鼠の転生 ・ 今昔物語 ( 4 - 19 )
今は昔、
天竺において仏(釈迦)が涅槃に入られた後のこと、ある僧房に比丘(ビク・僧)が住んでいた。常に法華経を誦し奉っていた。
その僧房の天井の上に五百匹(実数ではなく、「多く」を表現する仏典の慣用語。)の老鼠がいて、日々夜々にこの法華経を聞き奉っていた。こうして、数年が過ぎた。
ある時、その所に六十匹の狸(イタチともタヌキとも)がやって来て、あの五百匹の老鼠を皆喰ってしまった。喰われた鼠は、五百匹すべて忉利天(トウリテン・天上の一つで帝釈天の居城がある。)に生まれ変わった。そして、刀利天の寿命(人間界の百年を一昼夜として千年。人間界の三千六百万年にあたる。)が尽きて人間界に生まれ変わった。舎利弗尊者(釈迦の高弟の一人)に出会って阿羅漢果(アラカンカ・原始仏教における最高の修業階位。)を修得して、悪道(地獄・餓鬼・畜生の三道を指す。)に堕ちることなく、弥勒菩薩(ミロクボサツ・如来になることが約束されていて、仏、如来とされることもある。)出世の時に生まれて、弥勒仏の記別(キベツ・仏が弟子や信徒に授ける未来世の果報に関する予言。)を授かって衆生を救済した。
鼠でさえ経を聞き奉るとこのようである。いわんや、人間が誠の心を尽くして法華経を聞き奉って、一心に信仰すれば、仏道を成就し、三悪道に堕ちることがないことは疑うまでもない。
そもそも、外典(ゲテン・内典の対で、仏典以外の典籍。)には、「白き鼠は寿命三百年である。一百歳より身の色は白くなる。その後は、一年のうちの吉凶の事をよく知り、千里の内の善悪(吉凶と同意)の事を悟る。その名を神鼠(ジンソ)と言う」と言われている。
されば、経を聞き奉って悟りを得ることもある、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
法文が夫を救う ・ 今昔物語 ( 4 - 20 )
今は昔、
天竺の片田舎に一人の男がいた。端正美麗(タンジョウビレイ・容姿が整って美しいさまを形容する常套句。)な妻を持っていた。長年夫婦として暮らしていて、深く結ばれていた。
当時、その国の王は、国内じゅうに端正美麗な女性を求めていて、貴賤を問わず、后とするために探し回っていた。すると、ある人が、「どこそこの郷に、美麗なること世に並ぶものとてない女性がいるそうです」と申し上げた。
国王はそれを聞いて喜び、召し出すために使者を遣わそうとしたが、また国王に申し上げた。「その女には、長年連れ添った夫がおります。その夫婦の仲は、百年の契りをするほど睦まじく、離別することなどないでしょう。妻を召し出せば、夫はきっと嘆き悲しむでしょうから、妻を連れて山野に逃げ込むことでしょう。されば、まず夫を召し取り、処罰された後に妻を召し出すべきでしょう」と。
国王は、「もっともなことだ」と言って、まず夫を召し出すために使者を遣わした。使者はその地に行って、宣旨を読み上げた。
夫は、「私は決して国王の御為に罪を犯しておりません。どういうわけがあって、私を召し取るのですか」と言った。使者は何も答えることが出来ず、無理に夫を連れて王宮に帰った。
国王は連れてきた夫を見て、すぐに処罰させる理由がないので、差し遣わせる所があったと思われて、仰せになった。「お前に命じる。これより艮(ウシトラ・東北の方向。陰陽道では鬼門の方向にあたる。)に四十里行ったところに大きな池がある。その池に四種の蓮華が咲いている。七日の間にその蓮華を取って参れ。もし持ってくれば、お前に褒美を与えよう」と。
夫は宣旨を承って、家に帰ったが、元気がなく悲しそうな様子であった。妻は食事を準備して進めたが、まったく食べようとせず悲しそうにしていた。
妻は、「何事があって、そのように悲しそうで食事もなさらないのですか」と尋ねた。夫は宣旨の内容を話した。妻は、「とにかく、食事をなさってください」と言った。夫は妻の言葉に従って食事をした。
その後で妻は、「伝え聞けば、その道中には多くの鬼神がおり、池には大きな毒蛇がいて、蓮華の茎を身に巻き付けて住んでいるということです。そこへ行った人は、一人として帰って来ません。悲しいことです。あなたとわたしは、生きていながら別れようとしているのです。千年の契りで結ばれていても、あなたはたちまちのうちに鬼神に命を奪われようとしています。わたし一人がここに残っていても、何もいいことなどありません。わたしはあなたと共に死にます」と、泣きながら言った。
