 )

今は昔、
天竺の舎衛国(シャエコク・古代インドの十六大国の一つ。)に一人の翁がいた。歳八十にしてたいそう貧しかった。
そのため、その国の人に物乞いして生活していた。また、妻も一緒であった。その妻は、髪が長くて、これに並ぶ者はいなかった。世間の人は、この女を見てその髪のすばらしさを愛でた。
「この女の髪を、美女に付けたいものだ」と人々が言うので、かえってこの女は、「髪のおかげで、いつも恥ずかしい目に合う」と言っていた。

このように長年暮してきたが、ある時、夫婦並んで横になり話し合った。
「私たちは、前世においてどのような悪業を行って、今生において貧しい身に生まれたのか。これは、前世において善業を積まなかったからだ。今の世においても、また、少しの善業も積むことがなければ、来世もまた今のようであるに違いない。私たちは、たとえ少しであれ善業を積まねばならない」と思い嘆くも、塵ほどの貯えもなく、何一つ適当な方法が思いつかない。
すると妻が、「わたしは髪が長いが、全く何の役にも立たない。されば、この髪を切って売り、そのお金で少しでも善根を積んで、後世のための貯えにしましょう」と言った。
夫は、「お前の今生での財産は、ただその髪だけではないか。その髪だけが、身を飾っているではないか。どうして『切る』などと言うのか」と言った。妻は、「お前さま、この身は無常の身(常住することなく、いずれ必ず死を迎える身。)でございます。たとえ寿命が百歳あるとしても、死んだ後に髪を持っていても何の役に立ちましょう。今生は、今のままで終わってしまうでしょう。後生を思いますと怖ろしい限りです」と言うと、髪を切ってしまった。

その髪を米一斗で売って、すぐに飯に炊いて、工夫を凝らしておかずを二、三種ばかり添えて、祇園精舎に持って行き、長老の比丘の僧房に行って申し上げた。「ここに、飯二斗(一斗の米を炊いて二斗の飯にした、という意味らしい。)を持って参りました。僧供(ソウグ・僧に供養する飲食物。)として奉ります」と。
長老の比丘は驚き怪しんで、「これはどういう飯なのか」と訊ねた。女は、「わたしの髪を切って売り、飯二斗と粗末なおかず二、三種にして、僧房の御弟子に供養し奉ります」と答えた。
長老は、「この寺は本来このような僧供を贈る時には、一房だけのこととして処理することは今までない。その時には、鐘を撞いて、衆僧の鉢を集めて一合ずつでも皆に振る舞いなさい。私はこの事に関与しない」と言って、鐘を撞いて三千人の鉢を集めた。

すると、翁夫妻は大変驚き騒いで、「私たちは、この供養のために、大勢の僧に捕らえられてもみくちゃにされようとしている。これはどういうことでしょうか」と言うと、長老は、「何も知らぬ」と言う。
そこで、翁は妻に言った。「私に良い考えがある。ただ一人の僧の鉢に、この飯をみな投げ入れて、それで逃げ出そう」と。そして、一番近くの僧の鉢に飯をみな投げ入れてみると、桶には飯が同じように残っている。さては、飯はあの鉢には入らなかったのかと思って鉢を見ると、鉢には飯が入っていて僧は去っていった。桶にも飯は入っている。
変だと思いながら、また他の僧の鉢に入れたが、やはり飯は桶にも入っている。このように、次々と鉢に入れて行き、集まってきた三千余人の僧に供養し終わった。

翁夫妻は不思議なことだと思いながらも、喜んで帰ろうとしたが、ちょうどその時、他国の商人が暴風に吹き寄せられて上陸し、祇園精舎の近くに来ていた。食糧が無くなり、皆飢え疲れ、その場所に来て、「祇園精舎で今日大僧供があると聞きました。我らは飢え疲れてどうすることもできない。どうぞ命を助けてください」と言って、飯を乞うた。飯はなお残っていたので与えた。
商人たちは、飯を施されて食べ終わって言った。「この僧供を与えてくださった優婆塞(ウバソク・在家の仏教信者。)は下賤の人のようです。我らはこの僧供を受けて食べたおかげで、命が助けられました。その御恩に報いなければ、大変罪深いことになります」と。そして、各人が持っている金(コガネ)を三つに分けて、その一つをこの翁に与えた。ある者は五十両、ある者は百両、ある者は千両、それぞれその一つを分け与えた。その金はどれほどになったのだろう。
翁は金を得て、家に帰り長者となった。世間には並ぶ者とてないほどであった。名前を髪起(ハツキ/カミオキ ?)長者という、
となむ語り伝へたるとや。

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半身の仏 ・ 今昔物語 ( 4 - 16 )

2020-02-08 13:02:27 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          半身の仏 ・ 今昔物語 ( 4 - 16 )

