雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

一枚の写真 ・ 小さな小さな物語 ( 957 )

2017-04-22 08:50:43 | 小さな小さな物語 第十六部
たった一枚の写真が、実に多くのことを語ってくれることがあることを私たちは知っています。
太古の昔、ヒトが他の動物と異なった知恵を持ち始めた早い段階で、ヒトは絵を書き始めたようです。このヒトというのが、私たちの直接的な祖先にあたるのかどうかはともかく、多くの文字が絵から生まれたことを考えると、ヒトが何かを表現しようとした最初の物が絵だったような気がします。もちろん、話し言葉や歌も前後して登場した可能性もありますが、形として残す手段として絵を描くということを知った時のヒトの喜びと驚きはどのようなものだったのでしょうか。
もちろん、初期の絵というものは、点であったり線であったりといった程度のものであったと考えられますが。

ヒトが、点と線などばかりでなく、何かの形態を描き始めた一番の目的は何だったのでしょうか。
誰かに何らかの情報を伝達するためであったのか、収穫の願いであったのか、強い物美しい物への憧れであったのか、もっと神秘的な物、精神的な物を祈りをこめて描いたのかもしれないと思うのです。
やがて絵は、芸術という冠を得ると、さらに一段高い情報を発信するようになっていきますが、現在でも用いられている伝達のための絵と違って、いわゆる芸術性が高いとされる絵ほど、見る人によって受け取り方が大きく違ってきます。

写真が発明され、一般化されている段階で、写真と絵はどのような競合や協調があったのか、残念ながら私は今まで考えてみたことがなかったのですが、ある分野では生活手段を脅かされるような事もあったのではないでしょうか。
写真という言葉からしても、「真実を写す」という意味から命名されたのでしょうから、実際の物を正確に描き出す(写す)のが最初の目的だったのでしょうが、技術の進歩と利用する人々の感性の変化もあって、より美しいもの、より訴求性のあるものを追及するようになり、現在では完全に芸術の一分野になっています。

しかし、それでもなお私たちは、写真には真実が映し出されているという錯覚があります。
写真が、ある出来事なり事象なりの一場面を正確に映し出していることは確かだと思うのですが、同時に、それはある現象の一瞬を捉えているに過ぎないことも事実だと思うのです。
新聞や雑誌に掲載された一枚の写真が、社会の歪みを厳しく捉えたり、ある少女の絶望感が映し出されていたり、ある少年の怒りの声を鮮明に映し出しているのを見た経験が何度もあります。たった一枚の写真が持つ発信力の素晴らしさに感嘆し感激しました。
その半面で、写真イコール事実との思い込みが、その背景にある不条理を見落としたり見誤ったりすることも少なくないような気がするのです。それは写真に限らず、一部始終を描き出しているかに見えるテレビの報道もまた、時には恣意的に、あるいは無意識のうちのものも含めて、事実を歪める働きをしていることがあるような気がするのです。
何事につけ、それはたとえニュース報道であっても、真実を正しく伝えることは極めて難しい事だということを私たちは承知しておく必要があるように思うのです。

( 2017.04.07 )

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