夫は、妻をなだめすかして、「私はお前の身と共にあろうと思っていたが(この部分、誤訳かもしれません。)、すでに王難にあって、もはやその本意に反する状態になってしまった。かと言って、二人そろって死ぬのは無益なことだ。何としても、お前は留まれ」と言って引き止めた。
そこで妻は、夫に教えた。「その道中には多くの鬼神がいるそうです。鬼人が現れて、『お前は誰だ』と問えば、「我は娑婆世界(人間の世界)の釈迦牟尼仏(シャカムニブツ・釈迦の尊称)の御弟子である」とお答えください。『どのような法文(仏の教えを説いた文言。)を習ったのか』と問えば、『南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧』と言って、『この言葉である』とお答えください」と。そして、七日間の食糧を持たせて出立させた。
夫が家を出て行く時、夫は妻を見返り、妻は夫を見送って、互いに別れを惜しむこと限りなかった。
さて、出立してから四日目に、守門(門番)の鬼の所に着いた。鬼は夫の姿を見て喜び、喰らおうとして、まず問いかけた。「お前はどこから来た者か」と。夫は、「我は娑婆世界の釈迦牟尼仏の御弟子である。国王の仰せにより、四種の蓮華を取るために来たのだ」と答えた。鬼は、「我はまだ仏という名を聞いたことがない。今初めて仏の御名を聞いたが、たちまちのうちに苦を離れて鬼の身から転じられる。それゆえ、お前を赦そう。これより南の方向に(南の方向は理屈に合わないが?)また鬼神がいる。また、同じように言うがよい」と教えて釈放したので、さらに行くと鬼が現れた。
鬼は、夫の姿を見て喜んで喰らおうとして、「お前はいったい何者だ」と問うと、夫は前のように答えた。さらに「どのような法文を身につけているのか」と問うと、夫は三帰の法文(サンキノホウモン・「南無帰依仏 ・・・」の法文を指す。)を誦した。
すると、鬼は歓喜して、「我は無量劫(ムリョウコウ・果てしないほど長い時間。)を生きてきたが、未だに三帰の法文を誦するのを聞いたことがなかった。今有難くもお前に会って、この法文を聞いたので、鬼の身を転じて天上に生まれ変わることが出来る。お前は、これから南へ行けば、大毒蛇が多くいる。物の善悪を知らず、きっとお前を呑み込もうとするだろう。されば、お前はしばらくここに居れ。我がその花を取ってきてやろう」と言って取りに行った。
そして、鬼はすぐに四種の蓮華の花を持ってきて夫に与えて言った。「国王の仰せに七日の内とあるそうだ。お前が家を出てから今日で五日目なので、残っている日は少ない。七日の内に行き着くのは難しい。されば、お前は我が背中に乗れ。お前を背負って急いで連れて行ってやる」と。
鬼は夫を背中に乗せると、ほどなくして王宮に到着した。鬼は、夫を下ろすと、たちまちのうちに姿を消した。
そこで、夫が四種の花を持参すると、国王は怪しく思って訊ねられたので、事の子細を詳しく申し上げた。国王はそれを聞いて、たいそう歓喜して仰せになった。「我は、鬼神に劣っていて、お前を殺害して妻を奪い取ろうと思っていた。鬼神は我より勝っていて、お前の命を助けて帰した。我は、この後ずっとお前の妻を赦す。速やかに家に帰って、三帰の法文を大切にせよ」と。
夫は家に帰り、妻にこの事を話した。妻もまた喜び、共に三帰の法文を大切にした、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
三宝を供養する ・ 今昔物語 ( 4 - 21 )
今は昔、
天竺に一人の男がいた。国王のために罪を犯し、そのとがめを受けた。
国王は、この男を捕らえて、首を切ろうとしたが、この男は国王に申し出た。「私に七日の猶予をお与えください」と。
国王は申し出を認めて、七日間の猶予を与えた。
そこでこの男は家に帰り、真心を尽くして七日の間、三宝(仏・法・僧の総称。)を供養し奉った。
七日が過ぎ、八日目の朝、男は国王のもとに参上した。国王は、男が約束を守ったことを感心しながらも、その首を切るように命じたが、するとその男は、たちまち仏の相を身に現した。国王はそれを見て、首を切ることを止めさせ、大象を酔わせてこの男を踏み殺させようとしたが、その男は金色の光を放ち、指の先から五頭の獅子を呼び出した。酔象はそれを見て、たちまち逃げ去ってしまった。
そこで、国王はこの不思議な現象を見て、恐れおののいて訊ねた。「お前は、どのような徳があって、このような不思議を現じることが出来るのか」と。
男は「私は、家に帰った七日の間、三宝を供養し奉って、七日間を過ごして戻って参ったのです」と答えた。
それを聞いて国王は、この男の罪を赦し、国王自身が三宝に深く帰依し奉った。