今は昔、
天竺に乾陀羅国(カンダラコク・いわゆるガンダーラ地方にあった国。)に大王がいた。波斯利迦(ハシリカ・カニシカ王と同人物か?)王という。その王は、七重の宝塔を建てた。その東方一里の所に、半身の仏の絵像がおわします。
「どういうわけがあって半身でおわしますのか」と尋ねると、昔、その国に一人の貧しい女がいた。仏道に帰依する心を起こして、「仏像を描き奉ろう」と思って、仏師のもとに行って相談し、仏像を描かせた。
その側に一人の女がいて、「わたしも仏像を描き奉ろう」と思って、同じ仏師のもとに行って相談して、仏像を描かせた。この二人の女は、共に貧しくて、その画料は極めて少なかった。
これによって、仏師は丈六(ジョウロク・一丈六尺。普通は約8.4mであるが中国尺ではその3/4ほど。人間の身長の2倍とも。)の絵像を一枚描き上げた。

数日して、最初の女が「わたしの仏を拝み奉ろう」と思って、仏師のもとに行き、「仏を拝ませてください」と言う。仏師が絵像を取り出して見せていると、もう一人の女が「わたしの仏の御許に参って拝み奉ろう」と思ってきたところで二人は出くわした。
「仏は出来ておりますでしょうか」と後から来た女が尋ねると、仏師は同じ絵像を「これがあなたの仏です」と言った。
すると、最初の女は、「どういうことですか。『わたしの仏』というものは、他の人の絵像だったのですか」と言うと、後から来た女も「この絵像は、さてはわたしの仏ではないのですね」と言う。
二人の女は、共に当惑して、仏師と言い争った。

その時仏師は、二人の女に言った。「画料が少ないので、丹(ニ・赤い絵の具)も金もほんの少ししか用意できない。仏は、その容姿の一部分でも欠ければ、仏師も施主も共に地獄に堕ちるといいます。あなた方の画料があまりにも少ないので、一体の仏を描き奉ったのです。絵像は一仏におわしますが、ご利益は二体の場合と同じです。あなたたち、心を一つにして供養し奉りなさい」と。
しかし、二人の女は、仏師に文句を言い続けた。
そこで仏師は、仏前に詣でて、啓(ケイ・もとは中国の打楽器で、それが仏用に転用されたもの。多くは銅製で、それを打ち鳴らして勤行する。)を打ち鳴らして仏に申し上げた。「そもそも二人の女施主の画料が足らないためで、私はほんの少しもかすめ取ってはおりません。そこで、二人の画料で一仏を描きましたが、二人の女はそれぞれに私を責めます。話し合って説得しましたが、その心はおさまりません。されば世尊(セソン・釈迦の尊称)、この由を明らかにしてください。私自身は決して罪を犯しておりません」と。
すると、その日のうちに、仏像(絵像)は御腰より上がたちまちのうちに分かれて、半身になられた。御胸より下(前記とは理屈が合わないが、胸の所で二分という文献もあるらしい。)は、もとのままの姿である。

仏師は心清く、少しも私腹を肥やすようなことはなかったので、事情を申し上げると、仏は二つに別れられたのである。その時、二人の女は、仏の霊験のあらたかなのを見奉って、ますます誠を尽くして、供養恭敬し奉った、
となむ語り伝へたるとや。

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宝玉を盗む ・ 今昔物語 ( 4 - 17 )

2020-02-08 13:01:20 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          宝玉を盗む ・ 今昔物語 ( 4 - 17 )

今は昔、
天竺の僧迦羅国(ソウガラコク・現在のスリランカ)に一つの小さな寺院があった。その寺に等身の仏(仏像)がおわします。
この寺は、この国の前の国王の御立願によって建立したものである。仏の御頭には、眉間に宝玉を入れている。この宝玉は、世に並ぶものとてない宝である。その価格は計り知れない。

ある時のこと、貧しい男がいたが、「この仏像の眉間の玉はすばらしい宝物だ。もし自分があの宝玉を盗んで、欲しい人に売れば、子々孫々まで家は栄え、豊かで貧しい思いなどすることがないだろう」と思った。
ところが、この寺に夜中に忍び込むとすると、東西の門は閉じられていて、その門番に油断がなく、出入りする人には姓名を確認し、行き先を確かめるので、まったく手の打ちようがない。そうとはいえ、工夫を凝らして、門戸の下の部分を穴をあけて打ち壊して、密かに忍び込んだ。そして、仏像に近寄って御頭の宝玉を取ろうとしたところ、この仏像は、次第に背が高くなっていって手が届かない。盗人は高い踏み台に乗って取ろうとしたが、仏像はますます高くなり、とても届かない。

