『 待望の第1号ホームラン 』
大谷翔平選手に 待望の第1号ホームランが出た
ご本人は当然ながら 周囲の方々も
しだいに堅くなってきている 雰囲気の中だけに
絶妙のタイミングだった と思われる
さあ これで 見せていただく方も
肩の力を抜いて 楽しませていただけそうだ
ガンバレ ガンバレ オオタニ~~
☆☆☆
『 自分と違うと思われる人々に対して寛容であり、理解することに努める必要がある 』
自然の景観を山と川で表すのは乱暴に過ぎるというのは、海も空も平地もあるからですが、草と木で植物全体を表す方はどうなのかと、まことに詰まらないことが気になりました。
実は、何かの本で見た「竹は、木か草か?」という記事のことを思い出したからです。
特殊な植物は別にするにしても、草と木の区別は、そうそう簡単ではないようです。
一般的に説明されているものによりますと、「形態的には、幹(茎)を太らせるものと、ある成長時点で太らさないもの」で区別するそうです。そして、「生態的には、耐性芽(厳しい季節を乗り越える芽)が地面より上にあるものは木」だそうです。
それでは、竹はどうなるのかと言えば、それがよく分らないのです。
竹は、竹の子として芽を出すと一気に成長し、その後は幹を太らせることはありません。それなら草かと言えば、多くの草が一、二年草なのに対して、相当の期間元気です。第一、孟宗竹のようなものを草とはとても言えない気がします。
他にも、種子や子葉から大別する方法もあるようなのですが、例えば、単子葉植物はほとんどが草なのですが、単子葉植物だからと言って、バナナを草だというのも納得できません。
さらに、萩のように、種類によって草のものや木のものがあるのですから、ますますややこしくなってしまいます。
( 中略 )
それに、「山川草木」と呼ばれるようなものは、おこがましくも人間が、区別したり種類分けなどすることが、とんでもないことかもしれないと思うのです。
そしてそれは、「草木」に限らず、人間という動物もまた、単純に種類分けなどできない存在なのではないでしょうか。性別であれ、人種であれ、国家や民族の違いや、思想や宗教の違いで、区分けしたり差別することは慎重であらねばなりませんし、自分と違うと思われる人々に対して寛容であり、理解することに努める必要があるように思うのです。
( 「小さな小さな物語」第十一部 NO.625 より )