されば、三宝を供養し奉り帰依することは、最高の功徳(クドク・善根を積み重ねることによって身に備わる霊妙な徳性。)である、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
天眼を得る ・ 今昔物語 ( 4 - 22 )
今は昔、
天竺の波羅奈国(ハラナコク・古代インドの十六大国の一つ)に一人の男がいた。邪見(ジャケン・因果の道理を認めない過った見解。)にして仏法を信じなかった。その男の妻は、常日頃から仏法を信じていたが、夫の心に従って、仏事を勤めることはなかった。
ところが、思いがけず、妻は一人の比丘(ビク・僧)に出会って、密かに法華経十余行を読み習った。それを夫は、どこからか噂として聞こえてきたので、妻に「お前は、いつもお経を読んでいるらしいな。まことに尊いことだな」と、嫌味たっぷりに言うと出て行ってしまった。妻が恐れおののいていると、夫はすぐに帰ってきて、「わしが道を歩いていると、まさしく若い盛りの端正美麗(タンジョウビレイ・容姿が整って美しいさまを形容する常套語。)な女が、死んで横たわっていた。その目は非常に美しかったから、えぐり取ってここに持ってきた。お前の目は極めて可愛くなく醜いので、それと取り換えよう」と言った。
妻はそれを聞くと、「眼をえぐり取れば、命を保てるはずがありません。わたしはたちまち死んでしまいます」と泣き悲しむこと限りなかった。
乳母も、「ですから、このお経をお読みになってはなりませんとお教えいたしましたのに、遂に身を滅ぼすことになってしまわれた」と言って、同じように泣く。
妻は、「この身は無常(いつかは死ぬ定め)の身であります。命を惜しんでもいつかは死ぬものです。いたずらに朽ち衰えていくよりは、仏の教えのために死にましょう」と言って、乳母と共に泣く。
その時、夫が客間から荒々しい声で妻を呼んだ。
逃れようもないので、「わたしは今すぐに死んでしまう」と思って部屋を出て行くと、夫は妻を捕まえて膝の上に引き倒して、眼をえぐり取って、身体を大路に放り出した。近くの人は、これを見て哀れみ、敷物を与えた。そこで、妻は十字路にそれを敷いて横たわった。眼は無くなったが、命には寿命があるので、そのような状態で三十日過ぎた。
すると、一人の比丘が現れて訊ねた。「そなたは何者なのか。どうして眼を無くして横たわっているのか」と。
妻は、事の子細を話した。
比丘は事情を聞いて哀れに思い、山寺に連れて登って九十日間世話をした。
この盲女は、夏(ゲ・夏安居を指す。夏の九十日間、僧が山などに籠って修業する期間。)の終わる時、夢の中で、「わたしが読み奉る妙法の二字が、日月となって空より下って来て、わたしの眼に入った」と見たところで、夢から覚めた。はっと我に返ってみると、上は欲界六天(ヨクカイロクテン・・「欲界」は欲望にとらわれた衆生の住む世界で、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人界・天界の総称。「六天」は六つに分かれている天界の総称。 ここでは、六天を指しているらしい。)の様々な素晴らしい楽しみを、掌の内を見るように明らかに見えた。下は、閻浮提(エンブダイ・人間の住む世界。)より二万由繕那(ユゼンナ・由旬に同じ。古代インドの距離の単位で、一由旬の長さは諸説あるが、牛車の一日の行程ともされる。)を見通して、等活・黒縄ないし無間地獄の底を見ること、鏡を掛けて写し出すように明らかに見えた。
女人は喜んで、師の比丘に「夢で、このような事を見ました」と話した。比丘はそれを聞いて、喜び感動して、尊ぶこと限りなかった。
まさしく法華経十余行の験力によって天眼(テンゲン・心眼によって一切の物を見る神通力。)を得たのは、この通りである。ましてや、心を尽くして全巻を常に読誦する人の功徳は量り切れないほどである。よく思いやるべきである、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
大悪人 ・ 今昔物語 ( 4 - 23 )
今は昔、
天竺において仏(釈迦)が涅槃に入り給いて四百年(史実はともかく、諸文献をベースにした場合、「百年」程度が正しいようだ。)を過ぎた頃、末渡羅国(マトラコク・古代インドの十六大国の一つ。)に大天(ダイテン・商人の子で、教団分裂時に活躍したらしいが、異端の徒として悪評が高い。)という人がいた。
その父は、商いの為大海に乗り出し他国まで行った。その間、大天は「この世で最も美しい女を探し求めて、妻にしよう」と思って探し回ったが、見つけ出すことが出来ないまま家に帰った。すると、自分の母が端正美麗(タンジョウビレイ・容姿が整っていて美しいさまを形容する常套語。)にして「世間にこの母より優れた女はいない」ということに気付き、その母と情交し妻とした。