そこで盗人は、「この仏像はもともと等身の姿であった。それが、このように高くなったのは宝玉を惜しんでのことだ」と思って、踏み台から下りて、合掌頂礼(ガッショウチョウライ・両手を胸の前で合わせ、地にぬかずいて礼拝すること。)して仏に申し上げた。「仏がこの世に現れて、菩薩道を行ってくださいますのは、我ら衆生の苦しみをお救い下さるためでしょう。伝え聞けば、人を救うためには、自身は贅沢をすることなく、命さえお捨てになられる。世間で言われているように、一羽の鳩のために身を棄て(尸毘王が鳩を助けるために我が身の肉を鷹に与えた、と言う故事。)、七頭の虎に命を与え(飢えた母虎と七頭の子虎に我が身を与えた、という薩埵王子の故事。)、眼をえぐり婆羅門に施し(快目王が盲目の婆羅門に両眼を与えたという故事。)、血を出して婆羅門に飲ました(幾つも故事があるらしい。)、等ととても考えられないような施しをなさいました。ましてや、この宝玉を惜しまれるようなことはございませんでしょう。貧しい者を救い、下賤の者を助けられるということは、まさにこの宝玉を与えられることでございます。簡単なことでは仏の眉間の宝玉を取り下ろすことは出来ません。宝玉を得られなければ、心ならずも生きながらえて、世間を恨み嘆いて数限りない罪を犯すことでしょう。どうして高くおなりなって、頭の宝玉を惜しまれるのですか。とても裏切られた気持ちです」と泣きながら申し上げると、高くなっていた仏像は、心持ち頭を垂れて盗人が届くばかりになった。

そこで盗人は、「仏は、私の申し上げることをお聞きとどけになって、宝玉を取れと思われたのだ」と思って、近寄って眉間の宝玉を取り出した。
夜が明けると、寺の比丘(僧)たちはこれを見て、「仏の眉間の宝玉は、どうして無くなったのだ。盗人が取ってしまったのか」と思って捜し回ったが、誰が盗んだのか分からない。
その後、盗人が、この宝玉を市に出して売ろうとしたところ、この宝玉を見知っていた人がいて、「この宝玉は、どこそこの寺におわします仏像の眉間の宝玉で、最近なくなったものだ」と言って、この宝玉を売ろうとしていた者を捕らえて、国王に突き出した。尋問されると盗人は、隠すことなくありのままを白状した。
しかし国王は、この事を信用なさらず、その寺に使者を遣わして確認させた。使者がその寺に行って見てみたところ、仏像は、頭を垂れて立っておられた。使者は帰ってこの旨を申し上げた。
国王は報告を聞いて、心から感動して、盗人を呼び、言い値のままに宝玉を買い取り、もとの寺の仏像に返し奉り、盗人を赦した。

真心をこめて祈念した時の仏の慈悲は、盗人をも哀れに思われるものである。その仏像は、今に至るまでうなだれて立っておられる、
となむ語り伝へたるとや。

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大象も法を聞けば ・ 今昔物語 ( 4 - 18 )

2020-02-08 13:00:15 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          大象も法を聞けば ・ 今昔物語 ( 4 - 18 )

今は昔、
天竺に国王がいた。国内に王法(国王が定めた法令)を犯す不善の輩がいたので、一頭の大象を酔わせて、罪人に向かって放って好き勝手にさせたところ、大象は目を赤くして大口を開けて走りかかり、罪人を踏み殺した。
その為、国内の罪人は一人として生きている者がいなくなった。これにより、この象を国の第一の宝とした。
隣国の敵も、この事を聞いて、決して襲って来なかった。

ある時、象の厩舎が出火して燃えてしまった。厩舎を造るしばらくの間、この象を僧房に繋いでいた。その僧房の責任者である僧は、常に法華経を誦し奉っていたが、ほとんど一晩中、象はこの経を聞いていた。
その翌日、象は極めておとなしくなっていた。そこへ、多くの罪人を連れてきた。この象を酔わせて、以前と同じように罪人に向けて放すと、象は罪人に這い寄って、その踵を舐って、まったく一人も殺傷しない。それを見て、大王は大変驚き怪しんで、象に向かって言った。「我が頼みとしているのはお前である。お前のおかげで国内に罪人少なく、隣国の敵たちも襲って来ない。もしお前がこのような状態であれば、何を以って罪人たちに対する頼りにすればよいのか」と。

その時、ある智臣(チシン・知恵のある家臣)が言った。「この象は、昨夜どこに繋いでいたのか。もしや僧房の近くではなかったのか」と尋ねると、居合わせた人が答えた。「その通りです」と。
智臣は、「さればこの象は、昨夜僧坊において比丘が経を誦するのを聞いて、慈悲の心が生まれて人を殺傷しなかったのです。速やかに、場の近くに連れて行って、一夜を経た後、罪人に向かわせるとよいでしょう」と言った。
その教えに従って、大象を場の近くに繋いで、一夜経ってから罪人に向かわせると、歯を噛み鳴らし口を開けて激しく走りかかり、ことごとく踏み殺した。その時、国王は喜ぶこと限りなかった。

これによって分かることは、畜生でさえ法を聞けば悪心を止めて善心を起こすことは、この通りである。いわんや、分別ある人間ならば、法を聞いて尊べば、悪心は必ず止まる、
となむ語り伝へたるとや。

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