愛児を亡くす ・ 今昔物語 ( 24 - 43 )
今は昔、
紀貫之という歌人がいた。土佐守になってその国に下っていたが、やがて任期が終わった。
貫之には、年の頃七つ八つばかりの男の子がいたが、かわいらしい子であったので、とても慈しんでいたが、数日患ったのちに儚く死んでしまった。貫之の悲しみは大きく、泣きまどい病気になるばかりに思い焦がれていたが、やがて数か月が経ち、国司の任期も終わったことでもあり、このようにいつまでも悲しんでばかりいるわけにもいかず、上京することとなった。
「いざ、出発」となると、あの子が此処で、いろいろと遊んでいたことなどが思いだされて、どうしようもなく悲しくなって、柱にこう書き付けた。
『 みやこへと 思ふ心の わびしきは かへらぬ人の あればなりけり 』
( 都へ帰るとなれば楽しいはずなのに、これほどわびしく思われるのは、帰ることの出来ない子が、いるからなのだ。)
京に戻った後も、その悲しみの心は消えることがなかった。
その国司の館の柱に書き付けた歌は、鮮やかに今も消えることなく残っている、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
* 本稿は、あの『土佐日記』からのものであるが、土佐日記では亡くなった愛児は女の子になっている。
☆ ☆ ☆
今は昔、
紀貫之という歌人がいた。土佐守になってその国に下っていたが、やがて任期が終わった。
貫之には、年の頃七つ八つばかりの男の子がいたが、かわいらしい子であったので、とても慈しんでいたが、数日患ったのちに儚く死んでしまった。貫之の悲しみは大きく、泣きまどい病気になるばかりに思い焦がれていたが、やがて数か月が経ち、国司の任期も終わったことでもあり、このようにいつまでも悲しんでばかりいるわけにもいかず、上京することとなった。
「いざ、出発」となると、あの子が此処で、いろいろと遊んでいたことなどが思いだされて、どうしようもなく悲しくなって、柱にこう書き付けた。
『 みやこへと 思ふ心の わびしきは かへらぬ人の あればなりけり 』
( 都へ帰るとなれば楽しいはずなのに、これほどわびしく思われるのは、帰ることの出来ない子が、いるからなのだ。)
京に戻った後も、その悲しみの心は消えることがなかった。
その国司の館の柱に書き付けた歌は、鮮やかに今も消えることなく残っている、
となむ語り伝へたるとや。
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* 本稿は、あの『土佐日記』からのものであるが、土佐日記では亡くなった愛児は女の子になっている。
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