そして、数か月夫婦として過ごしていたが、父が長い旅を経て、他国から帰ってきて船が港に着くのを見て、大天は考えた。「わしが母を妻にしてしまったので、父が帰ってくれば、きっとわしを善くは思うまい」と。
そこで、まだ上陸する前に行って、父を殺してしまった。その後、何も心配することがなくなり、母と同棲を続けていたが、大天が少しの間外出している間に、母は隣の家に行ってしばらく居たが、大天は帰って来ると、それを「密かに隣の家に行って、他の男と浮気しているのだ」と思って、大いに怒って、母を捕らえて打ち殺してしまった。とうとう父母共に殺してしまったのである。
大天は、この事を恥じ、そして恐れて、もとの家を去って、遥かに遠い所へ行って隠れ住んだが、そこに、もとの国にいた一人の羅漢の比丘(ラカンノビク・原始仏教で最高の修行階位である阿羅漢果に達している僧。)が住んでいた。
その羅漢が大天が今住んでいる所にやって来たので、大天はこの羅漢を見て、「わしはもとの家で父母を殺してきた。その事を恥じ恐れたので、ここまで逃げてきて住んでいるのだ。そうすることによって、父母を殺したことをすっかり隠したのだ。ところが、あの羅漢がここにやって来た。きっと、わしの事を人に話すだろう。されば、この羅漢を殺してしまうしかないだろう」と思って、羅漢を殺してしまった。
されば、すでに三逆罪(殺父・殺母・殺阿羅漢の三つの重罪。この大罪を犯す者は、無間地獄に堕ちるとされる。)を犯してしまったのである。
その後、大天 ( この後、欠文となっている。)
☆ ☆ ☆
* 欠文となっている原因は不明のようです。
ただ、他の文献などから、いくつかの推定がなされているようです。
① もともと、この段階で打ち切られていた。
② 大天は罪を悔いて、阿育王(仏教の外護者として著名)が建立した寺院に赴き、そこで出会った僧について修行し阿羅漢果を得た、とされる。
③さらに、その後、大天が五種の悪見を説いたとか、阿育王との出会いの経緯などを説いた、とされる。
④ 参考書によっては、欠文になっている理由が、「これ以下の内容が複雑すぎる」ので、中断してしまったのかもしれない、というものもあるようです。
☆ ☆ ☆
姿を隠す薬 ・ 今昔物語 ( 4 - 24 )
今は昔、
西天竺(サイテンジク・・古代インドである天竺を、中・東・西・南・北の五つに分けたうちの一つ。)に竜樹菩薩(リュウジュボサツ・大乗仏教の確立者とされる大仏教哲学者。但し、出身は南天竺が正しいらしい。)と申す聖人がおいでになられた。
最初、出家前の俗人であられた時には、外道(ゲドウ・仏教以外の教え)の経典を習われた。
その頃のこと、俗人(出家していない人)が三人いて、相談し合って隠形(オンギョゥ・他から自分の身体を見えなくすること)の薬を造った。
その薬の造り方は、寄生(ヤドリキ・他の樹木に寄生する常緑の低木。)を五寸に切って、陰干しで百日間乾して、それで以て造る薬であるそうだ。その薬を使って手法を学び、その木を髻(モトドリ・頭上のたぶさ)に差しておくと、隠れ蓑という物のように、自分の身体を隠し他の人からは姿が見えない。
そこで、この三人の俗人は、団結して、この隠形の薬と寄生を頭に差して、国王の宮殿に入り、多くの后妃を犯した。
后たちは、姿が見えない者が近寄ってきて触れて回ったので恐れおののいて、国王にそっと申し上げた。「近頃、姿が見えない者が近寄ってきて触られることがあります」と。
国王はそれを聞いて、賢いお方なので、すぐに思いつかれたことは、「これは、隠形の薬を造って、このような事をしているのだ。これを防止するには、粉を王宮内に隙間なくまくことだ。そうすれば、姿を隠している者とはいえ、足の形がついて、行く方向がはっきり表れるだろう」と計略を廻らされて、粉をたくさん取り寄せて、宮殿内に隙間なくまいた。この粉というのは、白粉(オシロイ)である。
例の三人の者たちが宮殿内に入り込むと、その粉をびっしりとまいているので、足の跡が顕(アラワ)れてくるので、太刀を抜き放った者どもを大勢入れて、足跡の付く所を推し量って切りつけると、二人は切り倒された。
もう一人が竜樹菩薩であられた。切り立てられて困ったあげく、后の裳の裾を頭から引き被って伏せて、心の内で多くの願を立てられた。
その効果があったのか、二人切り倒されたので、国王は、「思った通りだ。隠形の者であった。二人だったのだな」と仰せになって、切ることを終りにされた。
