雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

世界の軍事費377兆円

2024-04-22 19:14:53 | 日々これ好日

     『 世界の軍事費377兆円 』

    2023 年の世界の軍事費が 377兆円余だったと
    ストックホルム国際平和研究所が 発表した
    前年比 6.8% 増で 9年連続の増加となった
    順位は 米国・中国・ロシア・インドと大国が続き
    ウクライナは 前年の11位から8位となった
    わが国は10位だが この位置をどう考えるべきか
    ただ 発表はドル表示なので 最近の円安を考えると
    国民の負担度は もう少し上かもしれない
    国家防衛の重要性は 増大し続けているが
    わが国だけでなく どこまで耐えられるのだろうか・・

                  ☆☆☆  

   

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親のまもり

2024-04-22 08:00:30 | 古今和歌集の歌人たち

     『 親のまもり 』


 たらちねの 親のまもりと あひそふる
         心ばかりは せきなとどめそ

           ( 作者  小野千古の母 )

( 巻第八 離別歌  NO.368 )
         たらちねの おやのまもりと あひそふる
                 こころばかりは せきなとどめそ


* 歌意は、「 母親として わが子を守って ついては行けないが この心だけはついて行くので 関所の役人は止めないで下さいな 」といった、子の旅立ちを心配する母の気持ちを詠んだものでしょう。
この歌の前書き(詞書)には、「小野千古が陸奧介にまかりける時に、母のよめる」とあります。そして、作者名は書かれていません。
ただ、この前書きから、作者が「小野千古の母」であることが分ります。
また、わが子の千古が陸奧介(ミチノクノスケ)として、任国に旅立つ時の歌である事も分かります。当時の陸奧国は、都からは遙かに遠い地であり、蝦夷の勢力が残っている地でもあります。母親の心配は当然ですが、陸奧介といえば、陸奧国の守に次ぐ次官にあたる地位です。陸奧は大国ですから、介であれば、正六位上か従五位下に昇っていたかもしれません。任地に下向することを考えれば、千古は例えば皇族に繋がるような特別な人物ではないはずで、この時には、そこそこの年令になっているはずで、母親の心配は少々大げさと取るか、幾つになっても母親の心配は同じと取るか、別れるところでしょう。

* 作者の「小野千古の母」について、その情報を知ることは全く出来ませんでした。小野千古についても同様です。
参考書の中には、小野千古(オノノチフル)を、小野道風の妻、あるいは娘とするものがあります。どのような文献から推測されたものか確認できません。
小野道風(オノノトウフウ・正四位下参議。 894 - 967 )は、藤原佐理・藤原行成と共に「三跡」と称された書の名人です。また、花札に描かれている、柳に飛びつく蛙の姿を見て奮起したというエピソードの持ち主です。
ただ、古今和歌集の成立は、例えば真名序に記されている日付けは 905 年ですから、年齢的に娘というのは考えられず、妻というのも、少なくとも 900 年頃に、成人している子がいるというのは考えづらく、どちらも納得できません。

* そこで、陸奧介というのをベースに調べてみますと、小野春枝という人物が浮かんできます。春枝は、870 年 1 月に陸奧介になり、同年 3 月に権守に昇っています。
この人物は、父の石雄、弟の春風と共に武勇で名高い人物です。
しかし、千古との関係を示す資料は全く見当たりません。

* 作者である「小野千古の母」には、もう一つ疑問があります。それは、作者名が記されていないということです。 
古今和歌集は、やたらと「読人しらず」の多い家集ですが、それ以外には、必ず作者名が記されていて、記されていないのは、天皇など高貴な地位の人物に限られていて、前書きの中に読み人が分るように示されています。
ところが、この歌には、作者名が記されておらず、前書きの中で説明されているのです。他にももう一例(NO.784)ありますが、たまたまそうなっただけなのか、何かの意図が働いているのか、大いに興味があります。

* もしかすると、「小野千古」というのは実在しない人物で、「陸奧介」というのも、遠くへ旅立つという表現に過ぎず、「その母」は、とても高貴な地位にある女性・・・、などと、妄想を働かせたりするのですが、もしそうだとすれば、古今和歌集の編者が、どうしてこの歌を紛れ込ませたのか、そこには、とてつもない背景が隠されている、と考えたりしてしまうのです。
おそらくは、単に「小野千古」の動静が現在に伝わらなかっただけなのでしょうが、一千余年の歳月は、多くのものを消し去ると共に、多くのロマンを生み出してくれるものかも知れません。

     ☆   ☆   ☆

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