雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

何とも不様

2020-06-18 19:21:56 | 日々これ好日

        『 何とも不様 』

     国会の閉会を待っていたようで
     議員二人が逮捕された
     国会の期間延長に関しての軋轢があったが
     この件に関しては 予定通り閉会になって実に良かった
     それにしても これほど古典的な選挙違反が
     いまだに まかり通っていて しかも簡単に逮捕できないのは
     実に情けない
     当然 当選した時に遡って際費などは返却してもらえると思うのだが
     選んだ方の責任もあると言われると それが辛いところだ
     やはり 国も地方も 議員が多すぎるのも一因のような気がする

                        ☆☆☆

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聞きにだに聞け

2020-06-18 07:59:47 | 新古今和歌集を楽しむ

     恋ひわぶと 聞きにだに聞け 鐘の音に
               うち忘らるる 時の間ぞなき

                作 者   和泉式部

( No.816  巻第八 哀傷歌 )  
       こひわぶと ききにだにきけ かねのおとに
                うちわすらるる ときのまぞなき


* 作者は、平安王朝絶頂期に活躍した女流文学者の一人。( 976 頃- 1036頃)享年は六十一歳位か。

* 歌意は、「 あなた恋しさに耐えかねていると 聞くだけでも聞けと 鐘の音が聞こえてきます 鐘を打ちながらも 片時も忘れることなど出来ないのです 」と意訳したが、正直、我ながらすっきり来ない。
この和歌の前書き(詞書)には、「小式部内侍 身まかりて後 常に持ちて侍りける手箱を誦経にせさすとてよめる」と記されている。つまり、作者 和泉式部が愛娘を喪った悲しみに耐えかねている状態での詠歌であることを考えると、もっと適切で重い意味が含められていると思われる。

* 和泉式部は、絢爛豪華な平安王朝文化の一翼を担った女房たちの中でも最高峰に位置する女性といっても過言ではあるまい。和泉式部と同時代には、赤染衛門、清少納言、紫式部など才女がそろっていたが、歌人としては、現在に伝えられている和歌だけでも1500首にのぼり、勅撰和歌集に入撰しているものも240首を超えている。歌人としての実績はこの時代の女性の中では抜きんでている。さらに、その美貌ということになれば、さらに他の女房たちとは差があったと推定できそうである。
紫式部がその作品の中で、和泉式部について「恋文や和歌は素晴らしいが、素行は感心できない」といった感想を書き残しているが、私には、かなりひがみが入っているように思われるのである。
和泉式部の逸話は極めて多く残されているが、この稿では愛娘の小式部内侍について述べさせていただく。

* 小式部内侍は、和泉式部の最初の結婚相手である橘道貞との間に誕生した娘である。999年の生れとされるので、和泉式部が二十四歳の頃と考えられる。
小式部内侍も才女であり容姿にも恵まれていたようである。母と共に一条天皇の中宮彰子に仕えたが、母の式部と区別するために「小式部」と呼ばれたらしい。
小式部内侍は知性や容姿ばかりでなく、母に負けないほどの恋を経験したようで、藤原教通(藤原道長の五男。従一位関白太政大臣。一男を儲ける。)、藤原頼宗(道長の次男。従一位右大臣。)、藤原範永(正四位下摂津守。一女を儲ける。)、藤原定頼(藤原公成の長男。四条中納言と呼ばれた。)、そして藤原公成(従二位権中納言)の男子を儲けたあと死去した。まだ二十七歳であった。
それぞれの人物の官位は最終のものであるから、小式部内侍と縁があった時はまだ若い頃であったが、いずれも公卿や貴公子ばかりである。当時の貴族が複数の妻や妾を持つのは普通のことで、小式部内侍の場合も単なる浮気といったものでなく、世間に公認されたものであった。

* 小式部内侍と藤原定頼(四条中納言)との間には有名な逸話が残されている。
母の和泉式部が地方に行っていたので、歌会に出るにあたって「代作を頼めないので大変ですね」と定頼が小式部内侍をからかったのに対して、即座に、「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天橋立」と呼んだので、技巧に満ちた出来栄えに定頼は返歌をすることが出来なかったという。

* 和泉式部を語る場合、その激しい恋の遍歴と情熱的な恋歌が中心になることは当然といえる。しかし、彼女の今も伝えられている膨大な和歌の一部を見てみるだけでも、むしろ、哀傷歌に深く感動する。
最後に「後拾遺和歌集」にある愛娘の死を悼んだ哀傷歌を挙げておく。

 『 とどめおきて  誰をあはれと 思ふらむ 子はまさるらむ 子はまさりけり 』

     ☆   ☆   ☆ 
 

 

 

 

 

コメント (2)
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