その後、人目のない時を見計らって、この竜樹菩薩は、よくよく注意を払って宮殿から逃げ去られたのである。
その後、「外法(ゲホウ・仏教側からの言い方で、仏法以外の術法。)は役に立たない」と思われて、[ 欠字あり。師僧名が入るが、出家時の師僧名は特定されていないらしい。]の所に行かれて、出家なされた。そして、内法(ナイホウ・外法と対の言葉で、仏法を指す。)修行なさって、名を竜樹菩薩と申されるのである。このお方を、世を挙げて崇め奉ること限り無し、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
智者は智者を知る ・ 今昔物語 ( 4 - 25 )
今は昔、
西天竺に竜樹菩薩と申す聖人がおいでになられた。知恵無量にして慈悲広大なお方であられる。
また、その頃に、中天竺に提婆菩薩と申す聖人がおいでになられた。この人もまた、智(サト)り深くして仏法を広め伝えようと願う心が深かった。
(史実としては、二人とも南天竺の出身らしいが、多くの聖典や文献が本稿のように誤伝されているらしい。)
さて、提婆菩薩は、竜樹菩薩が知恵無量であられるとお聞きになって、その所に参って、仏法を修行しようと思って、遥か西天竺をさして向かわれた。
その道は遥かに遠く、ある時は深い河を渡り、ある時は梯(カケハシ・断崖や谷川などに架け渡した仮橋。)を渡り、ある時は遥かなる巌の山を張り付くようにして登り、ある時は道もない荒磯を渡り、深い山を通り、広い野原を進んだ。
ある時は、飲み水に事欠く難所を通り、ある時は食糧が絶えてしまった時もあった。
このように堪え難い道を涙を流しながら進んでいくのは、未だ体験していない仏法を学び習得するためであった。
苦しみ悩むこと数か月を経て、ようやく竜樹菩薩のもとに着いたのである。
門口に立って、付き人に取次を願いたい旨伺いを立てようとした。すると、ちょうどその時、一人の御弟子が外からやって来て、庵に入ろうとするところで出会った。
その御弟子が尋ねた。「どちらの聖人がおいでになられたのでしょうか」と。それに答えて、「申し上げることがあり、参りました」と。
御弟子はそれを聞いて中に入り、師の菩薩にその事を申し上げた。菩薩は、それ相応の御弟子によってお聞きさせた。その御弟子は、「いずれからどちらの聖人がおいでになられたのでしょうか」と尋ねた。菩提菩薩は、「私は中天竺の者です。お噂では、『大師(高僧に対する尊称)はその知恵無量であられる』と聞いております。かの地からの道のりは遠く険しく、容易に行ける所ではありません。その上、年老いた身は疲れ果て、歩くのさえ難儀で、道中が絶え難いほどです。しかしながら、ただ、仏法を習い修得しようとの思いが強く、仏法を伝授されるべき因縁があるならば、必ずたどり着くことが出来ると思って、身命をかえりみることなくやって来たのです」と答えた。
御弟子はこれを聞いて、中に入ってこの由を申し上げた。師は、「若い比丘か、老いたる比丘か、どのような様子か」と尋ねられた。
弟子は、「まことに遥かな道を歩いてきて疲れたのでしょう、痩せ衰えていますが、たいそうと尊げであられる人です。立ち上がることが出来ず、門のわきで座り込んでいます」と申し上げた。
すると、大師は小さな箱を取り出して、その箱に水を入れて、「これを持って行って与えなさい」と言って与えられた。御弟子は箱を受け取って、提婆菩薩に与えた。提婆菩薩は箱を受け取って、箱に水が入っているのを見て、僧衣の襟の所から針を抜き出して箱に入れて御弟子にお返しした。御弟子はその箱を受け取って大師にお渡しした。
大師が箱を受け取ってご覧になると、底に針が一本入っている。それを見て、意外なことに気付いて大慌てして仰せられた。「本当の智者がおいでになられているのだ。すぐに中にお入れせず、度々お訊ねしたことはまことに恐れ多いことであった」と。そして、僧房内を掃き、清らかな敷物を敷き、弟子に「急いでお入り頂くように」と命じた。
弟子は大師の言葉を承って、お尋ねした。「他国より参った比丘は、門の外において何も申しておりません。大師は来訪の由をお尋ねになられました。その本意を尋ねるのに、大師は箱に水を入れてお渡しになられました。遠国より来られたので、まずは水を飲んで喉を潤していただくためにお渡しされたのだと思っていましたところ、比丘に差し上げますと、比丘は水を飲むことはなく、僧衣の襟から針を抜き出して、箱に入れて返されました。あの比丘が大師に針を奉ったのだと思っておりました。ところが、大師は針を箱に入れたままで、このように大切にしてお呼び入れされるのは理解できません」と。
