雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

冷泉天皇と物の怪 ・ 望月の宴 ( 4 ) 

2024-03-13 20:43:43 | 望月の宴 ①

        『 冷泉天皇と物の怪 ・ 望月の宴 ( 4 ) 』        


冷泉帝は、正常の御心地でいらっしゃる時は、先帝(村上天皇)に大変よく似ておられた。御容貌は、この帝の方が少々優っておられた。ただ、お気の毒な事に、この帝には物の怪がひどいことが、たいそう情けないことであった。
今年は、御禊(ゴケイ・大嘗会の直前に天皇が鴨川に行幸して行う祓。)も大嘗会(ダイジョウエ・天皇即位後初めて行われる新嘗祭。)も行われないまま過ぎてしまった。

やがて、同じ年(安和元年・968)の十二月十三日、小野宮大臣(オノノミヤノオトド・実頼)が太政大臣になられた。源氏の右大臣(高明)は左大臣になられた。右大臣には小一条の大臣(モロタダ)が就かれた。
源氏の左大臣は、地位は高くなられたが、女婿である為平親王が立太子出来なかったことに落胆され、ままならぬ世の中を心憂きものと思われているに違いない。
そうこうしているうちに年も改まった。

今年は年も改まって、安和元年という。
正月の司召(ツカサメシ・司召しの除目。在京の官職を任命する行事。)に、さまざまな喜び事があって、九条殿の御太郎(師輔の長男)伊尹(コレマサ)の君が大納言になられ、まことに華やかな上達部(公卿)でいらっしゃる。女君たちが大勢いらっしゃる。大姫君(長女のことで、懐子)を入内させようとのお考えがあり、支度を急がれるとのことである。二月にとのご予定である。
これをお聞きになって、中宮(昌子内親王)もしばらく御自邸に退出なされた。帝の御物の怪が恐ろしいので、里がちに過ごされるのであった。

二月一日に女御(懐子)は入内なさった。
帝は、このお方をたいそう御寵愛なさって、すぐにご懐妊の様子なので、父君である大納言伊尹殿は胸つぶれる思いで、御祈祷に奔走なさった。
帝も大変お喜びになられる。ご懐妊が三月になったので、宮中をご退出なさるのもおめでたいことで、九条殿の後々のご繁栄がうわさされたようでございます。

女御の御退出と入れ替わって、中宮(昌子内親王)の御方が帰参なさいました。中宮の御方のご様子は、周囲の変化など超越したかのように、変わらずおくゆかしく気高くあられます。

伊尹の大納言は一条に住んでおられましたので、一条殿と申されます。
その御娘であられる女御(懐子)は、大行事である大嘗会の準備も終わり、少し落ち着いた頃に御子をご出産なさいました。
男御子であられましたので、実に慶ばしいことで、太政大臣をはじめ、皆々様が参られて大騒ぎとなりました。七日の夜のお祝いには勧学院の学生たちや、式部省や民部省の役人も皆参上される。
一天下を治められる君がお生まれになられたのですから、慶賀申しあげられるのです。
祖父となられた伊尹大納言のご機嫌麗しいのも当然のことで、この皇子こそ後の花山天皇でございます。
この慶事は、藤原伊尹殿の大繁栄への転機でございますが、同時に、紆余曲折を経るとはいえ、我が殿道長さま出世の原点とも申すべき出来事であったのではないでしょうか。

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