雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

一瞬先 ・ 小さな小さな物語 ( 956 )

2017-04-22 08:52:07 | 小さな小さな物語 第十六部
「一瞬先は闇」とか、「一瞬時間が止まってしまった」とか、あるいは「感激の一瞬」といった具合に、「一瞬」という言葉は比較的よく使われる言葉です。
本来の意味は、「まばたきを一度する間」ということで、たいへん短い時間を指すものだと思われます。
冒頭に上げました三つの例を見た場合、同じ一瞬でも、それぞれが意図している時間の長さは少しずつ違うように思われます。
先日の国会における証人喚問においては、一瞬という言葉が、二、三日であったり、五か月ほどであったり、実際は二、三年だったという話もありますから、この使われ方が正しいとすれば、一瞬の守備範囲はさらに広がってしまいます。

「一瞬」を比喩的に使う場合はともかく、本来の意味は「まばたきを一度する間」という意味であって、それも本当にその時間を指しているのではなく、「とても短い時間」を表現していると思うのです。「まばたきを一度する間」というのが実際にどの程度の時間になるのか調べていませんし、この言葉がいつ生まれたのかも知らないのですが、きっと、生まれた時には、とても人間の能力では測れないほど短い時間を指していたように思うのです。現在の科学では、ある分野では「一瞬」より遥かに短い時間が計測され、それによる巧拙が激しく競われています。

私たちの日常生活において、予知や予見について語られることや、時にはそれを生業にしている場合さえ見受けられます。
天気予報や、地震の予報などは相当の科学的根拠に基づいているのでしょうが、それでもなかなか完璧というわけにはいきません。もちろん、これらの予報は一瞬先を予報するものではありませんから、一瞬先の予報なら正確なものが出せるのでしょうが、それでは役に立ちません。
また、競馬の予想を例に取れば、スポーツ新聞などを見れば、新聞社の予想の他に、高い比率で勝ち馬を当てていると持参している広告もよく目にします。これらも様々なデーターに基づいた研究結果なのでしょうが、しっかり稼いで脱税で話題になった人もいるにはいますが、ごくごく少数派のようです。
研究成果と予知や予見とを一緒にするのは間違いでしょうが、そのどちらであっても、一瞬先を知ったところで、日常生活で役立つことは少ないと思われます。

しかし、「一瞬先は闇」という言葉には、やはり説得力を感じます。この一瞬というのには、まばたきするほどの時間なのか、数か月なのかはともかく、私たちが予知・予見できる先は、何かに委ねるしかない闇の世界のように思われます。私たちは、意識しようがしまいが、常に闇の世界に歩を進めているのかもしれません。
そういえば、プロ野球が始まりましたが、わが贔屓チームは、期待に裏切らない試合ぶりを見せてくれています。
開幕一戦目は際どく勝利したのですが、二戦目は何とも引き締まらない試合ながらリードしていたので寝たのですが、一瞬ではありませんが一夜明ければ闇の状態でした。三戦目は、三回あたりまで見ただけで、「これは苦戦だ」と私の予知能力が働き、他の用事に掛かっていたのですが、案の定惨敗してしまいました。
「一瞬先は闇」ということは、考えようによっては怖ろしい気もしますが、予知・予見に優れているのも苦しいことかもしれませんよ。

( 2017.04.04 )

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