大師はあきれたように笑って、「お前の智(サトリ)、はなはだ愚かである。中天竺の比丘が遥かにやって来て、仏法を伝授してほしいと言う。我はそれに答えることなく、箱に水を入れて与えたのは、『水を入れた箱は小さくとも、万里の姿が浮かぶ。我が知恵は小さな箱の水のようなものであるが、そなたの万里の知恵の姿をこの小さな箱に浮かべなさい』と問いかけて、箱に水を入れて与えたのである。それに対して、やって来た聖人は、我が心を察知して、針を抜き出して箱に入れたのは、『自分の針ほどの小さな知恵で、あなたの遥かな大海のような知恵の底までも見極めましょう』という応答なのだ。長年我に付き従って修行してきたのに、知恵薄くしてこの心を悟らず、中天竺の聖人は遥か遠い所から来たというのに、わが心の内を見通しているのだ。知恵が有ると無いとは、優劣の差が遥かに隔たっているのだ」と仰せになられたので、弟子は、肝も心も砕かれるように辛く思った。そうではあったが、大師の言いつけにより、その聖人をお入れするように伝えた。
聖人は僧房に入って大師にお会いになった。
瓶の水を移し変えるかのように、すべてを伝授なさった。仏法の伝授を受けて、もとの国に帰り、仏法を広めた。
知恵があるのと無いのと、理解が早いのと遅いのとは、はっきりと分かるものだ、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
無着菩薩と世親菩薩 ・ 今昔物語 ( 4 - 26 )
今は昔、
天竺において仏(釈迦)が涅槃(ネハン)に入られてから九百年後のこと、中天竺の阿輸遮国(アユジャコク)という所に、無着菩薩(ムヂャクボサツ・4~5世紀頃の人物)と申す聖人がおられた。知恵は甚深(ジンジン・非常に奥が深いこと)にして弘誓(グゼイ・仏道に精進し、あまねく衆生を救済しようとする菩薩の誓願。)は広大である。夜は兜率天(トソツテン・天界の一つで、内院には弥勒菩薩が住院する。)に昇り、弥勒菩薩(ミロクボサツ・釈迦入滅の五十六億七千万年後にこの世に現れ、衆生を済度する未来仏。如来となることが定められている菩薩である。)の御許に参って大乗仏教の教法を学び、昼は閻浮提(エンブダイ・人間の住む世界)に下って、衆生のために仏法を広めた。
また、その弟に、世親菩薩(セシンボサツ)と申す聖人がおられた。北天竺の丈夫国(ジョウブコク)という国に住んでおられた。知恵は広くして人を哀れむ心が強かった。ただ、東州(トウシュウ・須弥山の東方洋上にある国?)より賓頭廬尊者(ビンヅルソンジャ・釈迦の弟子の長老に同名人物がいるが、その人とは別人、または伝説化された人物らしい。)と申す仏(シャカ)の御弟子がやって来て、この世親菩薩に小乗(ショウジョウ・大乗の対。小さな乗物で、利他をはからず、自己の完成にのみ専念する教法。)の仏法を教えた。 そのため、長年、小乗の仏法を信じ、大乗の仏法というものを知らなかった。
兄の無着菩薩は、遥かに遠い地に居ながら、弟の心の内を知り、何とか工夫して大乗の教えに導き入れようと思われて、自分の門弟の一人に命じて、かの世親がおいでの所に行かせて伝えさせた。「速やかにこの地にやって来なさい」と。
その弟子は、大師(無着菩薩を指す。大師、菩薩は、どちらも高僧に対する尊称として使われることが多い。)の言い付けに従って丈夫国に行き着き、世親に無着菩薩の伝言を伝えた。世親は無着の申し出に従って行こうとしたが、その夜、無着菩薩の弟子の比丘が、門の外において十地経(ジュウヂキョウ・華厳経の十地品と同じ)という大乗の経文を読誦していた。
すると、世親はこの経文を聞くと、甚深にして自分の知恵では理解できるものではなかった。そして、思ったことは、「私は長年にわたって修行が拙く、このような甚深の大乗の経文を聞くことがなく、小乗を信じて修行してきた。大乗を誹謗(ヒボウ・そしること)してきた罪はとても大きい。誹謗の誤りは、ひとえにこの舌から起きている。舌こそが罪の根源である。私は今、この舌を切り棄てよう」ということであった。そして、鋭い小刀を取って、自ら舌を切ろうとした。
その時、無着菩薩は神通の力を以て遥か彼方からこの事を見て、手を差し伸べて、舌を切ろうとしている手を捕らえて切らせなかった。この両者の距離は、三由旬(ユジュン・1由旬は諸説あるが、牛車の一日の行程とされる。)である。
無着菩薩は即座にやって来て世親の横に立ち、「お前が舌を切ろうとすることは、極めて愚かな事である。まことに、大乗の教法は、真実の理(コトワリ)である。諸々の仏はこれを誉め給う。諸々の聖衆(ショウジュ・菩薩や天衆)もまたこれを尊ぶ。私はお前にこの教法を伝授しよう。お前は速やかに舌を切ることを止めてこれを修行せよ。舌を切ることは懺悔したことにはならない。これまでは舌でもって大乗を誹謗した。今よりは舌でもって大乗を讃えよ」と仰せになると、掻き消すように姿を消した。
世親はこれを聞いて、兄の教えに従って舌を切ることを止めて、大乗に出会うことに歓喜した。
その後、無着菩薩の御許に行き、真心をこめて初めて大乗の教法の伝授を受け、終には瓶の水を移すが如く受け継がれた。兄の無着菩薩の教え導く力は不思議な力を持っていた。
世親は、その後、百余部の大乗論を作って世に広げられた。名を世親菩薩と申すはこの方である。たいへん世の人々に崇められた人である、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
弥勒をお待ちする ・ 今昔物語 ( 4 - 27 )
今は昔、
天竺の摩訶陀国(マカダコク・古代インドの大国)に護法菩薩(ゴホウボサツ)と申す聖人がおいでになられた。この人は、世親菩薩(前回に登場している。)の弟子である。教法を広め、知恵甚深(ジンジン・非常に奥が深いこと)なること、人に優れていた。されば、その門弟の数は極めて多かった。
また、その当時に、清弁菩薩(ショウベンボサツ)と申す聖人がおいでになられた。この人は提婆菩薩(ダイバボサツ・竜樹菩薩の弟子で、前々回に登場している。)の弟子である。この人もまた、知恵が甚深にして、門弟の数も多かった。
ところで、、清弁は「諸法は空(クウ)なり」と立論した。(この世の一切の存在はすべて実体性のないものであるとする思想で、竜樹・提婆を経て清弁に継承されたもの。)
一方の護法は、「有(ウ)なり」と立論した。(無着・世親によって大成された唯識学に立つ有の思想。)
そのため互いに、「我が立つ所が真実である」と争った。
護法菩薩は、「この事の争い、誰にこの両説の正否を判定することが出来ようか。されば、弥勒(ミロク)にお尋ねしよう。早速、共に兜率天(トソツテン・天界の一つで弥勒菩薩が住んでいる。)に昇ってお尋ねしよう」と言った。それに対して、清弁は、「弥勒はまだ菩薩の位であられる。なお、一念の[ 欠字あるも不詳。]ある。されば、お尋ねすることは出来ない。今に成道(ジョウドウ・仏道を成就して仏(如来)になること。弥勒菩薩は、釈迦入滅の五十六億七千万年後に仏となり、この世に出現されるとされている。)なさるので、その時にお尋ねすべきである」と言って、その争いは終息しない。
その後、清弁は、観世音(カンゼオン・観音菩薩に同じ。)の像の前において水を浴び、穀物を断ち随身陀羅尼(ズイシンダラニ・釈迦が観音に伝授したものとされる)を誦して、誓願申し上げた。「私は、この身のままでこの世に留まり、弥勒の出世にお会いしたい」と、三年の間祈念した。
すると、観世音自ら姿を現されて、清弁に仰せられた。「そなたは、何事を思い願うのか」と。清弁は、「願わくば私は、この身を留めて、弥勒の出世の時をお待ちしたいのです」とお答えした。
観世音は仰せになられた。「人の身は虚しいものであって、生きながらえることは出来ない。されば、善根を積んで、兜率天に生まれるよう願うべし」と。清弁は、「私には、願う事は二つはありません。ただ、この身を留めて、弥勒をお待ち奉らんと思うことだけです」とお答えした。
観世音は仰せになられた。「さればそなた、ダナカチャカ国(南インドの一国らしい)の城(ジョウ)の山の巌の執金剛神(シュウコンゴウジン・金剛力士に同じ。護法神である。)の所に行って、誠を尽くして執金剛陀羅尼(シュウコンゴウダラニ・呪文のようなもの?)を誦して祈請すれば、その願いが遂げられるだろう」と。
清弁は、観世音の教えに従ってその所に行き、手印を組んで呪文を唱えて、起請すること三年に及んだ。
すると、執金剛神が姿を現して清弁に訊ねた。「そなたは、何事を願ってこのような事をしているのか」と。
清弁は、「私が願うところは、この身がこの世に留まって、弥勒の出世をお待ち奉ることですが、観世音のお導きを受けてこちらに参ったのです」と答えた。
執金剛神が話された。「この巌の内に、阿索洛宮(アソラキュウ・阿修羅の住む宮殿。鬼神の宮殿といった意味らしい。)という所がある。作法通りに祈請すれば、自然に石の壁が開くだろう。その中に入れば、その身のままで弥勒をお待ち奉ることが出来よう」と。
清弁は、「穴の内は暗くて何も見えないでしょう。どうして仏(弥勒菩薩が如来となってこの世に現れるとされる。)の出現されたことを知ることが出来ますのか」と尋ねた。執金剛神は、「弥勒がこの世にお出になられた時には、我がやって来て教えてやろう」と答えた。
清弁はその言葉を得て、熱心に祈請すること、さらに三年を経たが、まったく決心が揺らぐことがなかった。そして、芥子を呪して(ケシヲシュシテ・芥子(からし菜の種子)一つまみを火中に投じては呪文を唱えることを、所定回数繰り返すことで満願を迎える加持を行った。)、その石の壁の表面を打つと洞が開いた。
その時、その場には千万の人(大勢の表現)がいたが、誰も入ろうとしない。清弁はその戸口に仁王立ちになって、大勢の人に「私は長い間起請して、この穴に入って弥勒をお待ちするのだ。もし同じ志がある人は一緒に入ろう」と言った。
それを聞いた人々は皆恐れおののいて、一人としてその戸口あたりにいる人がいなくなり、「ここは毒蛇の窟(イワヤ)だ。ここに入る人は、きっと命を失くすだろう」と言い合った。
清弁は、それでもなお「私は入る」と言うと、六人ばかりが後に続いて入った。その後、もとのように戸が閉じてしまった。入らなかったことを後悔する人もあった。また、恐れる人もあった、
となむ語り伝へたるとや。
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三つの願い ・ 今昔物語 ( 4 - 28 )
今は昔、
天竺において仏(釈迦)が涅槃(ネハン)に入られて後、[ 欠字あり。国名が入るが意識的な欠字らしい。]国に一つの寺院があった。その名を[ 欠字あり。寺名が入るが未詳。]寺という。
その寺の本堂に白檀(ビャクダン・栴檀の異称。香木の一つ。)の観自在菩薩の像が在(マシ)ました。霊験あらたかで、常に詣でる人が数十人に及んでいた。
ある人は七日、ある人は二七日(フタナノカ)、飲食を断って精進潔斎して心に願う事を真心を尽くして祈請すれば、観自在菩薩自らおごさかで美しい装いを整えて、光を放って木像の中からお出になって、その人にお姿をお見せになられる。そして、その人に哀れみを垂れ願う事をお聞き届けになられる。
このようにお姿を現じられることが数度に及ぶので、ますます帰依し供養し奉る人が多くなっていった。されば、多くの人が集まるので、この像に近付くことを心配して、像の周囲に七歩ばかり距離を取って木の柵を立てた。人がやって来て礼拝し奉る時は、その柵の外において礼拝し、像に近付くことはなかった。また、人が詣でて柵の外において花を取って散じ奉る時、もしその花びらが菩薩の手や臂(ヒジ)に振り懸かると、これを吉事として願い事が叶うことを知る。
その頃のこと、一人の比丘が、外国より仏法を学ぶためにやって来た。その比丘が、この像の前に詣でて、願うところを起請するために様々な花を買って、これに糸を通して花飾りとして、菩薩の像の御許に詣でて、真心を尽くして礼拝して、菩薩に向かってひざまづいて、三つの願いを立てた。
「一つには、この国において仏法を学び終えて本国に帰るつもりですが、平穏無事に帰国できるならば、願わくばこの花飾りが菩薩の御手に留まりますように。二つには、修行による善根(ゼンコン・善果を得るもとになる善行。)によって兜率天(トソツテン・天界の一つで弥勒菩薩の住いがある。)に生まれて、慈氏(ジシ・弥勒の漢訳)菩薩にお会いしたいと願う。もしこの事が叶うならば、願わくばこの花飾り、菩薩の二の臂に留まりますように。三つには、仏の教えを記したものの中に、『衆生の中に、ほんの少しの仏性(ブッショウ・仏になり得る資質)さえ無い者がいる』とあります。もし私に仏性があって、修行により終には無上道(究極の悟り)を得ることが出来るのであれば、願わくばこの花、菩薩の首に留まりますように」と言い終ると、花飾りを遥かには離れた像に投じると、花飾りはことごとく願う所に掛かった。確かに、三つの願が果たされることを知って、感激の心に包まれた。
その時、寺を守っている人がその人のそばにいて、この様子を見て不思議な思いに打たれて、比丘に話しかけて、「聖人は、きっと将来成仏(仏になること)なさるでしょう。願わくばその時には、今日の仏縁を忘れられることなく、まず私を救済してください」と約束して別れた。
その後、これを見ていた人が、
語り伝へたるとや。
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* 本文中の「比丘」は、他の文献などから、「三蔵法師」らしい。
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